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心の哲学 Ⅰ 目次・概要
心身問題に対する二元論
二元論は、心的現象を非物理的なものとする。ヒンズー哲学のサーンキヤ学派やヨーガ学派(紀元前650年前後)では、世界をプルシャ(精神)とプラクルティ(物質的実体)の二つに分けている[8]。具体的には、パタンジャリが編纂した『ヨーガ・スートラ』が心の本性について分析的に論及している。二元論的な思想を展開したプラトンとアリストテレスは、両者とも人間の知性というものは物理的身体と同一ではありえないし、物理学的な用語で説明することもできないと主張している。二元論として最もよく知られているのはデカルトで、心には延長がないので、物質的な実体ではないとした[3]。デカルトは心が意識や自己認識と同一であると述べた最初の人である。そして、心は脳とは異なるということも主張していた。従ってデカルトが史上初めて心身論を今日まで続いているような仕方で定式化したのである。
二元論擁護論
二元論を擁護する論証のうち最も大きなものは、哲学的なトレーニングを受けていない人々の大多数の人々の持つ常識的な直感にそれがアピールする、というものである。心とは何か、と問われて、平均的な人々なら通常、「心とは心理学的な自己のことだ」とか「パーソナリティのことだ」、「魂のことだ」と返事したり、他の類似の実在を挙げることだろう。心とは脳のことであるとか、反対に脳は心である、といった考えはほぼ確実に否定されることだろう。たった一つの存在論的な実在があると考えるのはあまりに機械論的で、理解し難くさえ思われるからである。しかし現代の心の哲学者の大半は、こういう直感的な考えは誤解を招くと考えている。われわれは自然科学から得られた経験的な証拠に拠りながら批判能力を発揮し、こうした仮説を検証して、それが正しい基礎にもとづいたものかどうかを明らかにすべきなのである。
二元論を擁護する論証のうち2番目に主要なものは、心の特性と物理的身体の特性はひどく異なっており、場合によっては両立し難くさえあるように見える、ということである。心的出来事はなんらかの主観的な特質を備えているが、物理的出来事はそうではない。従って、例えば指を火傷するとどんな感じがするかとか、青い空はどんな感じかとか、快い音楽を聴くとどう思うかなどと人に聞くことは理に適っているが、海馬側背部のグルタミン酸摂取が急増するとどんな感じがするか、などと聞くのは、哲学的意味はともかくとして、直感的には奇妙である。
心の哲学は心的出来事の主観的側面をクオリア(あるいは生の感覚)と呼ぶ。痛みを感じたり、澄み渡った青空を見たりするのはなんらかの出来事であろう。こうした心的な出来事にはクオリアが関わっており、クオリアそれ自体を物理的法則には還元しがたいと思われることが、二元論の擁護される要因である。
相互作用二元論
フランス・ハルスによって描かれたルネ・デカルトの肖像。(1648年)
相互作用二元論または単に相互作用説は二元論の一種で、心の状態、例えば信念や欲求といったもの、を物理的な状態と因果的に相互作用するものとして捉える立場である(心的世界で起こる変化の影響によって、脳内の物質が物理法則に反する動きをすることもあるという考え方である)。この考えを主張したのは、デカルトである 。20世紀以後においてはこの考え方は少ないが有名な論者としてカール・ポパー、ジョン・エックルスがいる。
デカルトの有名な論証は次のようにまとめられる。 セスは延長を持たない思考するものとしての自分の心の明晰で判明な観念を持つ(延長をもたないとは長さ、重さ、高さなどの面で測定することができないということである)。彼はまた自分の身体について、空間的な延長を持ち、量を測ることができ、思考できない何かとしての明晰で判明な観念を持つ。このことから、心と身体は根本的に異なった性質を持つのであるから同一ではありえないということが導ける。
しかし、同時に、セスの心理状態(欲求、信念等)が彼の身体に対して因果的な効果を持ち、またその逆に身体が心に因果的な効果を持つことは明白である。たとえば、子供が熱せられたストーブに触れたら(物理的出来事)痛みを引き起こし(心的出来事)、彼は悲鳴をあげ(物理的出来事)、それが次に母親の恐怖と保護の感覚を引き起こす(心的出来事)、などなどといったようにである。
デカルトの議論における重要な前提は、セスが自分の心の中の「明晰で判明な」観念だと思うものは必然的に真だ、というものである。現代の哲学者の多くはこれに疑いを持つ。たとえば、ジョゼフ・アガシは二十世紀初頭からなされたいくつかの科学的発見の結果、自分自身の観念には特権的にアクセスできるという考え方の根拠が崩れたと考えている。フロイトは心理学的な訓練を受けた観察者はある人の無意識の動機を本人よりもよく理解できるということを示した。デュエムはある人がどういう発見方法を使っているか科学哲学者の方が本人よりよく知っているということがありうると示し、マリノフスキは人類学者はある人の慣習や習慣を本人よりよく知っていることがありうると示した。アガシはまた、人々に実際に存在しないものを見るようにしむける現代の心理学的実験は、科学者がある人の知覚を本人よりもうまく記述できるということを示しているから、デカルトの議論を拒否する論拠になると主張する。
心身並行説
三つの異なる二元論。左から相互作用説、随伴現象説、並行説(性質二元論は描かれていない)。Pは物理的状態(Physical state)を、Mは心的状態(Mental state)を、そして矢印は因果的な原因から結果への方向を表す。
心身並行説または単に並行説とは、心と体は存在論的に別のものとしてあるが、お互いがお互いに影響を与えることは出来ない、という考え。心的な事象は心的な事象と相互作用し、脳で起きた現象は脳での現象と相互作用するが、心と物的なものは並行して進んでおり、お互いに影響を与え合っているように見える、とする。この考え方を取ったのはゴットフリート・ライプニッツである。ライプニッツはこの宇宙には唯一の種類の実体、すなわちモナドだけが存在すると考える形而上学的一元論者であり、すべてはモナドに還元できると考えていたけれども、それにもかかわらず彼は「心的なもの」と「物的なもの」の間には因果に関して重要な区別が存在すると考えていた。彼によると、心と体はお互いと調和するように神が事前に調整してくれているというのである。これは予定調和 (pre-established harmony)の原理として知られている。
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