令和の言葉を余り発した記憶がない。馴染めないまま大晦日を迎えようとしている。
令和と聞くと平和が浮かび、平和と聞くと平成が浮かぶ。元号が変わると、いつでも2つの元号に分割される。平成31年と令和元年2つで2019年をつないで行く。もうすぐ令和2年になるのが余りにも早いのは、令和元年が8ヶ月で終わるからである。
今日(25日)の午前中の私の行動と心情を描いてみよう。
事の起こりは2年前の事だった。左の鼻の奥に何か詰まっているらしく、鼻から息を吸ったり吐いたりすると中でペコペコ動いていた。強く「ふん」とやったら、何かが飛び出すのが常だった。今回は、どんなに頑張っても出ない。その日を過ぎ朝になっても、一向に姿を現す気配がなかった。
近くに、人がよく並んでいる耳鼻科を何度も見た事がある。殊勝にも、そこで診て貰う決心をした。女性の先生だった。てきぱきとした働きぶりを、自分が現役の時の姿と比較していた。比べるのが野暮と言うものだ。職種が違うので。
兎も角、その事を話すと、内視鏡を鼻に入れ、こう言った。
「これは鼻の奥にくっ付いている良性のものですが、今は小さいけれど大きくなったら鼻を塞ぎ、息が出来なくなります」
と言い、
「すぐに手術をして取って貰う方がいいと思うので、病院に紹介状を書きます」
インターネットで連絡すると、すぐに予約が取れるそうだった。余りにも急なもので、
「いつか行きますので」
と言うのが精一杯だった。てきぱきとした働きは、こんな所にもすぐに現れた。いい先生だなあとは思ったが、急に行って手術などされては困る。まあ、困るのではなくて、不安で怖い。
この女医さんは、私に紹介状をその場で書き、手渡してくれた。
「早く行って下さいね」
と、やや自分には脅迫にしか思えない、優しい言葉にリボンを添えて。
それから、何度「ふん、ふん」とやっても、厄介な鼻の穴の住人は出て来なかった。実際、鼻が詰まった事が何度かあり、布団の中で「このまま息が本当に出来なくなるのではないだろうか」と、右の鼻を押さえてみたが、左の鼻からは空気が余りにも漏れなさ過ぎて、不安は増大した。
呼吸するにまだ口があると思い、両方の鼻を指で抓み口だけで呼吸してみた。これが結構な不安材料で、苦しくなった。鼻の穴が2つある意味がよく分かった。それでも、紹介された病院には行かなかった。調子のいい日もが、俄然多かった所為で、また今度、また今度と思ったのがその理由だった。
もう2年は優に過ぎていた。令和元年の12月13日の事だった。数ヶ月前から、毎朝起きた時に1度だけ、唾に赤いものが混じるようになっていた。それにも慣れていたその日の朝、鮮血と黒い血が口からトイレの水に溶けた。思いがけぬ事態に、妄想は広がる。鼻血は最初だけで、それ以後は鼻から出て来る赤いものは見られなかった。
その日は夜まで、口から出る事はなかった。鼻の所為かも知れないと思い、2年ちょっと前に紹介して貰った病院のホームペ-ジを調べた。この日は金曜日だった。土曜日と日曜日とは、この日の出来事以前の状態のままだった。だが私の心の中は、月曜日になったら必ず行こうと決めていた。しかし、紹介状が無かったら見ないとホームページは謳っていた。
2年前のあの紹介状を探した。探しに探した。諦めかけていると、文面は何と書いてあるか分からない、病院に宛てた封筒が見付かった。これで診て貰えると思ったのは束の間、2年も経った紹介状を受理してくれるだろうかとの疑念が涌いた。普通、これはゴルフで言えばOBだ。それ以上に、ペナルティーが覆いかぶさって、とても戦に勝てるとは思えなかった。
一番恐ろしかったのは、2年前に行って診て貰った先生に事実を告げ、頭を下げて、もう1度紹介状を書いて貰うか、いやインターネットで予約を入れて貰うかの行為だ。とてもまともに先生の顔が見られないと思えた事だった。
受付で、
「ちょっとお待ちください」
と言われ、
「なんとか・・」
と言うのが精一杯だった。小さな、ぼそぼそした声を出した。色々な思いが去来した。受付の人が戻って来た。
「いいですよ」
それからだった。堂々と病院内が歩けて視界が開けたのは。
午前に診察を受ける筈だった。しかし、繋ぎのような医師ではないかと思えるような女性が廊下に出て来て、先ずCTを撮るように言った。私の診察は午後になり、午前の先生とは違った先生になった。兎も角、とても若い女性医師だった。13日にあった事や、2年間も放置していた事を話した。
「2年も放って置いたんですか」
そう言って、内視鏡を鼻の奥まで入れた。
「ああ、これですね」
パソコンの画面に映ったのは、ぼべ貝の殻側に似た拡大された写真だった。どす黒い紫色のようにそれはへばり付いていた。CTでは、点の様に写っていて、
「よく分からないから、造影剤を入れて、もう1度CTを撮って貰いましょう」
造影剤を静脈に入れてCTを撮ると、出血の場所や原因がはっきり分かるそうだ。
「いますぐでなければと言う程の事もないけれど、その日を予約して置きましょう」
それが、今日(25日)の再CT検査だった。
手術はやっぱり嫌だった。手術の事を聞くと、
「その時は全身麻酔だから痛くはないですよ」
と言った。また、追い詰められて行った。
インターネットで調べると、造影剤投入は腎臓の良くない人にはリスクが大きく、最悪腎不全になる事があると書いてあった。それがまた恐れの初めだった。私は腰の辺りが痛く、何だか左の腎臓のある部分が痛い。気になりながら、毎日を過ごした。もう、鮮血などがトイレを汚す事はなかったのがせめてもの幸いだ。
そうこうしている内に25日が迫って来る。
21日の朝だった。朝が多いが、サプリの入ったカプセルが胃の中で柔らかくなって口元に戻されるような感覚を鼻の奥に感じた。これは何か違うと思い、ティッシュの上に向けて口を開いた。ドロッとした、赤黒い、大豆のような塊が吐き出された。その時思ったのは、13日に見たあの気味の悪いぼべ貝の残骸ではないかと言う事だった。
気持ちが悪いのに、何かほっとしたような自分を発見した。その事を知った先生がもう1度内視鏡で覗いた時なんと言うだろう。鼻の中のあのぼべ貝の残骸だったとしたら・・。
がしかし、今日造影剤を投入した写真を見ながら、後日先生は何と言うだろう。鼻の中がどうなっているかなど、私には全く分からない。だが、今日以前に診察してあの鼻の中の異変に気付いたら、ひょっとして造影剤は投入のCTは、やらなくてもよかったかも知れなかった。
11時が今日の予約時間だった。CTの検査室に呼ばれ、右腕からの静脈に造影剤を入れる準備を始めた。私は、寝台に真上を向き寝た。耳鼻科だから、首から上だけをCTで撮影する。まるで大門美知子がフリーランスで活躍する「ドクターX」で、東帝大学病院に導入されたAIシステムが、病名を言ったり手術の順序を指示したりする首だけの人物を思い出し、可笑しかった。
造影剤が静脈を通り、CT撮影が始まった。体が熱くなって来たが、
「これは誰もが感じる事ですから」
と、造影剤の投与を私の血管に注入した女性の看護士が言った。CTを動かしているのは男性の技師だった。
時間の掛かる大層な検査かと思ったが、10分もするかしないかの内に終わった。案ずるより産むが易しと言った所だ。色んな事が重なった上に初めての事だったので、気持ちにも迷いが生じていたのだろう。
11時が予約時間で、病院を出たのが11時45分だった。注射した上にぐるりと巻かれた絆創膏ははきつく、10分後には取って捨てるように言われていた。水は沢山飲むようにとも言われた。
10時15分頃家を出たが、余裕を見ていた筈だった。だが、病院に着く300メートル前で渋滞が起こった。ちゃんと11時までに受付がすませられればいいがと思いながら、心の中は揺れていた。やっと動き始めて駐車場に来た時、私の前の車は遮断機が開き、中に入って行った。だが私の前で満車となり、遮断機は水平のまま、暫く待たなければならなかった。
しかし、なにものかに助けられたように、遮断機が斜めに上がった。1つ開いていたのでそこに入れ、予約の10分前には受付に行く事が出来た。その前に自動販売機で水を買って置こうと、10円玉を10数個流し入れ、110円と書かれた「いろはす」のボタンを押した。全然言う事をきかない。もう2、30円入れたが、水は出て来なかった。
返金のレバーを押したが、30円位戻り、ガチャガチャ言わせると20円戻り、後は戻って来なかった。60円所かもう少し損をした。こんな病院の中で誰かを呼んだ所で、誰が返してくれるのだろう。そうして臨んだCT撮影だった。
色々あるものだ。帰る時にその自動販売機を見た。「故障しています」と張り紙がしてあった。私の後に、同じような人がいたのだなと思った。その人は、お金を返して貰ったのかも知れないが、私はもう何も言わなかった。
朝を抜いて来ていた。帰りにお餅を買って、醤油と砂糖で煮て鰹の削り節をかけて食べようと、スーパーに入った。佐藤の四角い切り餅を買い、有田のみかんを買った。帰ったら削り節はあると思っていた。だが、それはなかった。またスーパーに又行く気はなく、久し振りにインスタントラーメンを食べた。餅の楽しみを後に置きながら、卵を入れ、胡椒を多めに入れたラーメンは、殊の外美味かった。
横浜の妹と私がとても信頼する方が横浜にいらっしゃって、祈って下さっていたのが、心配を随分軽減する事となった。感謝したい。
私の2年もの長きに亘る小さな鼻の洞窟の物語が、もうすぐどんな形で終結するであろうか。こんな洞窟の探検は、もう懲り懲りだ。