つい一月前もしないうちに、初めて知ったことがある。


自分のことなのに、初めて知った。


赤だと思っていたものが、青だった、というくらい、初めてのこと。


たぶんまだ、言葉にも出来ない、混沌。

そういえば、ものごころついて、最初に意識した外界への反応は、

狂気

の発見への

恐怖

だった。


くるってる、くるってるくるってるくるってるくるってるくるってるくるってる・・・・・

こわい、こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい……


たすけて、たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて・・・


神様、あのひとたちを、ころして、
ころしてころしてころしてころしてころしてころしてころして・・・・・


お願い、しんで、しね、しねしねしねしねしねしねしねしねしね・・・・・



5歳のときから、毎日、毎夜、泣きながら、神様仏様に手を合わせて願っていた。


でも、願いが強すぎて、願いがかなわないことがつら過ぎて、


泣くのも、願うのも、やめてしまった。




でも、狂ってる余り、


怖い余り、神経が焼き切れるような、絶対の恐怖の余り、

たすけなんて、いくら求めても願っても、どこにもない余り、

自分で自分を助けるため、

私自身が、狂気に呑まれ、恐怖に呑まれ、


私が、私が恐れた、狂気になり、恐怖になったから、


いつのまにか、


ここが、怖いところだと、


私がいるところが、狂ってるところだと、いうことを、忘れていた。


神経が焼き切れるような恐怖と狂気を忘れるために、


私自身が、恐怖と狂気そのものになることで、その一部に一体になることで、

慣れることで、


ずっと、忘れてきたんだった。

ずっと、慣れてきたんだった。


それが、どんな狂気だろうと、それが、どんな恐怖だろうと、


今、目の前にあることを、何も見ないことを。


今、目の前にあるものを、何も感じないことを。


慣れることで、自分で自分を助けながら、


自分で自分を、恐怖と狂気の坩堝の中に、


自分の手で、突き落としてきたんだった。


ずっと、慣れてきたから、ずっと、忘れていた。


なぜ、痛いのか。


なぜ、傷を負っているのか。


なぜ、私は私なのか。


全部、忘れたんだ。


忘れることで、耐えたんだ。



自分の名前を自分で忘れるほど、自分で自分を忘れるほど。



対象化して見つめるには、余りにも、壊れそうなほど、怖かったから、


一部になることで、私は私から、逃げたんだ。


私が私を、怪物に投げ与えて、人身御供にして、見捨てて逃げたんだ。


それで、壊れたけど。

おまえらに贈る言葉はひとつだけ。











死ね。


でも私、そう「見せて」はいても、一度も自分から、


「見た目通りのお上品で礼儀正しい人間です」とは、一言も言っていません。


そう「見えた」ままの人間だと誤解したのなら、それは読み手側の読解力の問題です。

ここで和気藹々と交流することが目的で集まってる人の中で、誰にも関係のない「闇」をぶちまけて、


無意味にその人たちの日常生活を乱すことにはなんの意味もないでしょう。


そんなの人生がムカツクからって、往来で刃物を振り回すキチガイといっしょです。



まあ十代のころは私もそんな感じでしたが(笑


人は、その人の範囲で、その人が楽しいことをやっていればいい。

それは、人間の基本的な権利だと思います。

誰も、自分のことを、他人に押し付ける権利なんかない。

自分をわかってほしい、他人にどうにかしてほしい、


という欲求が極端なメッセージになったものが、「暴力」です。


あなたの父親が、あなたにやっているものです。


母親に甘えて振り向いてもらいたい子供がする、一番短絡的な方法です。

そして、母親に振り向いてもらい、甘えを満たされなかった子供がずっとやめられない行動です。



憎悪や負の感情そのものは、いくらでも持ってていいと思います。

それを裁く権利も誰にもない。

でも、それを、他人に押し付ける権利もない。

私の本音は、ここにいる誰にも関係がない。

でも、私は書かずにはいられなかった、というだけです。

負の感情は持ってもいいけど、適切な方法で吐き出さないとダメです、壊れますから。

その方法がすべてだと思う。

押し付け、権利侵害、暴力にしないために、自己管理する。


父親もまた、深い心の闇を抱えているんでしょう。



でもそれは、あなたには関係のないことです。


そんな人が、幸せであるわけがありません。


不幸の塊でしょう。



勝手に不幸の闇の底で、魂を腐らせておきましょう。

私にも関係ありません。


誰にも関係ありません。



他人の闇なんか、誰にも関係ありません、

自分の心の闇、負の感情は、自分で救うしかありません。

自分の人生の、自分の心の闇、自分の負の感情、全部、自分のものです、他人のものじゃありません、


自分でどうにかするしかない。



自分の命の重さ、心の重さは、自分がまず知らなければ、他人のそれも大事にできないと思います。


自分を自分で救うことの中にしか「救い」はない、と思います。



他人を変えることはできないけど、自分を変える可能性なら、


それに比べれば、一mmくらいはある・・・・かもしれない。


それでもダメかもしれない。

でも、今の状態で、ダメなものはダメなんです。



今の状態のままでも、誰も助けてくれない。


だったら、自分のことは自分で救うしかない。



他人に求めることは、他人を恨むことと表裏一体、


他人に求める前に、自分で自分に求める、自分であがき、もがき、



やれるだけのことをやってみることが大事かと思います。

自分を他人に任せてそれでダメで他人を憎むよりは、


自分にできる範囲で、自分で自分のことをできるかぎりのことをやってみてからの方がいいと思う。


・・・・・・・・・・



「なにもかもわかる」わけなんてないよ。誰も。

そもそも「わかった」ら、お互いの距離にこんなに苦労しないでしょ。


「わかる」ことと理解することは違うし、理解することと助けることも、同じではない。



だから、あがくしかないんだと思います。

「伝える」ために。


なにもわからない無理解、「他人」という壁に全身で体当たりして、血まみれになるまで。


そこで永遠に変わらない、停止した、すでに終わっている景色を見つめ続けるのをやめるには。


自分を閉じ込める周囲の壁に、「伝える」という穴をうがつしか、どこかに行く方法はない。



誰にも伝わらないかもしれない、誰にもわかられないかもしれない。

でも、じゃあ、自分は自分のこと、わかってるだろうか?

自分で自分に言いたいこと、してあげたいこと、言ってあげているだろうか?


してあげているだろうか?

誰にわかられなくてもいいよ、誰にも伝わらなくてもいいよ。

人間なんて、馬鹿なもんだよ、あなたが期待してるほど、賢いもんじゃないよ、

バカで、アホで、クソったれで、サイテーで、ゴミクズだよ。


いわないとわからないし、いってもわからないし、噛み砕いていっても、50%もわからない。


そんなバカだから、こっちが賢くなって、こっちが腰を低くして、


そんなバカにもわかるくらい賢くならなきゃいけないんだよ。


面倒だね。



だから、そんな貧しいバカどもには、あなたが期待するものを何も与えられないんだよ、

自分が貧しくて、何も持ってないんだもん。

だから、自分だけは、そんなバカどもよりは、賢くなろうよ。

そんなバカどもよりは、少しは、何かを持っていようよ。

誰に何も与えられなくても、自分だけは、自分に、何か与えられるようになろうよ。

他人、なんて、いつまでも何も知らない、バカは、ほっておいて。

・・・・・と、いうのが、私もあなたと同じ道を通って、最終的に悟った境地(大げさ)かなと。


そうでも思わないと、保ってられないのかな。




それで、自分が自分に、理解とか、優しい気持ちとかを、与えられるようになると、

案外、世の中には、何も見えていないバカよりは少しはマシな、

ひょっとしたら、何もわかっていない自分よりも、もっと何かが見えている人もいるのかもしれない、

ということにも、気づくかもしれない。


そういう人を探すのもいいし、そういう人の言葉をたくさん聴くのもいいと思う。

今の自分は何もかも知っている、他人になんて何も期待できない、

といいながら、他人に失望するエネルギーがあるなら、

他人というバカの海を泳いで、少しはマシな他人を探すことにエネルギーを使ったほうがいいかもしれない。

どうせいないだろ、と思いながら、どうせいないんだから、いないことに失望することもないし、

いたらいたで、めっけもんだし。


私もあなたと同じ心理を経験して、んで、なんか突き抜けて、そんなところにいる感じです。

まあ、いまだに、七転八倒してる、バカな大人のたわごとです。

掬ってくれない他人に失望したり、自分を責めたり、そういう攻撃に感情のエネルギーを使うより、

最初から、他人は助けてくれない、自分には何もできない、それでも、

バカばっかりの他人の中にも、利用できる・・・もとい、どこかしらマシな他人をめっけられないだろうか、


何もできない自分にもできることってなんだろうか、最初からないかもしれない、

この世の中、ほんと、腐ってますし、バカばっかりです、ドグサレ世の中です。

本物は、常に、一握り、常に、高級品です。

その辺に転がってるわけがない。

ていうか、自分が何をできてるか、どれだけマシな人間か、というのを見たら、

「自分の期待に沿う都合のいい人間」が、そうそういるわけがない、とも気づきます。


私なんて、自分で自分への期待値をゼロにしなきゃ、身動きもできない。


「自分のほしいものを与えてくれる人間」がほしいのなら、自分でも、それだけの努力をしなければ。

そして、「ない」ことに、どうせ失望し、絶望するなら、不可能を探し当てる宝探しみたいに、

バカという名の他人の海を、一粒の真珠探してトコトン探し続ける・・・・・

そんなところから始められないでしょうか。

・・・


ていうか、あなたへの、他人への手紙、っていうか、


ほんとうに、ほとんど、自分から自分への手紙だな。

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なぜ横たわる・・・・