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今までいたところ、



自我の芽生えと同時に死にたくなる棺桶。



今いるところ、



今までいる棺桶に片足突っ込み、



もう片方は、宇宙の果て、魂の果てよりなお遠い。



どんな股裂き状態。




これから行くところは・・・・・?



地獄の底よりなお深い、闇しか見えない、道の先。

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「懺悔は語られざる哲学である。


語られる哲学においてと同じように、語られざる哲学において大切なことは、


正しき問い方をすることと、正しき出発点を取ることである。」



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秋葉原では線路内に立ち入りで運転見合せ……


「立ち入り」っていうか、ねぇ、


「そのつもり」だったんだよ、ねぇ、


同時多発テロとしての「同時多発自殺」で、



静かに潜行する日本の戦争……


具合悪いダルい疲れ過ぎて吐き気がする ほぼ立ち寝
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具合悪いな



なんか死にたくなってきた


まあ物心ついたときから

いつも死にたいんだけど


死ぬときは、あの花で。
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「儒教の中に見られたこのような権威主義的性格が、日本ではよりいっそう強調されて、


独特の家族主義道徳論が生み出されていった。


この家族主義思想は、家族員個々人よりも別に、


個々人を超越した客観的価値体としての「家」が存在するとし、


この家を土台にして全ての人間関係を規制しようとする。


ここでは、人間であるよりも先に、家族の一員であることが要求される。



このような家族主義道徳論は、もともとは徳川封建制下において確立された


武士階級の道徳として自覚されたものである。



しかしやがてそれは、明治絶対制官僚国家の権力体制を合理化するための理論的武器として利用され、


古来の日本家族の伝統的な淳風美俗がこうであるとして公認され強要されるようになった。



権力関係を親子の愛情関係に似せた制度とするために利用された。


儒教の孝は、その後も、労働争議や小作争議を鎮圧し、


国民の近代的な権利意識の覚醒を抑えるために、繰り返し繰り返し強調された。




孝によって権利関係の実態から国民の目をそらせ、忠によって親子間の自然な情愛を押しつぶすような、


まさに歴史に逆行する教が、教育や法律や政治などの国家機能を通じて、


国民に説教され強制されていったのである。」



「一体誰にしても自分自身の体と生命に関してほど争う余地のない権利を持っているのは


この世に他に何もないということは明白ではないか。



自殺はまた、一種の実験ーーー


人間が自然に向かって投げかけてそれへの解答を強要しようとしているような


一種の問題、とも看做されえよう。


すなわちそれは、現存在と人間の認識とが死によってどのような変容をこうむるか、


という実験である。


しかしこの実験は手際が悪い。


ーーー何故というに、肝心の解答を聞き取るべき答えの意識の同一性を、


この実験は殺してしまうからである。



重苦しい恐ろしい夢の中で不安が最高潮に達したその瞬間に、


他ならぬこの不安それ自身が我々を目覚めさせてくれるーーー


かくして夜のかの一切の魑魅魍魎は退散する。


それと同じことが人生の夢の中でも起こるのである。


ーーー不安の最高潮が我々にこの夢を破ることを強いる時に。」


「自殺について」 アルトゥル・ショーペンハウエル



「生命というものは、どんな犠牲を払ってもこれを延ばしたいというほどまでに、


愛着されるべきものではあるまい、と私は考えている。


ーーー自然が人間に与えてくれたあらゆる賜物の中で、


時宜を得た死ということに勝る何物もないのだということ、


そしてその場合にも特に最上のことは、誰もが、


自分自身の死を選ぶことができるということなのだ。」


プリニウス



「善人は不幸が度を超えたときに、悪人は幸福が度を超えたときに、人生に決別するべきである。」


「倫理学」ストーバイオス



「芸術家は、後に示すような諦念に達した聖者の境地である意思の鎮静には至らない。


芸術家は決して解脱することなく、ただ一瞬間生から解き放たれるだけである。」


「芸術の慰め」アルトゥル・ショウペンハウエル




「およそ、この世の全てのものには、初めと終わりがある。


歴史と呼ばれる時間の流れも、その発端と終末とがあって、はじめて、


そこに含まれたあらゆる事象に歴史的な価値が生じるのである。



これを例えていえば、歴史は扇子に似ている。


扇子の要は、歴史の行き着くべきゴールである。


歴史的世界に生起するすべての事象は、この要に向かって流れていくのである。


もし我々が歴史からこのゴールについての意識を抜いてしまったら、どうだろうか。


歴史は、要を外された扇子のように、たちどころにバラバラになってしまうに違いない。」




「芸術上のリアリズムとは、この世に対する極端な順応を意味する。


およそ、真の芸術家の創造行為は、「現世」に対するレジスタンスを本質としている。


これに反して、リアリストは、歪曲された現世の方が美より一層リアルなるが故に、


我々は現世に服従しなければならないと説く。


このように、リアリストはブルジョワ的である。


「現代カトリシズム序説」



「高みから罪に堕ちた被造物は描けません。


彼等が作家よりも、もっと力強くて、初めて生きてくるのです。


作家は作中人物を導くことはできません。


もし作者と作中人物との共謀がなければ、作者の作中人物に対する批判とか干渉が生じます。


これでは作品は失敗します。



作家としては、かかる主人公が、今にも救われることを待ちながら、


しかし作中人物の人間としての自由を歪めることを許されない場合があるのです。


いかに自己の被造物とはいえ、人間を勝手に救ったり、


罰したりする権利は作家にありませぬ。」モウリヤック



「昼は昼に言葉を造り、夜は夜に知識を伝う。」詩篇第十八



「いつでもどこでも起こらなかったことだけは、決して古びることはない。」シラー



「哲学者が、自分自身に対して求める、最初にしてかつ最後のものは何か。


それは自己のうちなる時代を超克すること、すなわち無時代的となることである。」



「人間は、欠けたものについて、もっとも雄弁である。」