同期の会と言うのがあり、三ノ宮に行った。

12時には40分早かった。当番の2人が来ていた。12時からの会には、店にはまだ入れない。

三ノ宮のヤマハに行った。オカリナ20号を買った。そして、文化ホールの担当者と、暫し電話で話をした。

再び戻ると、もうその店の3階には殆どの仲間が集まっていた。同期なので、同時に退職した仲間だ。今年度の務めが終わる者2人が、最後に全員を召集する日である。つまり、次の係が決まる日でもある。

14人が集まった。女性は4人。勿論飲み放題だったが、刺身に至っては、それぞれの産地が書かれた紙が付けられていた。美味い。

よくぞこれだけの料理が運ばれるものだと思った。皆、笑顔で運んで来る。感じのいいこの店の名前は「土佐清水ワールド」と言った。

いつもは同期の会長が最初の挨拶をするのだが、今回は一番遅く来た者が挨拶をした。最後に来た者が誰か、私は、それを担当の心遣いだと思った。

そこまではいいが、最後の挨拶は、一番最初に来た者になった。「それは私です」、そんな番組があったなあと思った。しかし、それでは最後までゆっくり楽しく飲めない。仕方がないけど、その時が来たらアドリブで喋ろうと思った。それしかない。

楽しく食べて飲んで語った。最後の話? そんな事、知った事ではない。ビールを飲み、芋焼酎のお湯割りを飲み、日本酒を飲んだ。明日は、三田にオカリナ演奏に行くのに、こんなに飲んでいいのだろうか? いいのだ!

一人ひとり、近況報告。但し、今年思う事を漢字1字で話さなければならなかった。それぞれが、その漢字を言いながら話した。1分でと言ったが、長い者が殆どだった。私の順番は、最後に回って来た。

漢字は2つ頭に在った。1つは「淡」。人生は淡いものだとの意味で。もう1つは「燃」。やっぱりこれにした。オカリナがなかったら、干乾びた蛙のようになっていただろうと言った。その日を燃えながら生きて行きたいと。

軈て1時間45分の飲み放題もラストオーダーとなり、そろそろ2時間が過ぎようとした。好きな事が言えるのがこの同期の会である。いい雰囲気の間に、終わりとなった。次の係2人が決まった。と言っても、あいうえお順で、次は分かっている。また今度の6月に会い、次の旅行の方面が決まる。

私の挨拶が・・。

まあ雰囲気として、皆が楽しかったと思えるだろう話題を読み上げて、締めくくろうと思った。鞄にその紙を入れていたのを思い出した。私の話はそこそこにして、それを読み始めた。実は明日(21日)デイサービスからの依頼によって三田まで行くが、そこでも、また23日の加古川での老人大学でもこれを話せばどうだろうと、その反応を見る予行の意味もあった。

深く考えると全く不快な内容もあろうが、私はこれが昨年の始めか一昨年の終わりかに放映された「笑点」でのお題の答えでもあり、その話の面白さを披露したいと思った。何度読み返しても面白く、多分その場は笑いに満ちるだろう。実際、ここでの反応も、笑いで終わった。

「殆ど皆が知っている事かも知れませんが、何度読んでも面白いので、これを聞いて、笑ってお開きにしたいと思います」

「笑点」お題 18才と81才の違い

◎道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才

◎心がもろいのが18才、骨がもろいのが81才

◎偏差値が気になるのが18才、血糖値が気になるのが81才

◎受験戦争を戦っているのが18才、アメリカと戦ったのが81才

◎恋に溺れるのが18才、風呂に溺れるのが81才

◎まだ何も知らないのが18才、もう何も覚えていないのが81才

◎東京オリンピックに出たいと思うのが18才、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81才

◎自分探しの旅をしているのが18才、出掛けたまま分からなくなって皆が探しているのが81才

◎「嵐」というと松本潤を思い出すのが18才、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81才

最後に明日のデイサービスでは、私が考えた事を付け加える積もりでいる。

◎ 〇〇〇〇○○なんて考えた事もやった事もないのが18才、○○○○○○にこれ以上ない喜びを感じるの   が81才

よくぞこれだけの事が、あの「笑点」から生まれたのを感心する。これで笑ってもらえたら、皆さんまだまだお元気だと思いたい。(○○○○○○は、施設の名称だが、ここに何が入るか当ててみて)。

皆は全員、近くでお茶をした。私はケーキも注文した。滅多に食べないので、今食べないといつ食べられるのだろうと言う、私の浅ましい発想からだ。

私の書き写していたこの「笑点」の話が気になったと見え、書き写している者がいた。周りのものは「何を勉強しているのか」と訝しがったりした。他に3、4人が、携帯やデジカメで、私の殴り書きの、お世辞にも綺麗だとは言えない文字のそれを写していた。

そこで別れ、男ばかり5人が残った。三ノ宮の水車のある店「正家」に入った。そこで飲み直し。銘柄なんか気にしないで、日本酒を飲んだ。誰かが玉子焼きを注文した。ざる蕎麦も幾つか注文した。

「お一人について何か1つはご注文下さい」

と言われた。こんな事聞いたのは初めてで、余程経営が苦しいのではないかと思った。文句を言っても仕方がない。蕎麦がまた増えた。

ここは三ノ宮。外に出るとそこで皆別れる。別れた筈だった。T君が、

「もう1軒行こう。どこでもいいから」

と私に言った。ここからバスで帰る積もりだったが、

「元町まで行く?」

と聞いた。

「何処でも言い」

と言う。

雨の霧の中を、元町まで歩いた。10数分で辿り着く。

「トイレに行きたい」

と言い出した。外には公衆トイレはない。

「じゃあ、切符を買って駅の中へ入ろう」

と言ったが、駅員さんに聞いてみる事にした。

「トイレに行かせて貰えますか」

「ああどうぞ」

と言う事で、ただで済んだ。

私が行きたかった所は、1つ前のブログで分かるように、「ひょうたん」の餃子屋さんだった。

「どうかな。空いているかな」

と彼は言う。

「空いているよ」

と私は言う。

7人で一杯になるこの店に、2、3人が雪崩れ込んだ。おっとっと、と思った。よく並んでいる店だから、どうかなと思ったが、奥に2人。今入った素敵なカップル。おお、ラッキー。犬を呼んでいるのではない。おっさん2人は無事に入れた。後、1つだけ席が空いている。

突然T君が血相を変えた。

「ありゃ、ポーチがない」

「えっ?」

「あの中には診察券や色々入っている」

「じゃあ、来た道を駅まで辿ってみたら」

と、ややいい加減な事を言ったが、それしかない。彼は雨の中を傘も差さないで、飛び出して行った。もし帰って来たら、「正家」にあるかも知れないから、そこに電話をしてみたら、と言う積もりだった。

私は餃子を2人前ずつ注文した。そして、泡盛も2つ。彼が戻って来るまで、その儘でいた。

左隣のカップルの、恰好いい昔の私みたいな男が(ちょっと言ってみたかった)私に聞いて来た。

「これでいいでしょうかね」

と、タレの事を言った。普通タレと言えば「王将」の餃子のタレみたいなのを言う。

「ここはこれですよ。これがお薦めで、美味いから。私はこのタレを食べにここに来たんです」

と、味噌ダレを指差した。その隣の綺麗な彼女は、とてもいい顔で微笑んでいた。いいなあ、若いってこんなにいいもんか。いや、ちょっと違う。この2人はテレビに出ている2人ではないかと思わせられた。品がある。愛想も良い。世慣れているのか堂々としている。味噌ダレに納得しているようだった。

その内、T君が戻って来た。まさか通り道に落ちている事はないだろうと思いながらも、在る事を密かに願っていた。

「あった」

と言って顔を見せた。私も、「良かったなあ」と言いながら、不思議だなあと思っていた。

「駅で聞いたら、『これですか』と言われた。それですと言ったよ。『さっき男の人が届けて行きましたよ』と言われて」

多分トイレを借りた時だったんだと思ったが、なぜその鞄から飛び出してしまったのか。まあ、はっきり言えば不注意だが、玉にはある事だ。手に戻って良かった。

「一度パチンコ屋で財布を落としていたけど、これも戻ってきて。12、3万円入っていたけど、中を見ずに届けていたんだねえ」

「へー、そんな事が・・。僕は同じような不注意で、鞄を開けたら袋に入ったオカリナが飛び出していたんだよ。それに気付かずに、なくしてしまったよ。命の次位に大事なオカリナだったけど、警察にも駅にも届けなかった。在る筈ないと頭から思ったから」

そして、濃い小さなグラスの泡盛を飲んだ。隣りの2人は恋。

もう1杯注文し、餃子は更に1人前ずつ注文した。私は願いが立て続けに叶った。その前は唐揚げ。今日は餃子。しかも「ひょうたん」の味噌ダレの餃子だ。旨い。満足だ。

三ノ宮まで戻り、そこで彼とは別れた。私はもう出発しそうな高速バスに乗った。家に着いたのは7時を大分過ぎていた。昼から酒を飲んで、次にコーヒーを飲んで、又5人で飲んで、最後は2人で飲んだ。最後は全く予想だにしなかった展開だが、そんなに親しくもなかったT君と2人で飲むなどは、不思議な世界の話だ。

彼は、私の拙いオカリナのCDを聴いて、すぐに電話をくれた男だ。もうあれから1年以上は過ぎているのに、今でも同じ事を言う。それに、いつでもそれを話題にする。

その彼が、3曲聴いた所で電話してくれた。大した事のない、ピアノ伴奏のS.Sさんも忙しい中録音場所に来てくれて、一発勝負で12曲を録音したCDだ。じっくり時間が掛けられたらもっと良いものにはなっていたかも知れないが、時間を掛けるだけ費用も重なる。

「3曲まで聴いたけど、全部聴くのが勿体なくて電話した」

と言ってくれた。この事は、内心とても嬉しい事だった。彼はオーディオ通でもあり、家の一室をオーディオルームにしていて、総額約3,000万円の機器で聴いてくれていたのだ。

シマさんと1度かれの家に行き、私のCDとシマさんのシマ唄のCDを聴かせて貰った事がある。私のラジカセなどとは音が違った。もう1度行って、聴いてみたいと思う事がある。私のオリジナル12曲を。下手でも、心地よく感動的に聴こえる。

かれが屡々言う事は、演奏する時には私の作曲した曲をメインにして演奏すると良い、と言う事だった。いつでもその考えは彼からブレた事がない。そこまで言ってくれる者も殆どない。これは、真摯に受け止めて置こうと思っている。

何れエレキベースの甥とチェロの蘭奈さんと私のオカリナで演奏する時が来ると思っているが、もしその時が来たら、オリジナルを数曲甥にアレンジして貰って演奏したいと思っている。

ああ、もう夜中の2時半を過ぎている。明日は8時半には家を出なければいけない。練習も何もしていないしどうなるか分からないが、楽しんで貰えるように1時間、演奏したいと思っている。こんなに楽しい同期の仲間が15、6人いるなんて、まるで551の蓬莱のように、豚まんがある時のあの映像のように楽しい。