ドビュッシーとハイドンとベートーヴェンに会って来た。西宮北口の芸文センターで。それも、沢山の人達が。大ホールは満員だった。

おまけに、バッハにもシュトラウス2世にも。

兵庫芸術文化センター管弦楽団。指揮、佐渡裕。

ドビュッシー:小組曲(H.ビュッセル編曲)
 Ⅰ 小舟にて
 Ⅱ 行列
 Ⅲ メヌエット
 Ⅳ バレエ

ハイドン:チェロ協奏曲 第2番 ニ長調
 第1楽章 アレグロ・モデラート
 第2楽章 アダージォ
 第3楽章 アレグロ

休憩(20分)

ベートーヴェン:交響曲 第6番 ヘ長調op.68「田園」
 第1楽章:「田園に着いた時の明るい感情の目覚め」 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
 第2楽章:「小川のほとりの情景」 アンダンテ・モルト・モート
 第3楽章:「田園の人々の楽しい集い」 アレグロ
 第4楽章:「雷、嵐」 アレグロ
 第5楽章:「牧歌、嵐のあとの喜びと感謝」 アレグレット

「小舟にて」に出会え、「チェロ協奏曲」に出会え、懐かしい「田園」に出会えた。

オカリナを吹くようになって最近に近く、ドビュッシーのこのフルートの美しい曲に出会った。

ハイドンの「チェロ協奏曲」なんて初めてだ。ここでは贅沢にも、よく聞いて来た名前だが、藤原真理に出会った。何処がどうとか偉そうな事は言えないが、このチェロの素晴らしい事。ハイドンがこんな曲を作っていたなんて知らなかった。難しい曲だと思う。聴かせる。歌詞なんてないが、歌っている。感動する演奏。儲け物だった。

何度も拍手に誘われてアンコールに応じた曲は、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番より「プレリュード」。これは何度か聴いた曲だ。至福の時とはこの事だろう。

休憩を挟んで、愈々「田園」だ。就学以前に何枚ものレコードを掛け替えて聴いたのが、「運命」と「未完成」だった。その随分後にLP33回転のレコードで「ボレロ」に出会い、「田園」をも聴いた。「運命」と「田園」との違いが同じ人の曲だとは到底思えなかったのを覚えている。

今日は、懐かしい曲と出会ったのだ。しかもオーケストラの生演奏を堪能出来たのだった。

4階の一番後ろから2列目。ステージを隈なく見下ろせる。音が小さくて聴けないなんて事は全くなかった。本来なら天上から聞こえて来ても疑う余地のない、今にまだ衰えを知らない楽聖の交響曲は、天上でも喜ばれているに違いない。我々地上の者達への贈り物だと思える。

拍手を上から落とす。曲は下から突き上げて来る。この場所は、全く天地反対の場所だった。「田園」の第1楽章の音の強弱はメリハリがあり、この時点から深く惹かれて行った。

実際はデカい人だが、汗びっしょりの指揮者の姿が、小さくもよく分かる。アンコール曲は、シュトラウス2世の「雷鳴と稲妻」だった。70人位の編成だったが、大太鼓とシンバルが加わり、その表現は圧巻でもあった。

チェロの時は33人位の編成だった。ソロの藤原真理以外に、チェロは8人いた。弦は本当に美しいと思う。

3時から始まって、終わったのは5時20分頃だった。外は暗く、中庭を埋めるイルミネーションが美しく、大きな1本の木の灯りは、まだクリスマスの名残があった。

居酒屋に入った。生ビールを飲み、餃子や唐揚げを食べた。お世辞にも美味いとは言えなかった。そこそこに退散して、ケンタッキーに入った。ハンバーガーのセットと、フライドチキンを1個注文した。コーヒーも注文し、やっとほっとした。

月が綺麗だった。昨日は満月だったのだろう。今宵も丸かったが、何処となく欠けているようにも見えた。でもそんな事大した問題ではない。美しければ、それで・・。

時に思うが、37万キロ離れた月が1万キロ位に接近したらどんなになるだろうと想像してみる。怖いだろうな。空気がなくなるだろうな。それで瞬時に地球が洗われて、また定位置に戻ってくれたらどんなにいいだろう。

そうして、田園の美しさを心から称える事の出来る時が再び訪れたら・・。そんな事を思い、アナログを懐かしむ不器用な老人がここにいるのも、変な事だろうか。