18日は雨と風。眠りに就くまで窓ガラスがガタガタと音を立てていた。明日は晴れるかな?

 

19日は5時半頃には起きて、朝を整えた。窓の外は曇っているが、雨も風もない。前日に用意して置いた鞄と譜面台を持って、7時過ぎにバス停に向かった。垂水から下り電車に乗る為に。その前にコンビニでリポビタンDを一気に飲んだ。

 

8時前の電車に乗る予定だったが、その前に来た普通に乗った。見慣れた明石海峡大橋を目に流しながら、明石駅で再び普通に乗り換えた。8時40分に加古川駅北口の外で待ち合わせているMさんと会うには少し時間があった。CDの伴奏を流してくれる中学からの友達Ki君は、構内の柱の周りのベンチに座っていた。彼は1時間は前に来て、コーヒーを飲み終わっていたのだ。

 

さる公民館までMさんに乗せて貰って、20分位で到着した。音楽は、音響が命だ。Nさんが準備をして下さっていた。彼は何でも知っていると思えたので、丸投げ状態にした。どうしたら綺麗な音で、心地良く聴いて貰えるかが私のオカリナ演奏の時の1番気になる所だったからだ。

 

ちょっと音出しをした。先ず先ずの音量だった。10時から始まるまで、控室でMさん、Ki君、私の3人で、話をしていた。Mさんは、このシルバーの会の方々の副会長をしている。

 

私の持ち時間は1時間半。オカリナの演奏と講演を依頼されている。自分なりに話と曲を交互にする事にして、一応の青写真を描いていた。メインは演奏。講演の中味は聴いて楽しいとか面白いとかの方がいいし、その為にもタイトルは「オカリナと私」にしていた。何を喋っても良い程門戸の広い演題だと一人悦に入った。

 

初めの挨拶が10分あり、それから私の番になった。

 

全く話す事には肩が凝らなかったし、時々皆が笑ってくれた。本来はどちらかなのだろうが、このやり方もありかなと思う。只、講演と言う限りは、テーマに対して一貫性がないといけないだろう。最初にこの形は、まるでレベルは大違いだが、二刀流の大谷翔平のようだと言って、少し笑って貰った。進行具合も順調のようだった。

 

ただ音が凄く大きく感じられたので会場の女性の割合が多い150人位の参加者に聞くと、やっぱり大きそうだった。Ki君に音を少し落とすように合図した。それでも、私には会場全体の音の感じが掴めない。伴奏の音とオカリナの音とのバランスもよく分からない。準備をして貰ったNさんも、後ろにいて調整もしてはくれなかった。

 

そんな不安な演奏が終わりまで続いた。親切にして貰ったのだけれど、自分でもっと確かめる事をしなかった私の否を感じて、後悔が残った。演奏会では、いつも何処かに反省点が出る。

 

PCの天気予報に載っている湿度が、何と99パーセントだった。体が熱く、演奏のシャツは汗でびっしょり濡れた。今回こそは止めようと思っていたリポビタンDが、この時間に効いて来る。顔までぽかぽかとして、気持ちは高揚するものの、いつでも熱くなる。

 

真正面に時計が掛かっている。時間の調整は出来ない事もない。だが、時間通りに終わるように言われていた。挨拶の為に10分遅れて始まった私の演奏に於いて、この10分は大きい。結論を言えば、私は自分で10分伸ばして、11時40分に終えた。1時間半と言う時間はきっちりと守ったが、この辺の事は当事者はどのように思ってくれているのだろう。初めの挨拶を聴きながら、時間が過ぎて行くのはとても辛いものがある。

 

話したかった計画の1つは止めにした。話を少し削った所もある。最後位は皆さんに大笑いして貰いたくてそれは話した。案の定爆笑で、まあそれはいいとして、拍手を貰って控室に戻った。Ki君と私と会長と副会長とで、世間話をしていた。

 

12時半までに浜の宮のすし屋さんに集まる事になっていた。時間は十分あって、Mさんにその駅まで送って貰った。とても良くして頂いたと感謝している。

 

Ki君と私が店に向かって歩いていると、矢張り中学時代の友のO君が来た。店に入ると、今回の演奏を取り持ってくれたHさんが既に座っていた。暫くしてKikさんが来て、5人はここで食べたり飲んだりする喜びを感じ始めた。

 

O君が、この前教えたスプーン折りをHさんに教えて上げるように言った。余程今でも鮮やかに印象に残っているからだろう。これはきっと誰でもが驚く。私は覚えてから20年は経っているから、自分で言うのもなんだが、上手いものだ(笑)。「僕、失敗しないので」。

 

Hさんは目を丸くしてとても驚いた。後でやり方を少し説明した。流石に、どこかで実演したいと言った。O君が、「奥さんにやって見せたら」と言った。

 

他にも手品を教えてと言われ、2つ3つ、それしか知らないけれどやって見た。これも吃驚してくれて、トランプでしか出来ないものは名刺を重ねてそれで代用した。もっと驚くのは、トランプ52枚でも53枚でも、それがなかったら出来ないものもある。この次に、機会があったらやってみよう、と私は言った。

 

よく話が終わらないものだと思いながら食べたり飲んだりしていたが、あっと言う間に3時半になった。最後に出たてんぷらは、私だけどうしてもお腹に入らなかった。柱には、持って帰らないようにと張り紙がしてあったから、1人分そのままにした。

 

そこを出ると、有名だと言うカフェに入った。シュー・ア・ラ・クレームは私だけ注文し、後は全員コーヒーを。ここで5時過ぎまで、皆よく付き合ってくれた。と言うより、私を気遣ってくれたと言った方がいいだろう。Hさんともよく会うが、彼を除いた4人は、加古川ではいつも一緒だ。演奏がある度に集まって、後で飲むのを楽しんでいる。

 

5時も過ぎる頃、外に出た。雨は殆ど感じない位に頭を緩くポツンポツンと覆った。Ki君は頻りにO君を神戸に一緒に行くように誘ったが、流石の彼もそれを拒んだようだった。「いつもは必ず来るのに」と言いながら。しかし、今から加古川から神戸駅まで行き、Kl君の行きつけの飲み屋さんに行くのは、私が逆の立場なら帰りの事を考えただけでも大変な事だろうと思う。私も疲れていたが、どうしても行きたいらしいので、久し振りの店でもあり、彼と行く事にした。揺れたら痛い帯状疱疹のお腹を抱えて(笑)。

 

感じのいいママさんだが、私を久し振りの様に眺めた。そりゃあそうだろう。1年越しだったからだ。

 

「写真屋さんのおかみさんは来ないですか」

 

「足も痛いし、店もなくなって、車に乗せて貰ってたまにきますよ」

 

そのすぐ後だった。おかみさんがやって来た。これは何と言う偶然だろう。3人共驚いた。入って来たおかみさんも驚いた風だった。

 

「今、あなたの事を話していたばかりなのよ」

 

とママさんは言った。前衛の書が額に入れられて掛かっている。

 

「これ、炎と水でしょう」

 

と私が言うと、Ki君はふーんと言う顔をした。それで正解だったが、想像力を駆使しなければなかなか分からない。

 

オカリナを吹くように頼まれたので、アカペラで吹く事にしたその時、2人の男女が入って来た。ママさんと知り合いのようだ。2人にも聴かれる事となったが、「ワインレッドの心」と「この星に生まれて」を吹いた。男は、自分はギターを弾くし、無農薬野菜を作ったり、あらゆる事を手掛けていると言った。30代だろうが、そんな仕事の社長をしているようだった。19歳の頃南米に行って、色んな事を学習したりしたとも言った。

 

私の音が普通の音ではないと言った。お世辞なんかではないと、何度か言って、「千の風になって」が聴きたいと言った。この歌を歌うのが好きだとも。

 

生のオカリナの音を聴いて感動したと言ってくれた。大きな体の人だが、掌はお相撲さんの中でも大きな手のようだった。握力は100kgはあると言った、剣道も、柔道も、空手もやっていると言う。

 

「今考えているのは、耳の聞こえない人がこのオカリナの音をどのように聞くのかを研究したい。高い音や低い音をどう捉えるかに興味があります」

 

と言った。考えた事がなかった。私には、そう言う発想がなかった。もう9時半になる。店を出たが、Ki君と、今日は色んな事がある有意義な日だったなと言い合った。

 

Ki君は新長田駅で降り、私はその先の垂水駅で降りた。今出たばかりのバスターミナルの乗り場のベンチに2番目に座ってバスを待った。空は黒く、並ぶ人も多く、夜でも明かりの多い街には人が集まる。

 

飲んではいたが、今日は千鳥足ではなかった。しっかりとした足取りで、家に向かって歩いた。準備して来た「ミックス公演会&講演会」は終わった。私の演奏は、皆に楽しんで貰う事。だが、本当は自分が楽しまなければ人も楽しくはないと思った。

 

話の内容を考えようとすると、帯状疱疹の所為か1週間前から毎日のように気力がなく寝てしまった。流石に2日前ともなると一応の形が出来た。1つの事が終わると本当にほっとする。

 

終わるとそれは夢幻となって動かなくなって行く。人間に取って、1番大切な時間は、今だ。それがベルトコンベアーのように流れ、過去を定着させ、未来を引き寄せる。今を考え、今を動く事が、それこそが自分の未来をそのように変え、造り出していく。そんな今日が終わった。