日本の航空事故 Ⅱ【初序】1960年代 

 
 

1970年代

1970年

  • 1970年 2月10日
    • 便名: 東京航空 取材機(JA3141)
    • 機種: 富士重工業 FA-200
    • 死者: 搭乗者3人行方不明(死亡確定)。
    • 状況: かりふぉるにあ丸遭難事故取材の為にフジテレビがチャーターした航空機が千葉県沖に不時着水し行方不明に。原因であるが杜撰な飛行計画のために燃料が枯渇し不時着水を余儀なくされたとされた。
  • 1970年 5月23日
    • 便名: 中華航空 802便
    • 機種: ボーイング 707
    • 死者: 地上の1人が死亡。
    • 状況: 諸般の事情で大幅に到着の遅れていた台北発大阪経由東京行きが、大阪を通過し滑走路閉鎖中の羽田空港C滑走路に特例として午前4時に着陸することになった。しかし、管制塔が滑走路で標識塗り替え作業を行っていた作業員に連絡していなかった上に、航空機からもスモッグの影響[10]で作業員の姿を確認できず、そのまま着陸進入を続行。そのため空港事務所のライトバンに旅客機の主脚が接触、運転席にいた職員が圧死した。旅客機のほうは無事に着陸し搭乗者11人に怪我はなかった。
  • 1970年 7月27日

1971年

1972年

1978年

1979年

  • 1979年 7月21日
    • 状況:東亜国内航空381便(南紀白浜空港行き)
    • 機種:YS-11(JA8656「あかし」)
    • 死者:なし
    • 詳細:「日本エアシステム機事故:東亜国内航空機羽田空港胴体着陸事故」を参照

1980年代

1982年

1983年

1985年

  • 1985年 8月12日
    • 便名: 日本航空 123便
    • 機種: ボーイング 747SR
    • 死者: 乗員乗客524人中520人が死亡。
    • 状況: 1978年6月の尻もち事故の際にボーイング社が修理ミスを起こしたために、飛行中に圧力隔壁が破壊され、操縦系統が破損し操縦不能に陥り迷走した後に墜落。単独機による事故では史上最悪の犠牲者数。
    • 詳細:「日本航空123便墜落事故」を参照。

1988年

1990年代