前回フィリピンへを書くにあたり資料を調べているといろんな事が思い出され書こうか、書くまいか
迷ったんですが、日本にいる3人の我が子、ココにいる一人の我が子らが事実を知る為にも
書くべきと判断しました。
非常に個人的な事が書かれていた、又今後も書き記す事となりますがどうかご理解の程をお願い致します。
迷ったんですが、日本にいる3人の我が子、ココにいる一人の我が子らが事実を知る為にも
書くべきと判断しました。
非常に個人的な事が書かれていた、又今後も書き記す事となりますがどうかご理解の程をお願い致します。
2002年6月末
三男の葬儀は滞りなく執り行われました。
2002年7月中旬 休暇届け
以前より彼女が帰国する為、入国管理局、フィリピン大使館、他で5日間ほど休暇を採っていまし
た。
今回彼女の帰国とフィリピンで結婚する為に2週間の日程を組まなければなりません。
10日の休暇届を結婚の理由で出しました。
課長は結婚ではしょうがないなと言う事でOK。
しかし事務方の課長からクレームが付きましが、こういう事もあるだろうと思って係長をおろして
貰ったんですと言うと分かって貰えました。
さあーもうすぐ彼女と二人でフィリピンへ行く、結婚もする。
期待と不安でいっぱいでした。
私も彼女も飛行機の旅は慣れていません。とても心配でした。
当日はJRで上野まで行き上野からスカイライナーで成田へ行きました。
順調に行っても成田に着くのが朝7時30分を過ぎます。
あまり時間がないんです。
チケット交換の長蛇の列を見て唖然としました。何十分掛かるんだろう?
とにかく彼女に書類を渡し列に並んで貰って、私は宅急便で送った荷物を受け取りに行きました。
荷物を持って戻ってみると、列から離れて彼女がいました。
彼女はチケットを持っていました。
係の人が私たちが遅いのでチケットを持って列に並んでいる人たちに声を掛けて探してくれたんで
す。
よかったー。
搭乗手続、出国手続と緊張の連続彼女も緊張していました。
手続が終わって後は飛行機に乗るだけ、ホーッ 二人に笑顔が戻りました。
マニラに着いてドメスティックエアポートもなんとかクリアー。
飛行機を待っていました。
ダバオ行きは午後4時、もう3時半もうそろそろだなー。
4時、エッ、まだ、彼女にどうなってるのと聞いても彼女も分かりません。
4時20分だよ、もう出発時間じゃないの!
ココじゃないんじゃないの!
ちょっと聞いてみてよ!
もう私は焦りまくってます。
その時ふっと見ると時計が見えました・・・
エッ!
3時20分!
私の腕時計は日本時間のままでした。
大きな声出しちゃって恥ずかしい。

成田、マニラで撮った写真はこれ1枚だけです。いかに余裕がなかったか分かります。
予定どおりの時間でダバオに着きました。
出迎えに彼女のお母さんも来ています。
8年ぶり涙の対面かと思ったら、ニコニコ笑って笑顔の対面でした。
迎えの車に乗って1時間半くらいTAGUM CITY 彼女の妹の家に着きました。
妹の家では子供部屋を二人の為に空けてくれました。
早速ウェルカムパーティです。

翌日シティホールに行きました。
書類を作ってもらって二人でサインをしました。
そこの役職者という感じの女性が彼女のニナンでした。
後は彼女の出生届けをもらいにコタバトまで行きました。
披露宴の会場探し、ウェディングドレス、バロンタガログ等買い物。
それが終わると特にやる事もなく、お金もないので遊びに行くでもなく、妹の家でテレビを見なが
ら二人でジーとしてました。
結婚式は日本に帰る前日でした。
タグンではなくアスンシオンの裁判所で行いました。
ジャッジの言われるままに英語で誓いの言葉を言ってサインしました。
ニナン、ニノンもサインして終わりです。

指輪交換をしてるところです。
披露宴会場はタグンシティのムラビホテルです。

4人の兄弟と一緒に
私の父親役をアスンシオンのジャッジがしてくれました。
参列者は全員彼女の親、兄弟、親戚、友人で私の側は誰もいません。
参列者全員揃っても仲々始まりません。
司会者がまだ来てません。
30分ぐらい待ったところでニナンの一人(学校の先生)が司会役を始めました。
ニナン、ニノンの挨拶が終わる頃司会が来ました。
何事もなかった様に披露宴を進めます。
翌日、結婚したという書類は後日日本に送ると言う事で一人帰国しました。

これで彼女ともしばしの別れです。
つづく