10日、10時20分、夜の時間が止まったままだ。

後まだ、卓球の試合が続く。これから水谷準の準決勝戦が控えている。だが、時間は止まったままだ。

一部屋のしじまが、まだ終わってもいない戦いの、福原愛を記録して置きたいとの思いを、急かせる。

1ゲームも落とさないで来た福原愛の戦いは、神掛かっていると思わせるのに十分だった。「木鶏」の話を彷彿とさせるのに十分な気がしていた。福原愛の、技術は元より、気力が充実して来たのではないかと目を瞠らせた。何の心配もなく、強豪を押さえて勝ち進み、期待された準決勝戦が終わると、止まったままの時間に私の指だけが、キーを打ち鳴らしている。

相手は中国の李暁霞だった。174センチの体躯は圧倒しながら機敏に動き、更にその打ち返しもダイナミックで、角度もある。福原愛がコースを打ち分けても、その反応は全て勝っていた。あれだけ多彩な技を持っている福原愛にして、それは通じなかった。

戦術はそれまで勝った相手に対したと同じ様な、細かい部分の相手に対する技術は除いて、彼女の戦形だった。だが、李暁霞には、それが全くと言っていい程通じなかった。李暁霞の力が上回っていた。ツキがあるとかないとかも超えていて、それは問題外だった。

何かをどう変えれば勝てるとかの問題でもない。福原愛の、今日までの力が、今回のリオのオリンピックでの結果だったのだ。気力も充実していたようだったが、準決勝で崩れた。

福原愛  4-11  李暁霞
       3-11
       1-11
       1-11

ラバーは両面に貼っているが、片方は回転の掛かるラバー、もう一方は回転の掛かり難いラバーだ。この使い分けで相手は手古摺って来たが、李暁霞はそのビデオを観てしっかり組み立てを考えて来たのか、それともずっと前から研究していたのか、スピードもコースも考えられていて、何度も受けた逆コースに福原愛はお手上げだった。

回転しないラバーで相手が苦しむ所か、返って来た球を打ち返すと、それが相手の台に触れずにオーバーした。そのラバーの変化と技術が、研究された李暁霞には通じなかったとしか言いようがない。回転もパワーも違い、強かった。

怪物がここにもいた。李暁霞は「木鶏」なのかと思ったが、多分それに近い力を持っているだろう。パフォーマンスも少なく、声は上げたが、顔の表情は変わらなかった。勝っても変わらないし、どこで笑うのかと思われた。しかし、これこそ相手に対する勝者の思いやりではなかったろうか。

準決勝はこの後、中国の丁寧と北朝鮮のキム・ソンヒとで戦われ、勝者は李暁霞と金メダルを賭けて、決勝戦が行われる。敗者は銅メダルを争う戦いとなる。福原愛には、悔しい気持ちはあっただろうが、せめて胴メダルは取って欲しい。それが、オリンピックに参加した、はっきりとした証しになるからだ。きっと皆も、それを願っているに違いない。

そろそろ止まった時間の呪縛も取れて、水谷準の準決勝戦が行われる。これに勝てば決勝戦となるが、彼も金メダルが悲願である。しっかり応援したいと思う。

福原愛も、世界でトップクラスの選手だ。準決勝まで行ったのを褒めたいとは思う。凄い事だからである。だが、戦いはそれで止まるものではない。世界一の王者になる事は、並大抵な事ではない事を遥かに超える事なのだ。私には、そんな思いは分からない。分かりそうなのは、孤独だと言う事位だろうか。

全く関係ない事なのに、自分はこの止まった時間に、ふと人生について考えてみた。

歩くより走る方が目的地に速く到達するだろう。ストレートに考えると、そう思える。だったら走り続ける事が結果に結び付く。歩くのはどうなのか。

器械的に考えられたら事は簡単である。人間の走る歩くはそんなに簡単ではない。人生の道程は、走り続けられるものだろうか。息が切れて休まなければならない時もあるだろう。歩く事は走るより遥かに遅いが、長く歩けるだろう。それでも、歩き疲れて休まなければならない事もあるだろう。結局、どちらにしても同じ時間にゴールに辿り着くように思われてならない。

だが、人生にはゴールと目標が見え難い。それがはっきりしていたら、それに向かって皆は走るか歩くかの、或いはそのどちらも交える手段を講じるだろう。歩けば道が出来ると言った詩人もいる。

この卓球を通した戦いを観ながら、世界レベルの凄い戦いに思いを馳せ、ふと自分を見つめてみる。観る事は、内省する事だ。やっぱり、そこには甘い自分しかいない。何かにしがみ付きながら、そこから目標を見出そうとしている、何か忸怩たるものを感じる自分がいる。

兎も角、卓球を応援しなくては。結果はどうなるか分からないが、まだ眠れない。福原愛の3位決定戦は北朝鮮のキム・ソンイと争う事になった。情報の極めて少ない北朝鮮の戦士とどう戦うか、それを見たい。

水谷準の戦いも勿論見たい。そろそろ始まるだろうが、まだ始まらない。送って頂いた静岡の新茶が美味しい。今から2番茶を飲みながら、まだ始まらない卓球の応援の準備をしよう。


2番茶が美味い事。このチャンネルはオリンピックの放映を終えた。他に換えてみるが、柔道のビデオが流れている。睡眠不足に祟られる。寝る方が得策だと思うので、この辺でテレビのスイッチを切る勇気を持とう。12時48分になった。



付け加えたい事がある。

11日4時過ぎに、眠い目を擦りながら卓球をやっていないかテレビのスイッチを入れた。何処にもその気配がない。もう1度眠ろうと思ったが、体操男子の6種目の個人総合の演技が繰り広げられていた。これで寝てしまえば、ビデオでは観られてもライブで観る事は生涯出来ない。ずっと見続けてしまった。

オレグ・ベルニャエフ(ウクライナ)は圧倒的に美しい、難度の高い演技を続け、1位をキープしていた。メダル争いは熾烈なものとなり、連覇を狙う内村航平は2位を保ちながら、最後の鉄棒となった。

1点に近い大きな点差の中での争いとなった。内村航平が、ベルニャエフの前に演技をする。それは、迷いのない、難度の高い完璧と言える演技だった。鉄棒から4度大きく手を離し、それも神業のように瞬間に鉄棒に飛び付き握る。美しい演技は全て終わり、最後の着地だ。微動だにしない、素晴らしい着地だった。

ベルニャエフは、演技はやや内村航平を超えていなかったかも知れないが、決め手は着地だったのである。ベルニャエフは決め切れずに、前へ1歩跳んでふらついて止まった。この着地が決まっていたら、彼は金メダルをゲットした事だろう。その点数も内村航平が15.800、ベルニャエフが14.800だった。これだけ見ればかなりの差ではある。しかし、ここまで5種目の差が1点に近い差だったのだ。

鉄棒でのこの差がありながら、内村航平は前回のオリンピックに続き、金メダルを得たのだった。14.800でなく14.900だったら、ベルニャエフは優勝だったのだ。

内村航平の演技を見て、心が動揺したとも考えられる。鉄棒に全力を尽くし、最後の着地を完璧に行えば、勝てる。金メダルがちらついた事だろう。また、内村航平の完璧なまでの演技に、プレッシャーを感じていたのかも知れない。最後の最後に、雑念が入り込んだに違いない。凄まじい逆転劇だった。

もう眠れない。8時15分からは卓球の「女子シングルス3位決定戦」に関する放映がある。試合は何時から始まるかは分からないが、福原愛の銅メダルを叶えたい。

夜10時頃からは「男子」シングルス準決勝戦」がある。世界ランキング1位の馬龍(中国)との戦いだ。これも目が離せない。寝不足で朦朧としている私には、昼の間に眠って置くしかテレビを観られる手段がない。