私は、オカリナと名の付くもの全部入れれば、80個位持っている。それらの大手メーカーや工房の名称は伏せて置くが、30年位前から下手の横好き丸出しの私は、或るメーカーのオカリナを何個も買い続けた。これしかなかった所為か、これがオカリナの音だと思ってか、同じ種類のものでも尚もっといい音のものはないかと取り寄せた。
私のオカリナ歴を述べる積もりもないのだが、それから美しいカラフルなオカリナを紹介して貰い、オカリナの他の音や形に興味を持った私は、試奏も出来る筈もない遠くのそのオカリナ工房に電話をした。随分大胆な質問をしたものだと思う。
「一番得意なオカリナは何ですか」
「私は、ソプラノC管が得意かも知れません」
それを聞くとどんな音かも分からないのに、即座に4本注文した。何よりも早く手に取ってみたい衝動に駆られていた。何故かわくわくした気持ちが止まらない。SC、SG、SF、MCの4本は、今とは違って意外と早く送って来た。SCは黄土色、SGは赤色、SFは青色、MCは黄土色に赤や緑の色が模様のように塗られていた。この時の感動は今でも覚えているが、枕元に置き、1本は胸に抱いて寝ていた。
音より、その色の美しさと豊満な形に魅せられた。音も最初のメーカーの音とは、遥かに違っていた。良い悪いはない。人の好き好きだからである。私には、これこそ私に合ったオカリナだと思ったのである。その感動の所為で、東京都町田市まで会いに行ったのだ。それからこのオカリナで吹く事になり、その工房のオカリナも20個にはなったと思う。
吹く技術もなく下手は変わらないものの増えて行き、まるで骨董収集家のようだった。私の還暦は自分で祝った。この工房のオカリナを7本注文した。SC、SG、SF、MC、AG、AF、BC。最初の4本は赤色、後の3本は青色を指定してお願いした。
やっぱり美しいが、音は以前の同工房のものとそんなに変ってはいない。それでも音より色を求めてかAC管などは5本もある。これぞオカリナと信じて止まなかった。
最初はメーカーのオカリナが私の中心だと信じていたが、工房のオカリナと出会うと、早々に私のメインオカリナとなった。これが浮気と言われるものなのか。
その後少しずつ、点々とオカリナ工房を知ることになる。或る工房のものを注文する。オカリナと言うものは、或る人がこれが良いと言ってもそれが万人の好みとはならない。それを演奏している人が吹いているととても感動するオカリナであっても、自分に合うとは限らない。息の強さとかスピードでも変わるので、442ヘルツで気持ち良く吹けなければ、自分では上手いと思っていても、少し低い音になっていたり逆に高くなったりする。大抵442ヘルツで作られているから、442ヘルツのピアノとコラボする場合、ずれが生じ不協和音となってしまう。
その人に合うオカリナと出会う事が念頭になければならないと思っている。勿論、上手い人やプロはオカリナに自分を合わせて吹けるが、そんな訳で、もっと自分に合うオカリナはないのかと、オカリナ探しの深みに迷い込む旅が始まるのだ。
次から次へと違った工房のオカリナをフェスティバルなどの出店で試奏させて貰い、買ったり頭にインプットして置く事になる。浮気は止まらない。最初のメーカーのものは使っていない。がしかし、そのオカリナで演奏活動をしているプロもいる。美しい良い音だが、もう戻れない。
次(初出)の工房のオカリナは、今も愛し続けてはいるが、メインからは外れた。メインとは何か? それは今活用しているものの事だと私は思う。現実に幾つかの工房のものを使っていると、それらはメインだと言っても良さそうだ。その中で、とてもよく使うものをメインだと言うのもいいかも知れない。
何もオカリナのメインの定義を決める必要はないだろう。ただ、オカリナの基本的中心的なものはやはりアルトC管なので、それを使っていれば、幾つか違った工房のものがあってもメインと言っても良い気がする。又はその中でも特によく使うもの、私情を挟むが一番好きなものをメインと唱えても悪くはない気がしている。そんな事人其々だと言うのが、一番正解に近いかも知れない。ただ私にはもう、最初に書いたメーカーや工房のオカリナでの演奏はなくなった。
1つのオカリナで満足できなくなった私は、次々にオカリナが溜まって行った。それをオカリナ行脚と名付けたが、まだ吹きたい工房のオカリナはある。だが、これだけオカリナを集めた私は、流石に多くの散財をした事を認める。そして、宝くじでも当たらない限り、もう買う事はない。
指の穴の間隔や並びが私に合っているか。色や形を気に入っているか。息の強さに合っているか。音色に惚れ込んでいるか。音が遠くまでよく響くか。私のオカリナ行脚での選ぶ基準が固まった。だが、これ以上集める訳には行かない。まるで放蕩息子のようだった。
今更に考える事がある。ホールで演奏するチャンスがあった時、マイクなしの演奏となった時、その音は大きな音が出なければ感動も薄れる。自分の技術のなさを放置してこんな事を言えた義理ではないが、大きな音で遠くまでよく響いて欲しいのだ。そんなオカリナを求めている。プロ用の息を強く入れるオカリナも売れている。だがそれは、遠くまで大きく響くのは分かっているが、自分の息ではとても及ばない。ともあれ先にも言ったが、もう買うのはご法度なのだ。
数年前、日本オカリナコンクールシニアの部にエントリーしたが、初めて淡路島の工房を仲間と訪ねた。私は少しでも大きな音で響いてくれるオカリナを、試奏をしながら探していた。その中で、これだと言うAC管を見付けた。すぐに購入した。これなら先ず先ずホールで響いてくれるだろうと思ったのだ。コンクールから1週間前の事だった。
今回で20回目となるオカリナフェスティバルがファイナルとなる。2曲ともオリジナルの曲でピアノ伴奏をお願いしているが、この淡路島の工房で出会ったアルトC管と、私には指の感じが合わなくて人に譲り、たった1本残っている1,000度位で焼いているだろうソプラノF管を使う。余り吹いた事もない多くの人やプロも使用するこの本焼きのオカリナを使うのは、音が明瞭で良く響くからである。しかし、私にはまだ上手く吹けないでいる。もう1つは、台湾製でかなり有名なソプラノC管だ。やや音が小さく、出来たらもう1つの台湾製のオカリナだったらと思うが、これが手元にあれば私としては完璧に近い。残念だが、今の私にはご法度である。
これが私のオカリナ遍歴の浮気の顛末の粗筋であるが、浮気と言っても決して浮気とは言えないと思っている。その時は真実好きなオカリナだったし、これ以外私のオカリナはないと思っていた位だ。それからも出会うオカリナに対して皆そんな気持ちだった。だから、その時その時が、私の本心だったと言える。買う前に迷い悩み逡巡し、そのエネルギーは膨大なものだった。
以前のオカリナもたまには箪笥のような引き出しから出して吹いてみたりするが、このオカリナでなければだめだと言う拘りのオカリナもある。2度目の工房で買って、長く暫く吹き捲っていた色の美しい芸術的なオカリナの薄緑色のオカリナは、私の作っていた曲「モンゴルの少女」にはこのオカリナを使う。モンゴルの草原の色を想像しながら吹く。この工房の同じMC(アルトC)管でも、微妙に音が違い、またその草原色でなければ気持ちも開放出来ないのだ。
私が親しみを覚える「東京ららばい」には、数年前に目にする事になった工房の水色のオカリナを使う。息の使い方や強さが私や曲にはよく合うと思うからである。この曲にはこのオカリナだと決めて演奏する事だってあるのだ。
今まで集めたオカリナも、吹かなくなったからと言っても捨てがたい。オカリナを吹いて来たささやかな歴史だと思うと、捨てたり譲ったりが出来ない。断捨離出来ない人の気持ちが分かりそうだ。思い出もあるからだろうが、思い出や思い入れのない人に断捨離をお願いしたら、全部捨てられるに違いない。
また、自分で要らなくなったオカリナなど、誰も欲しいとは思わない。自分が好きだと思っているオカリナは、いとも簡単に人の手に落ちるだろう。オカリナはどんどん変わって行ったが、そのどれもが本気だった。
音への追求と好奇心に依って、心は弛まぬ次への憧れにときめく。