そういえば、ものごころついて、最初に意識した外界への反応は、
狂気
の発見への
恐怖
だった。
くるってる、くるってるくるってるくるってるくるってるくるってるくるってる・・・・・
こわい、こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい……
たすけて、たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて・・・
神様、あのひとたちを、ころして、
ころしてころしてころしてころしてころしてころしてころして・・・・・
お願い、しんで、しね、しねしねしねしねしねしねしねしねしね・・・・・
5歳のときから、毎日、毎夜、泣きながら、神様仏様に手を合わせて願っていた。
でも、願いが強すぎて、願いがかなわないことがつら過ぎて、
泣くのも、願うのも、やめてしまった。
でも、狂ってる余り、
怖い余り、神経が焼き切れるような、絶対の恐怖の余り、
たすけなんて、いくら求めても願っても、どこにもない余り、
自分で自分を助けるため、
私自身が、狂気に呑まれ、恐怖に呑まれ、
私が、私が恐れた、狂気になり、恐怖になったから、
いつのまにか、
ここが、怖いところだと、
私がいるところが、狂ってるところだと、いうことを、忘れていた。
神経が焼き切れるような恐怖と狂気を忘れるために、
私自身が、恐怖と狂気そのものになることで、その一部に一体になることで、
慣れることで、
ずっと、忘れてきたんだった。
ずっと、慣れてきたんだった。
それが、どんな狂気だろうと、それが、どんな恐怖だろうと、
今、目の前にあることを、何も見ないことを。
今、目の前にあるものを、何も感じないことを。
慣れることで、自分で自分を助けながら、
自分で自分を、恐怖と狂気の坩堝の中に、
自分の手で、突き落としてきたんだった。
ずっと、慣れてきたから、ずっと、忘れていた。
なぜ、痛いのか。
なぜ、傷を負っているのか。
なぜ、私は私なのか。
全部、忘れたんだ。
忘れることで、耐えたんだ。
自分の名前を自分で忘れるほど、自分で自分を忘れるほど。
対象化して見つめるには、余りにも、壊れそうなほど、怖かったから、
一部になることで、私は私から、逃げたんだ。
私が私を、怪物に投げ与えて、人身御供にして、見捨てて逃げたんだ。
それで、壊れたけど。