9時過ぎたら家を出た。空は青く、気持ちのいい日。今日は1時から始まる用事がある。
1時間もあったら、大阪へは行ける。だが、貧乏性の私は幾らだって待つ方がいい。遅刻は、学生時代まででいい。
兎に角、大阪駅まで新快速に乗った。今まで歩いた事のない地下を歩き、梅田に着いた。大坂メトロ御堂筋線なかもず行に乗り、心斎橋で乗り換え。長堀鶴見線門真南行に乗ると松屋町で降りた。つまり、よしゅうホールに行くのだ。
松屋町1番出口を出、高速道路の下の橋を渡る。カフェミモザを右手に見ながら右折。黄色い、中華味一番、一風亭を見ながら左折。右側3つ目のビルが、モリビル。これは、パソコンから得た唯一の情報。
大した事はないのだが、高速道路の下を渡ると思った私は、どんどん先へ歩んだ。カフェミモザなんて何処にあるんだ。不安になった私は、後戻りしてよしゅうホールに電話した。橋の事を言っていたが、橋らしいものは、私には分からなかった。
大通りの向こうに渡った。そして、混乱の中、高校生らしき2人の女性に会った。
「よしゅうホール知っていますか」
「分かりません」
「ならば、一風亭と言うラーメン屋さんを知りませんか」
「知りません」
私は怪しい人なのを勝手に自認しているのか、恐る恐るしか聞く事は出来なかった。情けない昨今だ。
そのまま、また後戻りをした。自転車で、そう急いでいるのでもない女性に出会った。子供を乗せる席がある。きっと、幼稚園か何処かに連れて行った後なのだろう。聞くかどうか迷っていた。
「あのお、ちょっとお尋ねして良いですか」
「ええ」
「初めてよしゅうホールに行くんですが、分かりますか」
「老人ホームか何かですか」
「いえ、音楽のホールですが」
「近くにラーメン屋さんで一風亭と言うのがあるんです」
その女性は、スマホを取り出して調べ始めた。
「いいんですよ、忙しいのに」
「いや、今は暇ですから。どちらから来られました?」
「ああ、神戸です」
「私、元町には何度か行った事があります」
「そうですか。三ノ宮だったら私が案内出来たのにね」
など言いながら、遂には道路の向う側に渡り、ついて行ってくれた。
駅から5分とあるにしては、私には中々見付けにくい場所だった。橋とは、これだったのだ。右を見ると、ラーメン屋さんの黄色い看板がすぐに見えた。そこまで辿り着くと、左にすぐ、よしゅうホールと書いてある建物があった。
「ありがとうございます。分かりました」
11時半から開くそのラーメン屋さんに入った。日替わりを注文して食べながら、高校野球を観ていた。マーボー豆腐は甘く、一番美味かったのは半チャンラーメンだった。ここで時間を費やす事も儘ならず、そこを出ると、商店街を歩いた。もう端午の節句の武者飾りなどが、数軒並んでいた。
12時を過ぎてよしゅうホールに戻ろうとラーメン屋さんの側に来た時、見たような顔に出会った。オカリナママさんだった。
「昼を食べに行ったんだけど、おにぎりのようなものしかなくて」
12時半から開場なので、少し周りを歩いた。半近くなって戻ると、リハーサルも終わっていたようだった。ホールに入ると、まるで電線の雀の様に皆座っていた。私は横に長く設定された会場の左端に座った。後ろの方に、目立たぬように。
4組のオカリナ演奏と、それの指導が始まった。日本オカリナコンクールの審査員の1人、エミリアーノ・ベルナゴッツィさんの指導だ。
○12人による「ペルシャの市場にて」
何処をどう吹くとよくなるか。
装飾音をしっかり出す。難しい所は、ゆっくり練習する。午前中30回。昼30回。午後30回練習する。「ドレミーレドシソー」、イントネーションを大事に、最後の音を終えに上げるイメージで(下がらない)。ビブラートがかかっていなくてとても良い。ちょっとでも指が穴に掛かると、音が取れない。何処に拍があるか分からないような吹き方は良くない。ゆっくり出来なければ、速くしても出来ない。一緒に吹き合う。一緒に聴き合う。家で、ゆっくりから練習しよう。
○釘宮さん「ある晴れた日に」
ブレスをここでやって、後続ける。フラットが6個ついている。そんな演奏したくないよね。歌の場合は歌詞を大事にする。よく表現出来ている。タンギングが「・・・・」と同じ調子。これを、表現を加えて変化させて吹く。
「何処に住んでいるの」 (エミリアーノさん)
「それは関係ありません」 (小林理子さん)
○山本さん「さくらさくら」
完璧。何も言う事ない。コンサートのよう。ビブラートが綺麗。イントネーションもいい。僕に教えて欲しい。
「でも何か?」
この曲を知らないので分からないけど、ソロにはとてもいい。最後が下がらない。「ミ」を飲み込んで、なくなっている。
○オカリナを始めて6ケ月の人。ワークショップでの曲を吹く。
今回のワークショップの曲を吹く。高い音はしっかり。息を吸える所で、しっかり吸う。低い音は優しく優しく。イタリア語では2分音符は「ウノドゥエ」と吹くが、「ソーソー」では「ソーソ」で終わっている。
○植田さんのグループ7人
どの音もはっきりと。やさしい曲ではない。低い音は、長めに刻む。
大体どの演奏も30分は掛かった。つまり2時間半の熱血指導。ちゃんと、音が変わるから不思議だ。約2時間半の、長い指導だった。「オカリナ七重奏団ゴブ」の中心に位置するエミリアーノさんの素晴らしい指導を目の当たりにした。通訳も居るが、理子さんのイタリア語も達人の域で、その場で対話をし、即時に彼の言葉を翻訳して伝える。大したものだった。
指導が終わると、皆はアルトCオカリナで、「FRATELLO SOLO SORELLA LUNA」(ブラザー・サン・シスター・ムーン)を理子さんの指揮で吹いた。大体70人位で、男性は7人だ。狭い部屋は、むんむんする。
それが終わると、エミリアーノさんの演奏が始まった。最初の曲が私が作曲した「モンゴルの少女」だった。ピアノ伴奏は藤田紗登美さん。髪が、まるでルノワールの絵に出て来る少女のようだった。私の解釈と違い、イタリアの陽気な気分が混ざっていた。参考になったのはもとより、素晴らしいものだった。
皆に紹介するものだから、私は立たなければならなかった。イタリア語など「チャオ」しか知らない私だったが、「ブラーボ」と「グラッチェ ミッレ」とは言えた。これから、少しでもイタリア語を覚えられたらなと思ったが、古稀を過ぎた頭に、どの位詰め込めるだろうか。
「オンドリとメンドリ」の後、奥様のソプラノ歌唱が始まった。ピアノとオカリナの伴奏で。美しい声だった。
ソプラノは、最後に「故郷」を3番まで歌った。言葉はおかしい所もあったが、それは歌声で十分にカバー出来た。
1番の歌詞だけ、後から皆が歌った。
理子さんは、もう時間がないからと言ったが、周りの人の要望で演奏した。エミリアーノさんと2人のデュエットだった。
最後に、エミリアーノさんは「1本締め」をしようと言う。パン! 皆の柏手が響いた。すると「三々七拍子」をしようと言った。最後の最後は「万歳三唱」を、と。私は、乗ってるなと思った。
随分な時間になり、飲み物と食べ物が用意してあると言う。残れる人は残るように理子さんは言う。私は、帰ろうと思った。オカリナママさんに、帰る旨を伝えた。だが、理子さんは、残るように言った。ワンコインでの、親睦会に参加する事となった。
これがまた楽しかったのである。唐揚げだと思ったのがクロワッサンだった。アサヒスーパードライの缶は、結構置いてあった。これこれ。これさえあれば、私は帰る理由がない。
エミリアーノさんと私は急接近した。また、他の人とも話し始めた。それもこれもビールの所為。エミリアーノさんは面白くて明るい。イタリアは、そんな人物を作る国なのだろうか。楽譜を上げたのが縁かも知れないが、それはハグと握手に繋がった。
まあ、私も喋ったし、奥さんにもマークされ、メールアドレスを差し上げる羽目になった。「イタリア語で送るから、翻訳機で日本語に変換して」と。やっぱり、「モンゴルの少女」の所為だ。もう「イタリアの少女」にしようか、などと、本気じゃなくて思った。
「モンゴルの少女」は、イタリアや韓国やその他の国で演奏しているとエミリアーノさんは言った。この曲が好きだと言った。或る人からも、この楽譜が欲しいと言われた。
「10月はイタリアで演奏会をするけど、来れる人は何人いるかな」とエミリアーノさん。10人所ではない人が手を上げた。彼は私にも「是非来て」と言った。私は「無理だ」と返した。「行くなら5年後かな」と言った。そう易々と行ける訳がない。
写真をエミリアーノさんと撮った。私にもこんな笑顔があったのだと思える顔に写っている。大体、写真を撮られるのは苦手なのだ。エミリアーノさんは役者だし、人を楽しくさせる能力を持っている。奥さんも入れて3人でも写した。何故かは分からないが、こんなに親しくなれるとは。そんな時はいつでも思う。きっと昔、何処かで、何らかの形で出会っていたのではないだろうかと。
そりゃあ、イタリアには行きたいし、オカリナの元祖、ドナーティさんの住んだ所、また像をみてみたいと思うから。
5時半になろうとしている。充実したひと時だった。こうして後も残ったから、楽しい発展があった。歳は関係がないのかなと、ちょっと思ったりした。それとも、少し若く見えるのかも知れないと思ったり。古稀を過ぎても、はしゃいでもいいと思えた26日の思い出だ。