日本の航空事故 Ⅱ【初序】1960年代
1970年代
1970年
- 1970年 2月10日
- 1970年 5月23日
- 1970年 7月27日
- 便名: フライングタイガーライン 45便
- 機種: ダグラス DC-8-63AF貨物機
- 死者: 乗員4人全員が死亡。
- 状況: 那覇空港の滑走路手前に墜落。
- 詳細:「フライング・タイガー・ライン45便那覇沖墜落事故」を参照。
1971年
1972年
- 1972年 5月15日
- 便名: 日本航空
- 機種: ダグラス DC-8
- 死者: なし(ただし16人が負傷)
- 状況: 操縦ミスにより離陸中に滑走路を逸脱。エンジン火災。
- 詳細: 「日本航空羽田空港暴走事故」を参照。
1978年
- 1978年 6月2日
- 便名: 日本航空 115便
- 機種: ボーイング 747SR-100機体番号JA8119
- 死者: なし(ただし23名が重軽傷)。
- 状況: 大阪国際空港へ着陸の際、機体を引き起こしすぎたため胴体後部を滑走路に接触させるしりもち事故。同機体はボーイング社による圧力隔壁の不良修理の結果日本航空123便墜落事故を起こす遠因となった。
- 詳細:「日本航空115便しりもち事故」を参照。
1979年
- 1979年 1月30日
- 状況: ヴァリグ・ブラジル航空 967便
- 機種: ボーイング 707F貨物機
- 死者: 乗員6人が行方不明(死亡確定)。
- 状況: 太平洋上空を飛行中に失踪。現在に至るまで行方不明のため原因不明。
- 詳細:「ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故」を参照。
- 1979年 7月21日
- 状況:東亜国内航空381便(南紀白浜空港行き)
- 機種:YS-11(JA8656「あかし」)
- 死者:なし
- 詳細:「日本エアシステム機事故:東亜国内航空機羽田空港胴体着陸事故」を参照
1980年代
1982年
- 1982年 2月9日
- 便名: 日本航空 350便
- 機種: マクダネルダグラス DC-8
- 死者: 乗員乗客174人中乗客24人が死亡。
- 状況: 統合失調症の機長が着陸直前に逆噴射したため、空港手前の海面に墜落。
- 詳細:「日本航空350便墜落事故」を参照。
- 1982年 8月26日
1983年
- 1983年 3月11日
- 便名: 日本近距離航空 497便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11
- 死者: なし(ただし乗員乗客52人が負傷)。
- 状況: 中標津空港に着陸進入中、滑走路手前の雑木林内の樹木に接触し墜落。 操縦士が吹雪のため滑走路の視認に気をとられ、適切な進入角度を取らないまま着陸を行ったのが原因。
- 詳細:「日本近距離航空機中標津空港事故」を参照。
1985年
- 1985年 8月12日
- 便名: 日本航空 123便
- 機種: ボーイング 747SR
- 死者: 乗員乗客524人中520人が死亡。
- 状況: 1978年6月の尻もち事故の際にボーイング社が修理ミスを起こしたために、飛行中に圧力隔壁が破壊され、操縦系統が破損し操縦不能に陥り迷走した後に墜落。単独機による事故では史上最悪の犠牲者数。
- 詳細:「日本航空123便墜落事故」を参照。
1988年
- 1988年 1月10日
- 1988年 1月18日
- 便名: 全日本空輸 779便
- 機種: ロッキード L-1011(JA8508)
- 死者: なし。
- 状況: 千歳空港に夜間着陸の際に滑走路を見失い、滑走路接地後に再浮上して滑走路の左側端に接地後オーバーランし滑走路を右側に飛び出して停止した。機体下面やエンジン下部を損傷するなど中破した。
- 1988年 5月30日
- 便名: 全日本空輸 訓練機
- 機種: ボーイング737-200(JA8455)
- 死者: なし。
- 状況: 沖縄県下地島空港で片方のエンジンを止めた状態での離陸訓練をしていた際に、滑走路を逸脱し空港エプロン上で停止した。事故機は機体各部を損傷し、損傷した左主翼から燃料漏れを起こしたものの負傷者は出なかった。
- 詳細: 「全日空訓練機下地島離陸失敗事故」を参照。