コロッケで腹ごしらえの後は、文学の散歩道へ。
実に多くの文人墨客が保養や観光のために、また、作品を執筆するために、波浮港を訪れ、逗留しました。与謝野鉄幹、晶子夫妻、大町桂月、林芙美子、水原秋桜子、荻原井泉水などが波浮港を訪れ、そして波浮港を作品にしているのです。
いえ、旧港屋旅館があります。
中は常駐している管理人はいません。
当時木造3階建の建物は、風の強い大島では珍しい建築物だそうです。
川端康成の「伊豆の踊り子」のモデルになった大島の旅芸人一座に関する資料館で、建物の造りや雰囲気を遺した旧港屋旅館を保存しています。
時のロマンを感じます。
現在は海側にも建物が建っているので港が良く見えないです。
明治時代に作られた石造りの建物、地元の富豪の家でかなり豪華な造りの建物だったとのことです。
なまこ壁の漆喰装飾が施されてます。
建物内も無料で見学できます。
こちらも無人です。
『十一代将軍徳川家斉の寛政の頃に、ロシアの舟が時々北海道に出没しはじめ、海辺防備の令が発令され、海辺防備を厳重にした。この時島民にも防備の為の特別任務が与えられ、射撃の指導を受けた。その場が各島村に残されている鉄砲場です。』
その鉄砲場がある龍王崎は、その後・・・
『この龍王崎周辺は大東亜戦争(第二次世界大戦)時、日本陸軍の監視所として、多くの兵士と小学校高等科を卒業して兵役年令(二十才)に満たない十五~十九才の青年達が生活し監視の教育を受け、共にその任務に従事していた場所です。』
『兵舎は三棟あり、周囲に防空壕、弾薬庫、食糧庫、貯水槽が併設され、海に向った斜面には攻撃用塹壕、蛸壺壕が無数に掘られていました。』
(以上、伊豆大島ジオパーク・データミュージアムより抜粋)
軍事利用された戦争の歴史が残ってます。
龍王崎灯台。
ここからさっきの「旧甚の丸邸」へ引き返し隣りにある「島京梵天」さんでおやつタイム。
11:00開店です。
先ほど通ったときは開店してなく、龍王崎灯台をぐるっと回ってきて開店と同時に入りました。
甘いものが苦手な私は左の「ハムチーズマヨ」¥200
真ん中は「季節のあん いちごあん」¥160
右は「つぶあん」¥150
耳付きがうれしいです。
耳を先に食べると・・・生地が美味しい!
焼き上がりの色が違うのは、甘い具材用としょっぱい具材用で生地を分けているからでしょう。
奥に写ったうさぎの湯飲み、昭和時代に雑貨屋さんだった名残だそうです。
11:00の開店同時に入ったのですが、すぐ観光客でいっぱいになりました。
人気の店ですね~。
裏の建物で一日一組のゲストハウスもやっているそうです。
夏休み、ここで過ごしたら私も童心に帰れそうです。
北海道出身の私は子供のころ、泳げる海のそばで過ごす夏休みにあこがれていました・・・。
波浮でコロッケとたい焼き食べたらお腹いっぱい、ランチ替わりになってしまいました。
次へ続きます。