8月の最後の日、私は薬を貰いに行った。朝でも暑く、汗が腕に吹き上げて来た。

 

途中のお寺のガラス入りの掲示板に、「汝は代わる必要のない人生を生きている」と書いてあった。

 

A「代わる必要のないとは、どう言う事ですか」

 

B「先ず漢字に気を向けると、他の人と代わる事など出来ないと言う事です」

 

A「自分のままでいいし、そうであってこその自分だと言う事ですね」

 

B「そうです。前向いて生きると言う事です」

 

A「じゃあ、何もしなくてもいいと言う事で、してもしなくても自分なんですね」

 

B「そうなんです。自分は1人しかいないと言う事ね。でもね、変わる事は自由ですから、ここなんですよねえ」

 

A「何もしなかったら何もしなくて生きられるけど、それは勿体ない生き方だと思いました」

 

B「つまり、前向きに歩いていたら、人はどんどん変わって行くと言う事になるんです」

 

A「そうなろうとする気持ちが、自分をどんどん変えて行くと気付きました。どこでそんな気持ちになるのかが人生の勝負の時なんですね」

 

B「他の人にはなれないけれど、成長していく自分にはなれる。そのように一生気付きながら生きるのが人生なんですね」

 

私は自問自答しながら歩いたら、そこはもうクリニックだった。

 

明日からはもう9月。帰る時には、気持ちは昨日に続いていた。

 

年金暮らしの私が、休む暇もない数日を過ごしていて、こんな暮らしを学生時代からしていたら、もっと違った自分に変わっていただろうと思う。やっと自分が如何に掛け替えのない存在か、やればもっと凄い事に出会っていただろうと思う。歳を取ると、やけにそんな事に気づかされる自己矛盾。それでも、今思い実行する事が始まりだと思う。何が出来るかなど考え過ぎないようにして、只管前に進む事だと思った。

 

3時前に、もう仕事は止めなければ。そう考えて、バス停に急いだ。暑い。汗が額からも流れ落ちる。器械だけが並んでいる銀行のシャッターと入口が作り出す空間に入って行った。ひょっとしてクーラーは動いているのではなかろうかと。涼しくはなかったが、外よりはまだマシだ。

 

バスが来て、疎らな車内に入って行った。クーラーの小窓を自分の方に向けると、次第に火照りは納まって行った。

 

三宮に着くと、阪神電車に乗った。大石駅で降りて歩いた。熱中症になっては困るので、自動販売機にお金を入れた。だが、ポカリスエットは出て来なかった。

 

途中でファミマに入ってポカリスエットを買った。沢山あるではないか。外に出ると、何かぽつりとしている。慌てて傘を買った。「65cm折れにくい耐風554円+税」と言うビニール傘だ。勿体なかったが、まだポツリは続いていた。

 

真っすぐに北に向かって歩くと、10数分で灘区民ホールに着いた。ピアノ伴奏をして貰っているS.Sさんの生徒の発表会、「第22回リトルコンサート」が1時からあるのだった。誘いを受けて、必ず行くと決めていた。だが、1時から聴く事は出来なかった。年金暮らしの私に、こんなに休む暇もない仕事は珍しかった。

 

5回に上がると旦那のSさんが受付にいた。4時を過ぎていたのだが、彼はその発表会に5時半頃出る事になっていたのだ。彼に会ってほっとしながらホールの中に入って行った。

 

1部から4部までに分かれていて、1部は小学2年生までの部だった。「かえるのうた」とか「ブンブンブン」とか「パプリカ」まであった。それでも20人いる。2部は21人。これは小学3年生から6年生まで。

 

私は3部の6番バルトークの「ルーマニア民族舞踊」から聴いた。中学生だけだった。これは13人。この位弾けたら、私でも一目置かれたかも知れなかった。

 

10分の休憩があって、4部になった。これは高校生以上だ。最初に出て来た人を観て、えっと思った。横浜の妹と間違いそうだった。間違うと言うか、遠くから見ていてもそっくりだった。服の好み、帽子のグレー、動作もよく似た動きだった。顔も同じに見えた。ここは12人だった。

 

余りにも上手く、最後まで感動的な癒しを貰った。折角だから、曲名を並べてみよう。

 

 1.月の光  ドビュッシー

 2.エレジー  ラフマニノフ

 3.狩の歌  メンデルスゾーン

 4.ノクターンopp33-2  ショパン

 5.グノシェンヌ  2番、5番  サティ

 6.ノクターン「遺作」  ショパン

 7.喜びの島  ドビュッシー

 8.バラード1番  ショパン

 9.前奏曲「鍵」  ラフマニノフ

10.愛の夢  リスト

   エチュード「木枯し」  ショパン

11.即興曲No15-5  プーランク

   エチュードopp8-2    ショパン

12.スケルツォ2番  ショパン

      

ステージの後ろの板壁の色とよく似た色の服を着た高校生だろうか。その同じような色彩のワンピースは、絵のように見えた。私が画家だったら、この女性の絵を描いたに違いない。

 

最後の女性の演奏は圧巻で、始めのお辞儀にも当然のような拍手があったし、終わってからも、期待通りだったかのような大きな拍手だった。楽譜などは持って出て来ていない。こんなに長い曲が、全て暗譜だった。私にはない能力だ。

 

全て終わって、ロビーのソファーに座っていた。

 

「待っていてくれたんですね」

 

と旦那さんが出て来て言った。

 

「もうちょっと待って下さい」

 

暫くして、妹にそっくりのOさんが出て来て、受付の場所でゴソゴソしていた。幾つかのグループでまとまっていた人達も、やがてエレベーターに乗り、消えて行った。何で妹にそっくりのOさんがいるのかと不思議で、チラ見していた。それがこちらに向かって歩いて来た。すると、

 

「もうすぐですから」

 

と知らない筈の私に言って、ホールに入って行った。モニターには殆ど誰も映っていなかった。

 

また戻って来てゴソゴソし始めた。やっぱり、そこに妹がいるように感じた。似たような人はやっぱりいるんだと思った。

 

大きな荷物を持ってSさんもS.Sさんも出て来た。私もゴミ袋を持ってエレベーターに乗った。顔はしっかり見たが、これは妹のようではなかった。違うのはここだけだった。

 

外に出るとすぐ横に、狭い信号付きの横断歩道を越えた所に居酒屋はあって、お誘いのメールには「ホールから30秒です」と書いてあった。多分1分は掛かったと思うが、この表現はインパクトに富んでいた。妹に似たOさんは、一緒に付いて来ていて、やっと一緒に飲むんだと察した。

 

8人座りの入り口付近の座敷に上がった。フレンズ・ディスタンスにはもってこいだった。

 

ビールは美味かった。皆、コロナ禍以来こんなにして飲んだ事はなかっただろう。そのOさんとさえ、ずっと友達であったかのように気楽に話した。SさんやS.Sさんとは元よりだが、Oさんはつまり、S.Sさんとは高校時代からの友達だったのだ。ここに一緒にいる理由が氷解した。

 

Sさん縁の城跡や神社に荒れた山道を歩いて行ってみた話。そこに鷲が飛んでS.Sさんの頭上を10回程旋回して城跡に消えた話は、まるでドキュメンタリーだった。こんな話初めてで、とても興味深かった。

 

Oさんは留学した事があって、今も英語を教えたりしているらしい。

 

「1分でもいいから、全部英語で喋ってみて下さい」

 

と、無茶振りをした。発音も、話し方も、本場アメリカ仕込みだった。妹似のOさんの事が少しでも分かって新鮮だった。コロナの影響で他人と滅多に会わない暮らしをしていた私は、皆もそうであろうとは思うが、柄にもなくはじゃいでしまった。

 

Sさんは、

 

「プードルのチェリーちゃん、雷に怖がっていないかな。明かりを点けて来たらよかった」

 

と言った。2時間半もいた居酒屋に、入る時も出た時ももう雨は降っていなかったが、雷が轟いていたなんて、ホールの中では思う由もなかった。

 

S.Sさんには、本当にお疲れさんでした、と言いたい。