前方後円墳の由来について山尾幸久著「魏志倭人伝」より(p149より) 「晋書」礼志 武帝は即位後最初の天の祭祀が行われた 266年11月16日の冬至の日に 「みずから円丘を南郊に祀る。これよりのち、円丘・方沢(=方丘)を別に立てず」 このとき「11月5日に倭人来りて方物を献ず。円丘・方丘を南北の郊に併せ、二至の祀りを二郊に合わす」 祭祀に立ち会った、倭人の使いが持ち帰って、我が国の新王継承の祭祀に「前方後円墳」として成立させた可能性がある。