古き八十男のタイムマシン 世のため、人のためとは その2 | 長谷川 忠康 オフィシャル・ブログ

長谷川 忠康 オフィシャル・ブログ

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前回は高校進学まででした。

 

高校に入学して、なんとなくサークルに入らなくてはと考えて、卓球部に希望を出しました。

早速入部ガイダンスがありましたが、あまりに希望者が多く、未経験者の私は気が引けて、結局入らずじまいで、最終的には帰宅部になりました。

当時は通学経路の便が悪く、登校と下校が一番の高校生活の課題でした。自宅からまずは15分程度歩いて、都電の始発駅に行き、2路線を乗り継いで、高校に到着します。下校も同様で、毎日登校、授業、下校の繰り返しで、高1の思い出は、恐怖の英語教師の授業だけが記憶にあります。

高2になると通学ルートを変えて、私鉄と都バスを乗り継いで通学しました。

高校生活は中間テスト、期末テストの繰り返しで、高2の終わりには京都奈良の修学旅行がありました。積極的に友人作りが苦手で、自由時間もその場限りのグループに紛れ込んで、行動しました。

そして、高3になると進学が最大テーマで、がり勉競争の始まりです。私は理数系進学のクラスに入りましたが、とくに志望の大学もありませんでした。

親も進学か就職かの選択に対して、放任でした。なんとなく、進学コースになりましたが、家計が厳しいのは明らかで、学費の少なくて済む大学を志望することにしました。理数系のクラスでしたが、理数系大学の試験科目が多くて、途中で断念して、試験科目の少ない文科系に転向することにしました。

結果的には父親の出身県にある国立大学滑りこむことができました。

 

まだまだ世のため、人のためとはいいがたい状況です。ただ、親の学費負担を最小にできたことが最大の喜びでした。