先週の日曜日は卓球をしに出かけた。いつものようにね。10時から12時までなんだ。コープは色んな教室を運営しているが、僕は卓球教室を選んだ。
30年は経つが、その頃が立ち上げの頃で、4、5人いたかな、新入会生が。僕は下手でなかなか上手くならない。教室と言っても狭い部屋に卓球台が2台。これ以上狭かったら事故続発だろう。でも、選手権を争うような選手を養成するようなものとはま反対で、指導者はいたが自分に取っては楽しむか健康の為かと思えるものだった。
入会するまで、10年位は職場でやっていた。でも、それはピンポンだった。ピンポンと言うのがレベルが低いと言う事ではないが、卓球と言う方が、何だか響きがいいし上手い気するし比較し易い。
まあ卓球と言うものを始めてから、僕は42年位が経ってしまった。未だに上手くならないが、もういいや。市や県の大会なんかには当然エントリーなんてしないんだから。仕事の現役の頃は、月に1度も通っただろうか。でも今は、殆ど毎週、せっせと通っている。そりゃあ暇だしね。先生は上手いし、一生懸命指導してくれる。
大事なのは、先生と気が合うかどうかが問題なんだ。最近先生が交替したが、半分真剣に、半分楽しみながら練習出来る。1人10分で交替になる。指導には1台が丸々使われる事が殆どで、それ以外の者はもう1つの卓球台を斜めに使いながら4人が練習する。出席が多い時は、先生の指導の台で、2人が斜めに使って練習する。
教室生は現在14人いる。そして、先週1人が体験教室に入って来ていた。僕より早く来ていて、誰だろうと思っていた。その日は7、8人位の出席だったと思う。余りにも若い男性で、僕は普通に接していた。この日でもう来ないだろうと思ったから。真剣に強くなろうと思ったら、きっと僕だって卓球ジムに通うだろう。事実30年くらい前に三宮の東、二宮のジムに通った事がある。
そこは、何回か通って止めた。指導者は兵庫県のチャンピオンだった。月とミミズだ。絶対上手くなるだろうと思った。だが、数十分外を走り、縄跳びを500回以上は跳び、それから練習と言う本格的なものだったから、僕はいっぺんにダウンしてしまった。上手くなりたい癖に、実力はピンポンだったからね。
この日、おばちゃん達はテンションが上がった。この男の子は、とっても可愛らしかったからだ。皆中学生か高校生に思っている。僕もそれ位に思った。だが、それは違った。大学を卒業して、入社1年目のフレッシュマンだったのだ。年齢は22歳だ。即座に僕は、テニスの錦織圭を想像した。まるで兄弟ではないか。そんな気がした。
最後までおばちゃん達のテンションは下がらなかった。私は最初に彼と10分間打ち合いをした。ドライブが上手い。Ta君は形が出来ている。フォームも美しい。私は出来るだけ綺麗に打ち返すように努力した。最初から癖のある汚い卓球をする爺さんだと思われるのも問題だからだ。自分ではそんな事ちっとも思わないが、私の球が上手く受けられないとすぐに「汚いわ」と言う。でも、それは愛情表現だろうと、割り切っている。
卓球は学校時代にやっているなと容易に思われた。体験教室に来たのだが、この日で終わるだろうと思った。私のような遊びには付き合っておれないだろうと感じていたからだ。兎に角、先週の2時間はそんな風にして過ぎた。
錦織圭の顔が過ぎて、それから1週間消えてしまっていた。
今日は後半の最初の日を迎えた。7月1日の日曜日だった。何事もなかったかのように普通に卓球の練習に出かけた。数人が来ていて、華奢な若い女性が後ろ向きに、先生と何か話し合ったり、卓球台の上で書類に記入したりしていた。誰だろうと思ったくらいだから、女性だと思っていた。
それが何と先週来ていたTa君ではないか。今日からこの教室に入る事になったと、先生が言った。これは信じがたかったが、何を基準に彼は決定したのかは分からない。僕たちの年齢は高かったからだ。始まる前に彼は来ていて、今日も1番だった。つまり、張り切っているのがよく分かった。
4、5人は来ていたが、「今日は少ないね」と誰かが言った。最初はいつもこんな状態だから特別でも何でもない。準備体操は先生と一緒にするのが常だが、Ta君とは話が続いているので、自分達で号令をかけながらラジオ体操を始めた。終わってから、少しずつ出席者が増えて、最後には全員が集まった。1人の70代後半の男性は体の調子が悪く休んでいたが、それを除くと全員が集まり、こんな事は前代未聞だった。
それで、会員は15人となった。おばちゃん達は見る見るテンションが上がり、明るい笑顔に変身した。平均年齢もうんと下がり、若返り、歓声で華やぐ。今になって予測するのだが、きっとこの22歳の好青年が今日来てくれるかどうかが気がかりだったのだろう。僕はそんな事考えていなかったのに、おばちゃんはやっぱり若さに反応する。次から、1桁の出席率は2桁への昇格を見せるのではないかと、僕は思った。
Ta君がどんな基準でここに来ることにしたかは聞いていないが、聞く事もない。大学ではやっていないとは聞いた。戦型の事もラバーの種類の事も聞いた。彼は、小学3年生から始め、高校3年までやったと言った。もう会社員であれば、ひょっとして楽しむ程度を求めて来たかも知れない。
最後は先生が、彼の正式入会を紹介した。皆拍手をした。何だか、喜びと安堵との歓迎の拍手だった。僕も、心から歓迎した。錦織圭に似ているのがとっても楽しく不思議である事も、大きな理由だった。
「僕と彼とは50歳も違うよ」
と僕は言った。かなり年齢の高い孫とも言えるし、若過ぎる息子だとも言えた。
「私はもっとよ」
と僕より年齢の上の婦人が言った。
「恐れ入りました」
と言うほかはなかった。これも「水戸黄門」の悪代官の台詞そのものだったのだ。
遊びプラス、次からは本気度が増していく予感がした。どうせやるなら、強い者とやるのも大切だし、生活への変化も大切だ。僕はそんな事を思いながら、卓球のユニホームを着たまま、少し違った気持ちで家へと向かった。
たった2台の狭い部屋の卓球台。1台に4人。先生のいる卓球台は2人。今日のような日には4人。多くて8人が練習する。奇跡的に全員出席となれば16人だ。残る8人は球拾いをして歩き回るかその辺に立ったり座ったりしている事になる。球はどんどんあちこちに広がって行くから、球は魚掬いの網を床に走らせて拾う。この網の事、昔はたもと言ってたっけ。
掬った球を先生の横の箱に入れる。沢山あるようだったら、もう1台の横の箱にも入れる。それよりも何よりも、遊ぶ人が多くなる。6、7人位が理想だが、疲れた時が困る人も出て来よう。こんなに多い時は11時前からダブルスの試合をして楽しまなければ面白くない。
まさかこれから、15人全部が集まる事はないとは思うが、それでも生協の1室に集まるおばちゃん達は当分張り切って盛況な事だろう。若さがこれだけ人の心を惹き付けるものだとは。今頃気付く僕ではある。爺ちゃんの僕でも若さを保ちながら、この本物の若さに肖ろう。そう思う僕だったんだ。