先月(6月)の26日から、腰が痛く感じるようになった。それから、いい姿勢をすると左の腰や脚が痛くなった。
次の日は、家中を違和感のある歩き方をする男がいた。それは私です(笑)。笑っている場合ではない。びっこをひかないと歩けないし痛い。その度に、大きな音が響く。痛いの何の、子供の頃見た私の遠い大田舎のおばあちゃんのように、90度体を倒さないと歩けなかった。これを最敬礼と言うのだろうか。そんな姿勢を取った事は未だになかった。
まあ、次の日には治るだろう。そう思って寝るが、どんな形になっても痛い。脚を上げると良さそうだ。反対の脚に乗せて暫く痛さを凌いだ。それが分かると他の体位も考えて痛くない形を探した。何とか眠れるようになった。
朝起きると暫くはいいが、軈てあの痛さが巡って来た。家中に違和感のある音が響いた。遂に29日には垂水駅に近いレバンテの2階にある整形外科に行った。随分昔の診察券があった。表のマジックインキで書いてある番号も、何故かレトロのようにぼやけていた。
8時30分から始まるのを調べて、バスに乗って行った。10分位早く並んだ。もう十数人並んでいる。
呼ばれるまでに時間は掛かったが下はパンツだけの姿で、脚気か何かを調べる様な器具でコンコン叩かれた。診察室のベッドに横たわり、言われる通りに体位を変えた。別室でレントゲンも撮られ、まるでそれは撮影中の女優のように、言われるがままに姿を変えなければならなかった。
背骨の下部は正常ではなかった。何だったか忘れたが、狭まっていた。先生が診断した結果は「根性坐骨神経痛」。もう1つは「変形性脊椎症」。いやだいやだ、中学生の頃は陸上部で、走り幅跳び、走り高跳び、三段跳びなど跳躍ものは得意だった。それが、平家物語の「祇園精舎」は私に語り掛ける。「奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」。そうだろうな。今は走り高跳びも弾みを付けて走る事さえ儘ならず、3~40センチさえ跳べないのだ。「猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ」。空しいものだ。坐骨神経痛になるのも分かる気がする。
いたたた。薬も4種類も貰って帰る。鈍痛が起こるので、歩いては立ち止まり最敬礼をする。誰が見ていようがお構いなしである。痛いのだから仕様がない。寝る時は、体位を考えないと痛くて眠れない。先生は、
「1週間したらいらっしゃい。何かあったらその時は来て下さい。今度は立ち話するだけですから」
這って歩きそうな日は減って来た。真っすぐ立って歩く時間も増えた。だが、相変わらずパソコンの前に座っている。これが原因のような気がしているのにだ。
7月5日には整形外科に行こうと思った。薬だって、6日の朝までしかないから。家を早く出て、レバンテ2階の医院には8時30分にまだ15分もある状態で着いた。それでも、何と18人程が並んでいるではないか。
時間になる前に、並んだ人たちは中に招き入れられた。
「どうされました」
受付の人が聞いた。
「この前が初診で、1週間経ったら来るように言われていまして」
「そうですか。リハビリはどうされますか」
毎回バスに乗って10分だけ腰を温めるリハビリは、風呂の温度で十分な気がした。その上、積み重なると大変な料金になる。
「家では風呂に入っているので、温かくするリハビリは要らないと思います」
「分かりました」
また、違った人に確認された。
「今で14番目です。時間が随分あります。リハビリはどうですか」
つまりり待つ間リハビリで時間稼ぎをすると言うのだ。
「待つ時間は、1時間はあるんでしょうね」
その人は何にも言わなかった。そんな事、はっきりとは分からないから。
「先生が、立ち話で済むからと言っておられました」
そう言うと、ずっと奥に行くように指示された。すぐに済む人の並んでいる所だった。本当にすぐに順番が来た。
「どうですか」
先生が聞いた。
「この辺が痛くなりますが、大分良くなりました。止まって屈むような事は殆どなくなりました」
「良かったですね。薬はどうしますか」
今迄の薬を貰う事になった。神経の痛みを緩和する為の薬は、倍の量貰う事になった。2週間分要るかと言われたが、1週間分にして貰った。会計で待つ間壁を見ていた。京都大学の博士課程を終わった証が貼られており、ノーベル賞を貰った山中先生とのツーショットの写真も貼ってあった。とっても恰好良く見えた。
9時半には医院を出て、薬局に行った。薬剤師と色々喋った。何だか、何も考える事もなく構える事もなく話した。向こうから面白く話して来る人だったら、こちらもその気になって話す。つい前に郵便局に行ったが、とても接客に慣れた人がいた。ゆうパックを買いに行ったのだが、その人は話し好きの人のようだった。何かの拍子に、
「30代ではないですか」
と、私が言った。ちょっと間違ったかなと心配していると、
「私は52歳ですよ」
えらいあっさりと歳を言った。驚きながら帰ろうとしていた。
「上手いですねえ」
と言う言葉が背後に聞こえた。他に人もいるのにと思ったが、話が好きな人のようで、どうしてこんなに面白いのだろうと思ったりした。
さて、今日は寿しを買って帰ろうと思った。えびすと言う寿司屋さんで、開くのは10時半である。隣りがミスドだ。そこで時間を潰す事にした。パイとドーナツを選び、コーヒーを貰った。入口に近い場所に座った。大体女性が多い。
ゆっくり食べたり飲んだりしたが、それでも時間はすぐには経たなかった。コーヒーのお代わりは自由だと言うので、もう1杯貰いに行った。先に来ていた人達が1人だったり何人だったリかしたが、何故かチラッと私に視線を向ける人がいた。ほんのチラッとだから、ホンチラ(笑)。緑色のパンツに緑のTシャツを着ていたので目立ったのか、マスクをしているから全体の顔が分からないので10歳位若く見られたのか。うふっ。
外は疎らに人が往来しているのが見える。私と同じような、ポロシャツを着た男がこちらの方向に歩いている。やっぱりだ。お腹に西瓜が入っているかのようだ。まるで私の姿を観ているようだった。これぞ初老の悲哀。ホンチラだなんて言っている場合か。
そうこうしている内に、10時30分になった。返却口にトレイを持って行き、隣のゑびすへ行った。夫婦がいたが、まだ開いていなかった。暫く待っていると、暖簾を持った男が透明のドアを開けた。2人は手を消毒し、額の体温を測られた。私は持ち帰りだったので、体温の測定はなかった。
結構長く居たミスドでは、文化ホールでのオカリナフェスティバルの挨拶を考える事が出来た。いつも、これが厄介だ。何をどう言うのかは、そんなに私には簡単な事ではない。ミスドがなかったら、ギリギリにしか考えなかっただろう。尻に火が点かないと動かないのが、私の悪い癖なのだ。
いつもはスーパーで稲荷寿司を買ったり安い握り寿司を買ったりする。だが、稲荷はどれでも美味いが、握りはやっぱり違う。今日の昼食は久々の握り。流石に満足感に溢れた。
1時から韓国ドラマ「帝王の娘スベクヒャン」。3時からは中国ドラマ「瓔珞(エイラク)」だ。その間の1時間が唯一オカリナの練習時間となる。韓国ドラマは50回を超えたとは言え、まだまだ続く。108回が最終回だと分かっているからである。中国ドラマは70回で終わるので、後10回位となる。王朝の時代のドラマは、どちらも面白くて堪らない。その後は、「水戸黄門」が控えている。その後は大相撲。白鵬が帰って来たが、まだ行けるか、それとも引退か。
イレギュラーの1日を書いてみた。第20回オカリナフェステイバルin神戸ファイナルの日が、音無しで加速しで忍び寄って来る。先ずリハーサルの日まで、後3日。多分ズボンが小さくなっているに違いない。もう美味い日本酒を飲んで、寝ちゃえ(笑)。