2011.03.11(FRI) | TAKEMITSUのブログ

TAKEMITSUのブログ

フトアゴヒゲトカゲの『すー。』
についてのブログのはずが、
いつの間にか何でもアリなブログに。
現在は軌道修正し、
ペットのパルマカナリアカナヘビや
フトアゴヒゲトカゲ、
その他フィールドで出会った
様々な動物について語る
『いきものブログ』として更新中。

記憶が鮮明なうちに覚え書き。


2011年3月11日(金曜日)、

天気予報:晴れのち曇り、ところによりにわか雨

最高気温11℃、最低気温4℃


05:20いつも通りに起床。

前日は、個人的にもお世話になっている取引先の方が、

名古屋からいらしていたので、仕事帰りにリカも含めて銀座で食事。

その前日(9日)も、いつものメンバーで呑みに行っていたので、さすがに眠い。

体に疲れが残っている。


朝食:食パン、ポタージュスープ、バナナ、ヨーグルト。

今月上旬のダイヤ改正により、いつも乗る電車の時間が5分遅くなっている。

そのせいか、以前よりも少し混むようになった。

07:55頃会社に到着。

新聞、郵便物、メール、ファックスのチェック。

09:00~朝礼


09:20頃から11:00過ぎまで商品企画会議。

今回の企画書作成は、先月入社したばかりの新人スタッフとの作業だった事もあり、

時間がかかってしまったが、その分、内容を自分なりに煮詰める事が出来たので、

多少の自信はあった。

いつもよりスムーズに会議も進み、企画内容もほぼ固まった。

昼食までの時間に商品サンプルの手配準備。


昼食:職場近くのパン屋で購入。野菜コロッケサンド、ポテトサラダサンド、

チョココロネ、ジャスミンティー。企画室で新人スタッフと食べる。

いつもはリカの手作り弁当なのだが、連日2人とも呑みに行っていたので今日は無し。


午後からも引き続き商品サンプルの手配。

14:20頃、サンプル作製に必要なパーツ類を探す為に新人スタッフと外出。

職場から200mも離れていない、パーツ専門問屋へ。

2Fショールームでパーツ探し。品番を控えながらチェック。


14:46地震発生。膨大なパーツ類が入った棚がガチャガチャと音を立て始め、

すぐに危険なレベルの地震だと感じた。

出口を確保する為に、ショールームのドアを開け、近くにあった傘立てでドアを固定。

古いビルである事と、ショールームの下が駐車場スペースとして、

大きく抜けている構造である事に恐怖心があおられ、すぐに外に出ようと判断した。

新人スタッフを伴い、急いでビルの外へ。

この付近は、私が働く業界関係の会社が密集したエリアで、

古いビルが多く、日頃から怖さを感じていた。


とにかく広い場所に出ようと、すぐそばにある、道幅の広いU通りの車道中央に移動。

既に車は全て止まっていて、車から出て立ちすくむ人も多くいた。

周囲を見渡すと、通りの両側のビルから続々と人が出てきている。

ただ、外に出てきてビルのそばに留まる人も多く、窓ガラスや看板、電線等の落下が

起きたらどうするのだろう??などと考えていた。


とにかくその場に留まり、辺りを見回す以外に何も出来なかった。

地震は長く、だんだん強くなってくるように感じた。

この場所に来るまでは比較的冷静だったが、だんだん恐怖心が増してきた。

広い場所の中央で周囲を見渡すと、街全体が軋み、地面が波打つようにうねる様子が

良く分かり、その光景がとにかく恐ろしかった。

新人スタッフは顔面蒼白だった。おそらく自分もそうだったのだろう。


ようやく揺れがおさまってくる。

どのくらい揺れていたのだろうか。

感覚的には10分位揺れていたように感じた。

現実はずっと短かったのだろうが。


同業の会社社長を見かけたので、声を掛けた。

新人スタッフを紹介して、地震の恐怖や、

次の打ち合わせの話などを少しして、自分の職場に向かった。

途中、古いビルの外壁にひびが入り、タイルが剥がれ落ちているのが見えた。


5階建てビルの4階にある職場へ戻ると、同僚達が崩れた在庫を片づけていた。

社長は何故かテンション高くはしゃいでいた。

皆を安心させる為に明るい空気を作ろうとしている。そういう人だ。

だけど怖かったのだろう。

そうこうしているうちに、すぐに余震が来た。

大きい。怖い。

でももう笑うしかなく、みんなで明るく振る舞った。

何度余震があったのか、よく覚えていない。

それぞれ、家族との連絡、情報収集に努める。

東京23区は震度5強だった。


固定電話、ケータイ、PC、フル活用。

こういう時、ケータイ電話は無力。まったく通話は出来ない。

しかしネット環境はスムーズに作動する。

情報ツールとしてのツイッターの威力には感心した。

比較的早く、社員全員、家族の状況は確認出来た。皆無事らしい。

社長の家では食器が落ちて割れたようだ。

リカともすぐに話せた。一安心。お互いの実家も大丈夫だった。

リカも、ペット達も、家財道具も全て無事。

だけど家に一人で、さぞ怖かっただろう。

その時点で、つくばに住む友人、福島、いわきのお客様と連絡が取れず、

不安は拭えない。


15:40頃、余震が続く中、予定していた取引先の方が来社。

試作サンプルを確認しながら打ち合わせ。

今回、オリジナルで作るパーツの原型を持ってきていたので、

社長にも見てもらう。

なかなか良く出来ている。これで決定。

ところが社長が手を滑らせて原型を落として割ってしまう。

『まぁ、地震で割れた事にしてくれや!(笑)』という事に(笑)。

その後は仕事にならず、情報収集を全員で続けた。

首都圏のあらゆる交通網が麻痺している事が徐々に分かってくる。

『帰宅困難者』という、いつかテレビ等で聞いた言葉が頭をよぎる。

それが現実になっている事を理解するのに時間がかかった。

どこかで、どうにかなりそうな気持がなかなか抜けなかった。

しかし、私達は帰宅困難者となった。


その後、その日に出荷予定の荷物が残されている事に改めて気付く。

この状況で、佐川急便の集荷など期待出来ないと判断し、

ビルの1Fに下ろした荷物を、再び4Fまで戻した。


幸い勤務先は人数も少なく、社長の車と、職場に一番近い所に住む

スタッフの車に分乗して帰る事に。

しかも職員の居住エリアが、大きく二つのエリアに分かれており、

人数もちょうど半数ずつだという事も幸運だった。

女性スタッフが近くのコンビニでお菓子などの食料を調達してくれた。

それをつまみながら、情報収集して過ごす。


18:00を回り、隣接している親会社の状況を見ながら帰る準備。

親会社は当然人数も多く、車も足りない状況。

しかし、帰れる者は効率よく帰るべきなので、

19:00前に第一陣が帰宅する事に。

その時、なんと佐川急便の集荷が来た(!)。

集荷してもおそらく通常通りの配送は出来ないのだろうが、

彼らのプロ根性を見たような気がした。


第一陣は社長の車。

そこに乗車させて頂いた。

車の中で、つくばの友人からのメールを確認出来た。

東京よりも震度が大きかっただけに心配したが、本当に無事で良かった。

途中、街の自転車屋で10数人の行列が出来ていた。

歩道には歩いて帰る帰宅困難者が溢れていた。

数時間歩いて帰宅する知人、友人も多い中、本当に恵まれている。

この状況に感謝。


社長の車に乗車した中では、自分が一番遠方だった。

途中、渋滞に巻き込まれながらも、22:45頃に最寄りから1つ手前の駅で降ろして頂き、

徒歩で自宅に向かう。

23:00過ぎに最寄り駅付近に到着。

自然に足がコンビニへ向かい、ビールを購入。

23:20頃帰宅。

リカに促され、すぐに入浴。

その間、リカが手早く食事を用意してくれた。

暖かいおにぎり、白菜と豚肉の蒸し料理。

ビールで喉を潤し、竹鶴純米にごりの燗酒で食事。

昼間の恐怖心も消えた。


余震が続く中、01:00過ぎまでテレビで情報を確認して就寝。

この後、すぐに目が覚めてしまう事になるのだが、

とりあえず3月11日の覚え書きはここまでにする。

翌日、安否不明だった福島、いわきのお客様の無事を確認出来た事は

ここに記しておく。



これを書いている、2011年3月13日(日)、現時点での報道による情報。

『東日本大地震』による死亡者1217人。

死亡者、行方不明者は合わせて3200人超。

それ以外の安否不明者2万人超。

原発の爆発事故も起き、22人の被ばく者が出ている。

全貌は全く分からない。

想像を絶するとはこういう事を言うのか。




私は今、幸せを貪っている。