私は帰る、出雲へ、故郷へ。
「一枝の椿を見むと故郷に」。原石鼎はそう詠んだ。それは、「故郷へ」ではなく、「故郷に」だった。今は、出雲の一の谷公園に、それは形のいい石に刻まれている。昭和10年の作で、ご母堂が危篤で出雲に帰った時の句だ。私はその10年後、終戦の年に生まれ、明治生まれの祖母は、原石鼎に師事した。
7月23日の午後3時に、私が運転する車は285キロの道を、出雲に着いた。上の妹(K)に会い、スーパーで買い物を付き合った。それから暫くして、羽田空港から出雲縁結び空港に着く、横浜の下の妹(T)家族を迎えに行った。6時30分着が25分に早まっていた。
この日から4泊5日の滞在がKの家で始まり、私は1人、Tの家族は4人だった。それで、6人での生活が始まった。
23日夜は、誰かが出題し他の者は紙片にそれに関する文章を作ったりして遊んだ。いつもそうだが、2時までは皆起きて、それに加わった。
24日は、私の日だった。小学1年から3年まで担任をして頂いた男先生は、皆が尊敬する島根を代表する書家でもあった。今、多伎町には、もう80歳にもなろうとする娘さんが1人住んでいる先生のお宅を訪ねた。その時の同級生だったU君と奥さんとの3人だが、数年前からお邪魔して飲んだり食べたり歓談したりしている。奥さんは、帰りには運転して貰う為にも、100パーセント大切な人だ。
11時に出雲の商工会館で待ち合わせ、最初はU君が運転する車に乗った。
もう、散らし寿司やあて、またビールなどが用意されていた。私とU君は、早速アサヒスーパードライを飲んだ。U君は蕎麦を打つ。出雲蕎麦は帰ると必ず食べるが、今回は彼の打った蕎麦を食べた。大した腕前である。三段重ねのそれと散らし寿司で、お腹は一杯になった。
話が途絶える事はなかった。先生の書が残されている。素晴らしい書である。
私は先生の娘さんのピアノで数曲童謡や唱歌をオカリナで吹いた。所謂コラボである。それが済むと、いつもだが私がオカリナを演奏する。ジャズは殆ど吹いた事もなく造詣もなく、テンポも無茶苦茶で失敗した。
美しいメロディーの曲を吹いた。それは「My memory」だった。15年以上前の「冬のソナタ」の曲なのだが、今頃になって古く新しい。U君の奥さんは、当時は冬ソナにはまっていたみたいで、懐かしく聴いて貰った。
アカペラでは、松尾和子の歌う「再会」を吹いた。娘さんは口遊んでいたが、カラオケでも歌うそうだ。
そうこうしている内に5時が過ぎた。5時間もいたが、何故か気の置けない4人だった。帰る頃もクマゼミが鳴いていた。
6時に別の3人と会う約束をしていたが、私は結局30分遅れてしまった。それでもD君は、高校生の時親しくなった男だ。Ko君と3人で7時に閉まってしまう喫茶店で会った。店主は、よく利用するD君を知るよしみで、7時半前でも何も言わなかった。
D君の車で、Ko君と私はスナック輝子まで送って貰った。彼は体の調子が悪く、そのまま帰った。
魔女会を立ち上げていて、女性は2月に1度は会っているそうだ。その女性はママも入れて今日は7人が来ていた。男は付け足しみたいなものだが、それでも歓迎してくれる。毎年、必ずここに来る。皆、小学校時代の同窓生だ。ママはいつも帰ってくると、「おかえり」とと言ってくれる。
11時までいたが、誰だったか覚えのない男が2人いた。その中の1人が、自分が酔う前にオカリナを吹いて欲しいと言った。ラジカセも持って来ていたので、伴奏付きで吹く事にした。アカペラも含めて3曲吹いたが、アンコールがあった。ないより嬉しい事ではあるので、それにも応じた。彼は、とても喜んでくれた。暫くして、余りよく知らないその男2人から、CDが欲しいと言われた。普段の演奏では中々求めてくれないが、今回は、自ら要望されたのだ。
こんな時に限って持って来ていない。今度、と言ったが、それは1年先の事になる。彼らはそれでも欲しいと言ってくれるだろうか。喋ったり、カラオケを歌ったりして私は帰る事にした。妹達やその家族が待っているし。
カラオケは下手糞で、もう歌いたくなかったが、何曲か曲を予約されていた。「昴」や「横浜たそがれ」が。最後にもう1曲歌った。「江梨子」・・。
25日は、大田の近くの「AQUASしまね海洋館」に行った。片道80キロはある。
観るべきメインは、白いイルカとペンギンだ。親イルカは怪我をしていて、イルカの子供たちが代打。あんまり言う事を聞かなかったが、何とかバブルリングを観る事が出来た。ペンギンは種類も多かったが、箱の中で卵を育てているのもいた。暑いのか、皆じっとしていて、哀愁を感じた。すぐに携帯に収めた。
後は海に行ったが、暑くて皆泳ぐ気がなかった。駐車場も浜に面していて、おじさんが、泳ぐかどうか聞いて来た。泳ぐのなら、駐車代は1,000円との事だった。泳がなかったら駐車料は要らないと言った。暫く海を見て、そこを出た。
帰ると私がうどんを用意した。出汁を入れるのと入れないののどちらかを聞いて、それに合わせて違ううどんにした。昨日の横浜の妹Tが作ったカレーのルーが残っていて、皆はそれも食べた。私は貰って帰っていたビールも飲んだ。
寝不足が続き、早く寝る事にした。それでも0時は回った。悠介は朝まで起きていた。エレキベースのプロだが、仕事でスペインに行くので、その準備をしていた。車では、ずっと眠っていた。男たちが起きて来るのは10時は必ず回っていた。私は6時には起きていた。
26日は、墓参りと墓掃除をした。と言っても草抜きだが、なんと燃えるような暑さが実感された。堪らない。数分も持たない事を感じ、素早く草を抜いて、お参りの後退却した。
それから、出雲大社にお参りした。本殿の後ろもぐるっと回り、6月17日に6年ぶりに付け替えられた注連縄を見に行った。長さ13メートルを越え、重さ5トンを超えた。新しく、美しく、稲の匂いがした。
それから、日御碕神社へ向かった。天照大神と素戔嗚尊が祀られている。朱にぬられた神社は美しく、軽いショックを与えてくれる。暑いので、すぐそこにある日御碕灯台には行かなかった。
島根ワイナリーへ行き、試飲の葡萄酒は止め、運転する私は、葡萄汁を飲んだ。その後、皆お土産を買っていた。私はその日飲む為の赤ワインを買った。
もう寝不足は限界だったので、夜はほんの少し遊んで、寝た。私が最初出題した。文章を作る問題だ。
「トンネルを抜けると、そこは・・・」
と言うと、その後を自分の思うように続ける。私だったら、
「トンネルを抜けると、そこはトンネルの外だった」
と書いただろう。
次の日は最終日。妹のTは、盛んにジェット機が飛ぶか心配をしている。台風12号が、東海地方から西日本に上陸する予定なので、27日に飛んでも、羽田空港に着陸出来るか分からない事を心配していた。出雲は、台風らしい風はなかった。
27日は、何もしないで過ごした。朝昼兼用の食事をした。私が食べたいのは3種の神器と呼んでいる、牛肉の甘辛煮、玉子焼き、茄子のみそ炒めだ。24日の朝、それは3種とも食べる事が出来た。私はそれでもう満足だった。
27日は肉こそなかったが、茄子のみそ炒めは、これ以上食べられない程の量を食べた。また、来年を楽しみにしている。
夕方5時半に家を出た。出雲縁結び空港に横浜組を送りに行った。2階の土産物店で、それぞれが好きなものを買っていた。暫くすると、横浜の4人は、搭乗待合室へと入って行った。私と妹Kは、離陸がそこに見えるデッキに行って、飛ぶのを待った。ジャヤンボのように大きなジェット機が待機している。7時20分の離陸だが、5分遅れると言う。
直接ジェットに繋がる通路で、爪先立つ私とKに見える所で手を振っていた。滑走路を右の方にゆっくり進むと踵を返し、左側に向かってスピードを上げた。私達の目の前を通過すると、すぐに機体を空に向けた。あっと言う間に空を旋回し、軈て見えなくなった。
妹Kと回転ずしを食べに行って、帰ると11時までいた。そして、暗い夜中の道を、神戸へと走った。SAで少し眠っては走った。勝央では、外に出てプラスティックの白い椅子に座り、空を見た。あれだけ綺麗でくっきりした真ん丸な月が雲に隠れ、朧月のように見えた。3時半から観ていたが、ぼやけた中でも半分になった事が分かった。4時30分には、皆既月食になる筈で、月の影は何処にもなかった。
4時頃になっても、月は姿を現さなかった。仕方なく車を動かし、そこからは、神戸はより近くなった。
28日はもう明るい朝になり、神戸の家に着いたのは6時40分だった。出雲への行き帰りとアッシー君で、体がぐったりしている。横浜組は、SAに居る時にメールをよこし、無事に飛行場に着いたと知らせて来ていた。
今日はグダグダしている間に、すぐに夕方がやって来た。U君から貰った日本酒「七冠馬」を飲んで見た。純米酒だが、何て口当たりがよく飲み易いのだろう。
それにしても七冠馬とは。
酒名「七冠馬」の由来
日本の競馬史上で二十世紀最強の牡馬と称される七冠馬「シンボリルドルフ号」。昭和五十九年、四歳クラシックレースの皐月賞、日本ダービー、菊花賞と史上初無敗での三冠を達成。同年のグランプリ有馬記念を制覇し四冠(年度代表馬)。翌年、六十年には天皇賞(春)、ジャパンカップ、二年連続有馬記念制覇(二年連続年度代表馬)と、G I(グレードワン)七冠を達成した名馬。この名馬のオーナーブリーダーであるシンボリ牧場主と蔵元が親戚になった縁により、銘酒「七冠馬」が誕生しました。 蔵主
島根県仁多郡奥出雲町横田1222 簸上清酒合名会社
出雲大社には第1回日本遺産「日が沈む聖地出雲」として、出雲の歴史、文化、自然景観を詠んだ俳句の募集の用紙があった。1人2句までだが、後で写真をみて驚いた。選者がプレバトの夏井いつきさんだったからだ。ならば、考えてから出せばよかった。その場で、即興的に考えたから、そんなものは入賞する訳がない。
もう忘れてしまおう。ずっと頭にしまい込んで思い出していても、来年の3月下旬まで頭が重いだけだ。妹Tがすぐに書き出したので、私もつられてしまった。賞は特選3句、入選10句。商品は日御碕の特産品なのだ。まあいいさ。参加するのに意義があるのだと、かのクーベルタン男爵は仰っていたのだから。
5日間なんて、すぐに終わった。