「大山詣り」が日本遺産に認定。

いせはら文化財サイト ←詳しく説明されているサイト見つけました。

日本遺産とは平成27年度に創設された制度なんですね。

幟もいい雰囲気ですね。

江戸文字の橘右橘さんの幟。

落語の「大山詣り」も有名ですね。

ちなみに私は落語が大好きです。

舞台は江戸の町からもよく見えたこの大山。

落語の「大山詣り」は初詣ではなく夏の参詣の噺です。


江戸時代には参詣する講(大山講)が関東各地に組織され多くの庶民が参詣した。

大山頂上へは6月27日から7月17日の期間のみ登ることが許される女人禁制の参詣で特に鳶や職人の間で人気があった。

 

グッサンさんのブログにも女人禁制の石碑の写真があります。

「大山詣でから弘法山&権現山へ」 ←記事リンクが開きます。

 

今でも境内や下の宿坊に講碑がたくさんありますね。

講に属する人たちが会費を納め、選ばれた数名が代表としてお参りに行き、講の全員に御札などを持ち帰ります。

 

ばくちと商売にご利益がある祭礼で奥の院の石尊大権現に参詣が許されるこの期間に、行楽を兼ねて参詣する。

 

江戸の町からは男の足でも4~6日はかかったというので金もかかりますが世の旦那様たちは妻のいない途中の宿場町での羽伸ばしも兼ねてたのでしょう。

噺のように帰りに江ノ島や金沢八景など寄り道して遊覧することも楽しみだったようです。

 

夏の庶民のレジャーだったんですね。

 

このころ参拝していたのは「石尊大権現・大山寺」です。

現在の大山阿夫利神社下社の位置にあったそうです。

 

明治初期の廃仏毀釈・神仏分離で大山の廃仏と神社化が図られ、大山中腹にあった不動堂は破却されて現在の大山阿夫利神社下社となった。

その後、明治9年(1876年)、現在地(元の来迎院の跡地)にて不動堂の再建が着手され、明治18年(1885年)に明王院という寺名で再興された。

大正4年(1915年)、明王院は観音寺と合併し、ようやく大山寺の旧寺号が復活した。

(wikipediaより)

 

気になったのは今回の見た日の出です。

大山阿夫利神社の拝殿と鳥居の向きですが徐々に太陽が高くなるにつれドンピシャに一直線で日が差し込んでます。

7:10でこの位置です。

7:15ごろはもっと中心の位置になりました。

ちょうどそのとき拝殿から太鼓の音が鳴り朝の祝詞が聞こえてきました。

 

正月の朝に日が神鏡にあたるように計算して建設されているのかな。

もしかしたら正確には冬至かもしれません。

 

直近の冬至の日の出と日の入の角度を調べてみました。

赤い線は日の出と日の入の太陽の方向です。

日の出のラインだと鳥居と拝殿の線が微妙にずれてます。

じつは日の出では地平線で低いのです。

 

そうすると・・・なるほど!

拝殿から鳥居越しに見える高さになる30分くらい経った位置がドンピシャになるようですね。

 

このまま広域にしてみると

ケーブルカーの線路もこま参道もきれいな水が流れる川も日の出30分のラインとほぼ一直線。

地形で見ても一直線の谷間です。

この黄色い線の延長上ピッタリに伊勢原駅があります。

 

自然が作った偶然でしょうか?

この地形に何かを感じ取った先人たちが見つけた場所でしょうか?

こういったことからパワースポットといわれている理由なのでしょうね。

 

あ、これらの太陽との位置関係は調べても情報がなかったので私が勝手に解釈して記載したものです。

この図も私が引いた線なので精度もあいまいです。

 

いずれにしても多くの人を魅了した山なのは間違いないようです。

昔の大山の絵。(お借りしました)

草鞋であの表参道を登ったのでしょうね。

 

今からは考えられないくらいの数の茶屋が並んでます。

替えの草履やお茶や団子、お酒なども振舞っていたのでしょうね。

 

タイムマシンがあったら行ってみたいです。

富士見台の茶屋の跡から。

昔の人も同じ富士山見てたんだろうなあ。

悠久の歴史にロマンを感じます。

 

下社の横の鹿。

かわいい!

今年のもみじ汁の具材?

大山阿夫利神社で紅葉祭りのとき「もみじ汁」を振舞います。

現在は豚肉ですが昔は鹿肉だったのでしょうね。

こま参道の店の看板にも「ししなべ・しかなべ」を多く見受けます。

江戸時代の食肉を検索するとこんな文面が。

 

江戸時代の1815年発行の『松屋筆記』には、「文化・文政年間より、江戸に獣肉を売る店多く、高家近侍の士も、これを食べる者がおり、猪の肉を山鯨(やまくじら)、シカの肉を紅葉(もみじ)と称す。

クマ、オオカミ、タヌキ、イタチ、キネズミ、サルなども食べられているのは、哀しむべし、嘆くべし」

と書かれています。

 

結構肉食を楽しんでいたようです。

鯨は魚扱いで堂々と肉食できたようです。

そして食感が似ている猪をこっそり「山くじら」として食してたのですね。

浮世絵でも「山くじら」ってありますね。

 

今でも

猪は「ぼたん」

鹿は「もみじ」

馬は「さくら」

鶏は「かしわ」

って隠語にしていた歴史が残ってますもんね。

以前に鹿刺しを食べましたが馬刺しのようで大変美味でしたよ。

 

それと「たぬき」「きつね」って蕎麦屋メニューにあります。

あれ外国人がびっくり仰天するらしいです。

日本人は鯨だけでなく狸や狐も食べるのか~?って。

まあ両国のももんじやにでも行かない限り日本人でも狸は食べませんけど。

 

初詣ついでにちょっと思いを馳せた大山の話でした。