5月19日(金)
18日の夜11時頃に娘の旦那が恵那から着いた。6時には家を出ていたと言うから、もう少し早く着いていたのは明らかだ。結局の所、渋滞に巻き込まれていたと言った。
私のいる部屋のテーブルに、旦那と私と娘の簡単な料理を並べた。私と彼は、この時の為に買ったキリンラガーを飲んで、焼酎の「芋職人」も買っておいた。
風呂から上がる彼を待って、早速飲み始めた。あさりのしぐれ煮を持って来てくれた。王将の餃子と唐揚げは、既に買ってある。後は五目煮や梅干をあてにした。
そこそこ飲んで、芋焼酎に苺を3個入れ、下に青々としたほう葉を敷いた。とても綺麗だったので、携帯の待ち受け画面にしようと思った。とても鮮やかな、グラスに苺。面積を広く取ったほう葉。それは驚きの画面となった。
食べ終わると、3人で習字を始めた。以前1度3人で書き回した事があったから、初めてではない。半紙を100枚程買って置いたら良かったと思ったが、こんな時間だ。A4の印刷用紙に書く事にした。彼は燻製(主にチーズの)を作っているので、「燻す」は彼が提案した文字だった。
「おお、上手くなってるじゃない。上手に書けてるねえ」
と言い、私は前衛が好きだから(恰好いい事言ってぇ)、そんな自由な形の字を書いた。色んな字を書いて遊んだ後、彼が、商品の名前と値段を書いてくれと言った。売る時に並べて置くそうな。幾つかの種類の色の画用紙があった。それにべっとりした墨を筆に浸けて、どんどん書いて行った。
氷も売ると言うので、何枚書いた事だろう。A3サイズよりもっと大きなつるつるした紙1枚には、「氷」と書いた。まるで前衛の芸術みたいな文字になった。これが一番のお気に入りとなった。彼は、額縁に入れると言った。そう言ってくれるだけで、嬉しいようなこそばゆいような気がする。
3時半を回った。
「もう寝よう」
と言ったのは矢切の渡しではなく、流石の私だった。
5時に目が覚め、トイレに行った。6時10分にはけたたましく携帯の音楽が鳴り、私はそれで起きなければならなかった。10時から、8月26(土)、27(日)にある文化ホールでのオカリナフェスティバルの会議があるからだった。これで寝てしまったらアウトだが、眠くて仕方がなかった。
2人は午後から、結婚式をした友の数日遅れの堅苦しくない披露宴の準備の為に、三宮へ向かう事になっていた。そのままどこかで1泊し、もう家には帰って来ないらしい。
10時から会議があった。この日のメインは、抽選だ。あらゆる所からエントリーがなされていても、ボタンを押せば抽選は一瞬の内にに終わった。
午後は、気になっていた絵画を観る為に、大阪まで。あべのハルカス美術館は16階にある。パンフレットを見ると、開催日が4月4日だったから、それを覚えていたのだ。5月28日で終わる。
やっぱり好きな人がいるんだなと思える程、観て回っている人達がいるものだ。誰の絵か早く言え、と言う声がする。
「マティスとルオー」展だ。サブタイトルは「『マティスとルオー友情の手紙』刊行記念」とある。これからも分かるように、生涯家族ぐるみの交流を続ける程の長い友情を保っていた。この書簡集は買わなかったが、この2つの個性が美術の時間に教科書で見ただけの数点の絵を、よりくっきりと際立たせてくれた。
コロリスト(色彩画家)のアンリ・マティス(1869-1954)、宗教画家のジョルジュ・ルオー(1871ー1958)。そこまで固い友情で結ばれている事は知らなかった。直筆の書簡とその翻訳を読みながら、絵を観て回った。何しろ本物が140点も観られるのだから、足を運んだもの勝ちみたいな気になった。
沢山あり過ぎて、到底脳裏に定着はしなかったが、その絵の雰囲気はしっかりと染み込んだ。
通天閣の近くの路地で串カツ屋さんに入った。余りにも多い串カツ屋さんに魂消乍ら、確か「てんぐ」と言う名の店に入った。生ビールと串カツはよく似合う。ああ、似合うじゃなくて、合うだな。こう言う事がないと、外出はつまらない。
5月20日(土)
数日の日記(ブログ)を1度に書こうと思うと、こうして日付けを書いてから書き始めるのがいいと思う。いつの事かが明瞭になるからだ。しかし、最大の欠点が、文章が恐ろしく長くなる事だ。私は書く時はだらだら長くても、書けるだけ書きたい。その結果、殆ど読んで貰えない。読んで貰いたい為に書くのか? 書く事で読んで貰うのか? どっちも!
Ki君が、確認の電話を掛けて来た。昼頃だった。6時に山陽電鉄の別府(べふ)駅で会う為である。Ki君はこんな時随分早く来る。それが分かっているから、私は30分早く来ようと思って家を4時半に出た。
滅多にないが、娘に貰ったサングラスを掛けてみようと思った。人からは私の目元が余り分からない類のものだ。白内障の手術に依って眼鏡なしではっきり見えるから、サングラスは度なしで掛けられるのだ。いつもは新聞や楽譜など近くも見るので、下部に度の入った眼鏡を掛けている。
別府駅近辺は、静かな佇まいだった。誰も来ていない。ファミマに入って、ビタミンなど11種が入ったゼリー状のものと、うこんのドリンクを買って飲んだ。その斜め前のバス停に座った。何だか普通のバスより小さいバスがベンチの前に止まって扉を開いた。私が乗らないものだから、暫くして出発した。
15分前に駅からKi君とO君がやって来るのが見える。私には全く気付かない。さっき私の前を過ぎてファミマの前に止まった車に近付いて行くようだ。私が立ち上がってそちらに行くと、ちょっと驚いたようだった。気が付かなかったがその車にはHさんが乗っていて、運転はO君の息子さんがアッシー君を頼まれているようだった。
5人の乗った車は、とある研修兼食堂の建物に着いた。1度来た事がある。Kikさんが待っていた。これで男が5人。6人の席が用意してある椅子に5人は座り、きっと華やかになるだろう空いた席の女性を待った。結論はその通り、とても和やかな賑やかなものになった。
軈て仕事を終わった女性、Mさんがやって来た。やっぱり5人の中に現れた唯一の女性は、美しく輝いていた。それに、白い衣装が男達を清純にするのだった。それはそうだ。男は全員古稀っているから、そんなオジンから見ると年齢は元よりかなりの開きがあり、とても若々しかった。
結局話が弾み、「もうお仕舞ですが」と言われる9時まで3時間も、食べ、飲み、喋り続けていた。しょうもない話だが、美味しい芋焼酎「くじら」を飲んでいたものだから、「もうくじら」と言った。自分自分で、お湯割りとかロックとか、好みに作った。ボトルは2本目になっていた。
私が加古川で2月23日に、寿大学で演奏をさせて頂いた時の慰労会をしようと決まったらしく、私とKi君に声を掛けてくれたのだ。女性のMさんも呼んでいると言っていた。3か月後の慰労会ではあるが、Mさんも忙しかったので、この日になったそうである。
Mさんがメインゲストで、私はサブゲストだなんて、最初からこの乗りだから面白い事この上もない。でも、私も思う。やっぱりMさんはメインゲストだ。性格の良い、笑顔の良い、男には垂涎の的の素敵な女性だからである。
Mさんに皆会いたかったのか、兎に角飲みたかったのか、やっぱりそれは「どっちも!」だろう。
すき焼きの肉がどんと出て来たが、最初から分からない事があった。卵も2つしかないのだ。
「すき焼きは2人の為のものですから、2人で食べて下さい」
と、自称後期高齢者だと言っている、ここでは私達とそんなに違わないが先輩格のHさんが言った。肉は上等だが、6人でも食べられる量があった。皆で食べたらいいと思ったのは私もMさんも同じだった。Mさんはすぐにすき焼きの鍋奉行をしてくれたが、手慣れたものだった。こんなに美しく野菜や豆腐などを配置できるのかと感心した。
6つの深い小皿に盛られ、大きな肉がそれぞれに乗った。
どれだけ面白い話が飛び交った事か。Mさんも明るく、その場は盛り上がる上にも盛り上がる。メモしていないので、もうどんな話だったか忘れてしまっている。Ki君が話し出すと、それもまた面白い。
Ki君はカラオケに行きたくて仕方がない。Mさんにも行こうと誘う。Mさんはこの後友達とカラオケに行くと言った。それは仕方のない事だが、次の機会に必ず行く事になった。次がある? それは、余りにも楽しくて、このMさんを囲んだ会を、今後不定期に続けようと言う事で合意した。
9月に加古川の他の会から演奏して欲しいと言って来ているそうで、その日の演奏後に先ずは集まる事になった。Ki君待望のカラオケは内定した事になる。
その次は、Mさんの誕生日を祝って集まろうと言う所まで、話は進んだ。
飲んだので忘れたが、誰だったかまた演奏して欲しいと言った。それも来年の事だが、もう1つも来年に決まっている。加古川にこんなにも縁が出来たのかと不思議な程だ。まるで準加古川市民になったようだった。
お気に入りのポポロオカリナを1本、鞄に入れていた。他の部屋に誰も居ないので吹かせて貰った。1曲が2曲となったが、最初はMさんに捧げる「虹の彼方に」を吹いた。飲んでいるのに、全く震えるような息が上がるような事がなかった。また、この部屋はとてもよく響く、オカリナ冥利に尽きるような部屋だった。
2曲目は、皆にと言って、「津軽のふるさと」を吹いた。兎に角、喜んで貰える事が最大の喜びだが、正にその通りの筋道を辿った。
送って貰ったKi君と私は、別府駅で電車に乗った。
「カラオケ行きたいな。歌いたいな」
とKi君は何度か言った。Mさんの混じったカラオケボックスで、今度は一緒に歌えるだろう。そう思う事で特にKi君には、希望が生まれた事だろう。
5月21日(日)
もうこの辺で筆を、いや指を止めようと思う。TVは、美しい声でオペラを奏でている。もう終わるが、その後は卓球が待っている。昨日も暑かったが、今日も外に出ると暑くなっている事だろう。昨日の昼頃のKi君の電話で、
「今日は暑いね」
とKi君が言ったが私はそれと反対だったので、
「寒いよ」
と言ってしまった。彼は外の暑気を感じていたのだろう。私は、Tシャツ1枚で部屋の中。本当に寒かったのだ。その後ジョギングに出てKi君の言った事が、その通りだと分かった。首をじりじりと焦がそうとしている真昼の太陽に、タオルを持って出れば良かったと、日焼けするだろう首を感じ乍ら速足で歩いた。
ついこの前までピーピー豆の花が咲き、薄い鞘が生っていた。太く膨らんだらそれで笛を作って鳴らそうと思っていたが、もう、花も豆も無かった。いつしか、鶯の声も聞かれなくなっていた。