BSプレミアムに写し出されているのは、花火。
秋田大曲の28チームに依る恒例の花火大会。8月27日夜7時から10時までの中継だ。
スペシャルスターマイン、仕掛け花火が今から行われる。神戸にいる私は、居ながらにして大曲の花火を観ている。テレビのメディアがなかったら、そこに行かなければ観られない世界だ。言葉を換えれば、まるで夢の世界。
神戸は正に秋田となり、秋田はその翼を神戸にも広げる。
おお、何と美しい事だろう。特別席でなくても、腰を下ろして見上げられるスペースがあればそれ以上望むものはない。もしそこに寝転べるスペースがあれば、極楽だろう。
出雲も、私が子供の頃から花火大会があった。今は8月には違いないが、日が違う事が多い。その頃は、お盆の前にやっていたと記憶している。
家族で斐伊川まで歩いた。暗くても、多い人出になんの不安もなく、お祭りのような連帯感があった。兎に角歩いた。最初の頃は父母と祖母と妹達と。
出雲5万の人口の中で、その土手の斜面や川の側の河川敷に集う人の群れは幾万人だっただろう。毎年茣蓙やビニールシートを持って出かけた。大抵この6人だった。やっぱり母が誘導していた。
斜面で見る事はなく、その下に下りて場所を確保した。寝転べたり寝転べられなかったりしたが、こんなに密集した暗い人混みの中で、ただ只管に空を見上げた。
ぱっと花が開いたかと思ったら、一瞬の間を置いて「ドン」と鳴った。お腹が響く程の大音量だった。しゅーっと音を上げながら、1本の筋が天に上る。そして、ぱっと開いた花を皆が追ったかと思ったら「ドン」と鳴って、お腹に響いた。
ただ一緒に見上げた暗い空に、明るく燃えて咲く様々の花たち。夏の草の匂いがする。昼間だったら、この人の群れはどう映っただろう。滑稽でしかなかったのかも知れない。少々の姿態を晒していようが、この暗さの中で、誰も如何程の意識もしていない。瞬間の光の中で、瞬間に照らされる、瞬間の姿。それが、どうだと言わんばかりの浴衣姿が、無防備に瞬間に浮き上がる。
家族との思い出。何の事もない花火見物だった。だが、こうして連れて来て貰った思い出は、今となっては何の事もないものではない。美しい思い出に変わっている。そして、大曲の花火を観ていると、その思い出は遠い彼方にありながら、哀しさを伴っている。この哀しさこそが美しいのかも知れない。
あの頃の花火は大体同じ真ん丸の花火だった。たまに大輪の花火が入ったりしていたが、それは半径30メートルだと言う触れ込みがあった事がある。今の花火は随分進化していて、その打ち上げ方も種類も豊富だ。半径30メートルは3号玉で、今は30号玉まである。それは半径200m以上だったと思う。上がる高さも違うのだ。
妹達は元気でいるが、母と父と祖母を思い出す。もう観に行かなくなって数十年も過ぎるが、それでもこうしてよその花火を観その真っ暗な帳に広がる花火を観ていると、まるで生きているかのように思い出される。母にも父にも祖母にも色んな事をして貰ったと。その恩恵をしみじみと感じるのだ。
今大曲で行われている花火大会は同時に神戸で観る事の出来るLIVEだ。大きさも音も迫力も同じではないが、斐伊川土手のあの花火と重なって行く。大曲とは言え映像では匂いもない、感触もない、なんの体感もなく、風もない。
だが、私はアラセブではなく、10代や子供の頃に帰っている。それは出雲でしか感じ得なかった周りの事が、大曲の花火から写り替わる。目は今の大曲の花火を観ているが、脳は斐伊川の素朴な花火を観ている。
矢継ぎ早に鳴り響く音は俄然今の方が凄いが、夜空を劈く音には変わりがない。
花火がぱっと開いて消えるその姿は、まるで我々人間の生の姿ではないか。瞬間を過ぎると、もう元の姿はなく、消えている。
私は、母の事を想う。もう帰っては来ないが、それ故に優しかった母の事を。勿論父の事も、大きな恩恵を受けた祖母の事も。だが、母は特別だった。だから花火大会は、家族の思い出ではあるけれど、母を思い出す。哀しい思い出があったと言うのではなく、花火を通して観る母が哀しいのだ。
総理大臣賞をだれが取るかの問題ではなく、元気だったら言ってみたいと思って来たのが大曲の花火大会だ。駄目なら、出雲の花火を観に行くしかないが、これも1人ではなく、数人の人と行ってみたい。
28組の花火が、もう15番目になっている。宮城の若松演歌製造所「月夜のグラデーション」だ。
3分の2弱の時間がある。思い入れのある花火大会を、暫し見惚れる事にしよう。面影などは横に置いといて、人が作り上げる火の芸術を、無心になって堪能しようと思う。