日本で開催されたオリンピックが2021年8月8日に閉会式を終えた。それは、異例尽くめの17日間だった。7月23日に行われた開会式は、兎に角開催を告げた。

 

コロナ禍とオリンピックが、相乗効果を齎す訳のない状況の中でだった。私の頭の中には、そんな真反対の対立を含んだ走馬燈が、様々な煮え切らない現実や思いを乗せて、ゆっくりゆっくり動いている。お盆で何度でも回っている小さなものではなく、もう2度と巡って来ない大きな走馬燈だ。

 

まだコロナ禍がどんなものかがはっきりしない頃、日本で人が亡くなった事は大きな衝撃だった。有名人が亡くなった知らせは、もっと身近にその驚きと恐怖を齎し、有無を言わせなかった。ここには特別扱いも何もなく、志村けんさんだけ名前を載せさせて頂き申し訳ないが、亡くなった方と同じ1人に過ぎない尊い命であった。2020年3月29日の事だったから、彼是1年半になろうとしている。

 

オリンピック閉会式(8月8日午後8時)現在の新型コロナウイルス感染者は国内の確認で103万2444人と膨れ上がり、1万5285人が亡くなっている。今は、何度かの緊急事態宣言が出されている最中の都道府県があり、兵庫県は蔓延防止等重点措置の中にある。

 

しかし、オリンピックは基本的に無観客の中で行われ、テレビはLIVEで放映された。只部屋に籠っている私に取っては、2、3メートル先に目に入る戦う競技者達の全身全霊を上げての姿には、釘付けになってしまったと言ってもいい。しかも、全世界から集まった、最高の技が観られるのだ。どうしても、応援してしまう自分を払い除ける事は出来なかった。

 

私は色々な戦いを観て感動を貰ったり、残念な気持ちになったり、色んな競技を知ったりもした。もう誰にも結果は分かっている事だし、観たもの全てを書く事は流石に憚られる。これが書きたいとかは特になく、それは時ある毎に思い出せば済む事だし、その方が自分の心に全て共有出来ると思うからだ。

 

ソフトボール、野球、空手の型、卓球、バスケットボール・・。上げれば切がないし、だらだら長くなるばかりだ。

 

ゴルフは長時間だがずっと観ていたので、これは載せて置くのも自分の思い出ともなると思う。

 

稲見萌寧の4日目の後半の追い上げが素晴らしかった。12番ホールから連続4バーディーは並ではない。実力があると心から思った。

 

アメリカのネリー・コルダは、単独1位だった。だが、矢張りゴルフにも思わぬ事が起きる。単独ではなくなったのだ。しかし余裕があるのだろうか、動作にはちょっとした所に苛立ちは感じたものの、表情は淡々としていた。

 

台風10号の影響で、4日目は中止になるかも知れないと言われていた。それが、4日目最終日を迎えていた。最後まで行くだろうと思っていた矢先、最終ホールの1つ前で雷の警報音が鳴り、選手達はクラブハウスなどに避難した。17番ホールの5メートルほど残したバーディーは、18番ホールへの金メダルの為のウイナーズカーペットではないかと思わせられた。

 

ゴルフと言えど自然の中でやるのだから、大雨や強風や雷での一時休止や中止はないとは限らない。今回は黒雲や雷だけなので、解説者は暫くしたら再開出来ると言っていた。それが、全くそのようになったのだ。ドラマチックだなと思わずにはいられなかった。意外と早く再開となった。

 

ネリー・コルダとリディア・コと稲見萌寧の三つ巴の様相を呈して来た最終ホール。稲見萌寧は最終組の1つ前で、先に18番ホールを済ませなければならなかった。2日間は、このホールはバーディーで上がっていた。

 

ティーショットはフェアウエーに運んだ。これなら、2打目がツーオンすれば悪くてもパーで上がれると思っていた。流石に頑張っている。これなら、念願の金メダルは手に届くかも知れない。だが、クラブ選択に迷いがあったのだろうか。グリーン手前のバンカーに入れてしまった。このホールはパー4だから、3打目がカップインすればバーディーだ。だが、グリーンには乗ったものの、カップまでのかなりの距離を残した。パーには僅かに惜しかった。

 

ネリー・コルダーは、いいショットを決め、2打目をグリーンオンとした。これでパーでも後2打ある。それで金メダル確定だ。3打目を、カップ直ぐに転がした。これは楽に入る距離を余裕で残した。最後のカップインでパーとなった。流石の金メダルである。

 

稲見萌寧はリディア・コと同スコアとなり、銀メダルをかけてのプレーオフとなったが、最初の18番コースで早くも稲見萌寧が銀メダル、リディア・コが銅メダルとなった。因みに、5歳からゴルフを始めたリディア・コは6歳でニュージーランドに移住し、ニュージーランド国籍を持している。日本人にも似た所があると思っていたが、韓国系ニュージーランド人で、ゴルフの天才少女と言われていたと言う。1997年生まれで、稲見萌寧は1999年生まれ。とても親しみの持てる、これから益々活躍をするだろう2人であると思った。

 

チャンネルを替えると、女子の体操をしていた。いきなり跳馬を跳んだ女性がいた。何だか少し年配である気がした。案の定、現在46歳だと言う。10代か20代の女子がやるものだとばかり思っていた。年齢の事は納得したが、いきなりで吃驚したのだ。1992年のバルセロナ五輪女子金メダリストだそうだ。ウズベキスタン出身1975年生まれ。チュリビチナと言う。何よりも、その年齢で頑張っていると言う事に感動した。オリンピックは8回目だそうだが、これを機に、隠退意向を表明するそうだ。

 

1人ひとりには、まだまだ色々な驚くような事が一杯あるだろうが、それを聞くためのオリンピックではない。しかし、零れ話として聞かせて貰えると、またその人の事がより分かるのではないか。世界レベルの競技を観るのも凄い事だが、その人を見るのも、人として勉強になる事だろう。

 

競技を観るだけでも、今回のオリンピックでは凄いものを見せて貰ったと思う。今の日本の状況下でなかったら、ここまで応援しながら観たかどうか分からない。少なくともレベルは比べられる筈もないしそんな事をした所で何の足しにもならない。ただ、自分自身に課して今迄自分を作って来た訓練や努力は並大抵のものではない。そのハイレベルの選手の在り方や語り口や人生は、尊敬に値すると思っている。素晴らしい世界を見せて貰っただけでも、うんと得をしたような気になった。

 

同じ地球に生を受けている人間1人ひとりに敬意を捧げたいほど、人1人には、それだけの素晴らしさがある事を思い知らされる。

 

私の大きな走馬燈は、ゆっくり回りはするが、もう反対に回る事はないだろう。終わった。17日間が、あっと思う間もなく、終わってしまった。

 

少し数も減っているようだが、真夏のクマゼミ達の声を残して・・。そして、オリンピックの霞が関カンツリー倶楽部のゴルフコース上では、懐かしいミンミンゼミの声が聞こえていた。こんなに暑い気温の中で、女子選手達は4日間も歩き回っていたのだ。ミンミンゼミの声がどのように聞こえていただろうか。

 

日本でのコロナ禍でのオリンピックが終わった。