7月24日にオカリナフェスティバルが終わると、CDにサインをしている舞歌さんに簡単な別れを告げ、5人で三宮の居酒屋に消えた。

K i 君、Om君、Teさん、Koさん、私は、そこで飲み食いし、楽しく語り合った。聴きに来てくれた、出雲高校の同級生である。大阪や加古川からも、よく来てくれたものだと思う。

ああ、これは書いて置かないといけないと思うが、公立校の出雲高校が、初めて甲子園の土を踏む事になった。甲子園に出掛けて、応援と観戦をしたい。1回戦で勝つような事があれば、いやいや言っちゃいけない、奇跡だと言ってはいけない。


26日は、1人車で出雲へ向かった。昼の12時半頃だった。ナビに設定をすると、285kmと出た。大分への半分にもならない。案外近いではないか、と思った。

夕方6時30分着のJALで、横浜の妹の家族が4人で来る。悠介からメールがあり、15分には着くかも、と書いてあった。私は、神戸を発って出雲飛行場へ行くのである。夫婦と2人の兄弟を、いつも乗せて出雲の家に行く。つまり、このアッシーの役割りをもう何年続けているだろう。私には、喜びのアッシーで、役立つ事が嬉しいので、30日の5日間はアッシーに徹する。

飛行機は羽田から出雲空港へと速く到着したが、出て来たのは30分を少し超えていた。

私もまだ上の妹の家には行っていないので、荷物が沢山積んである。皆は宅急便で送ったとの事で、最小限の鞄などしか持っていなかった。乗らないのでは? と心配していたのだが、それは徒労に終わった。

家に着くと、再び出掛けた。上の妹を入れると6人になる。2台の車が要るのだ。私の車には男ばかり4人。横浜の妹は上の妹の車に2人で乗った。

必ず行く店がある。何を食べたかなど載せても仕様がないが、記録として言うなら、私と横浜の旦那と妹はロースカツ定食に。悠介はハンバーグ定食。弟は滅法鰻が好きで、鰻定食にした。それが1番美味かったかもしれない。

コンビニを何軒回っただろう。或る拘りのパンを探していたのだ。妹達はジーマが好きで、この瓶に更にレモンを切って入れて飲む。別段強い訳でもなく、沢山は飲めないのだが。男連中は、殆ど飲まなくて、ビールでも、グラスに半分も入れない。じゃあ、誰が飲むのだ。私しかいないではないか。ビールの缶は幾つか空き、ジーマは1瓶なくなる。

ワイワイ賑やかにしていると、決まって次の日付けに変わる。仏壇に供えたお土産をすぐに持って来て食べ、喋り、何だかんだぐだぐだしているとすぐに真夜中の2時頃になる。それから寝る事になる。次の日? の時間は当然のように通り過ぎ、7時や8時に起きて来る者は誰もいない。


27日、私は5時には目が開くので、仕方なしに起きる。上の妹も朝食の準備に起きる。

「7時半に出掛けよう」

「無理」

そう私が言って、そう妹達が答えていた。

私がリクエストしていた、いつもの食の3種の神器は用意され、私はそれが食べたい為に帰って来たと言っても、嘘ではなかった位好きな食である。分厚い卵焼き、牛肉とピーマンをフライパンの上で味付けしたもの、それと茄子の味噌炒めである。こんな美味いもの、いつも食べられる訳がない。夕食にしてもいい位のものだ。

蜆の味噌汁あり、高菜の漬物あり、トマトがあり、鮭もある。お茶はふんだんに飲める程、大きなペットボトルが何本か置いてある。烏龍茶がいいか、麦茶がいいか、お~いお茶がいいか。水まである。こんな贅沢していいのだろうか、朝から、と思う。

2階から横浜組がばらばらに下りて来る。10時頃だった。いくらでも眠れると言うのが羨ましい。トイレにも行かないで、ぐっすり8時間位眠ってみたい。いつも何度もトイレに起き、2~3時間しか眠れない私、爺さんである。

「10時半に出掛けます」

「無理無理」

「じゃあ、11時半にします」

けれど、車に乗ったのは12時を過ぎていた。

車は決まって4人と2人。上の妹も私も眠かった。ナビに設定すると53㎞が表示された。意外に近い。27日は松江市の北浦にある北浦海水浴場に行く計画をしていた。計画と言っても、行く場所を決めていただけだった。

Wと言う文字がここまでとがっていず、下は柔らかな弧を描いている。先は岬になっていて、珍しく2つに分かれている。どちらでも好きな方に入ればいい。遠浅だから、ずっと行って、やっと首のあたりまで浸かる。私は甥の海パンを借りて、数十年振りに海に浸かった。少し冷たく感じたが、すぐに温く感じられるようになった。

頭を濡らしたくないので泳ぎはしなかったが、昔泳いでいた時の感覚が蘇った。海に抱かれているようだった。白い雲の間を、飛行機が小さく飛んでいた。

泳ぎたかったが、浸かっただけでも感動ものだった。軈て私は上がり、シャワーをした。車を止めた広場が、
「Beach House」と言う休憩所と関係していた。そこに座って、上の妹とそこで食事の注文をした。その前にカキ氷を食べた。

2人の若い女性が作っていたが、アルバイトかその店の一族かは分からない。どちらも気持ちのいい程愛想がよく、雑談もした。1人はすらっとしていて、こんなに素敵でいいのか、と思った。女性雑誌から飛び出たモデルかと思わせた。

もう1人はもう少し若く、愛嬌があって可愛かった。

私はカレーライス、妹は焼きそばを食べた。サザエの串焼きが2パックだけあると言う。1串に3個サザエが差してあるものが2本ずつ入っている。海から上がって来た者や横浜の妹にも分けてやった。サザエの味がする。本物のサザエだった。1パック600円だから、小さな貝が1個100円と言う事になる。それでも、サザエのつぼ焼きを食べると、大きいにしても大抵1個が500円はする。

「安いね」

と言うと、

「そりゃあ、こちらで獲りに行きますから」

と答えた。私は、これで十分に満足だった。皆、それぞれに注文をして食べた。一緒に茣蓙の上で食べる食べ物は格別に美味かった。

最初からこんなに綺麗な海が見られた事に皆感動していた。島根県でも屈指の海水浴場だと、インターネットで事前に調べた時には書いてあった。これから数日の出雲での生活が、吉と出た気がした。

「始め良ければ終わり良し」と言うことわざだってある。韓国にだってある。「シジャギ パニダ」。初めが半分だ。つまり、始めたら、もう半分は行ったようなもの、と言う訳だ。ニュアンスは少し違うが、それでも似たような言葉があるなと思い出した。

帰りは9号線を通らずに、宍道湖の周りを走って帰った。こんなに近くで宍道湖を見る事はなかったから、これも感動の対象だった。

まだ明るい夜の7時から、スナック「輝子」に6人が集まった。男女3人ずつ。合コンをする訳ではない。小学校時代からの同級生だ。男1人Mo君は、小学校は違った。この店の輝ちゃんも同級生である。ここに来ると必ず、

「おかえり」

と言ってくれる。女性は旧姓でYaさん、Ohさん、Taさん。勿論輝ちゃんも。男性はUs君、Mo君、私だ。いつも私が帰ると、このような集まりをしてくれる。いつもなら女性がもう2人参加するが、何か来られない事情があったようだ。それでも、この畳の上は丁度いい人数で納まった。

カボチャなどの煮物が大きな器に盛られている。お土産のお菓子も渡し、止め処なく喋り、屈託もなく笑い、飲んだ。写真も写し、蕎麦も近くで取ってくれた。

Mo君は何かでこの仲間に入ったようだが、去年まではいなかった。女性達の審査があって、それに通らなければ仲間に入れない、と冗談を言って笑わせる。

「S君はどうなの」

とMo君が女性に聞いた。

「Hちゃんは特別会員だがね」

と、出雲弁で答えていた。私は、悪い気はしなかった。出雲弁で全て話しても面白いだろうと思った。因みに聞いてみた。

「皆出雲に住んどうけん知っちょうと思うけど、これ分かあかね」

「何かね」

「しいけんこ」

何と皆知っていた。

「あの小さな虫だが。すぐ死んでしまう・・」

流石に出雲人だと思った。子供の頃、夜街灯にわんさと集まって来るこのウスバカゲロウのような虫を友達とどっさり取って箱に入れたものだ。その友達も、つい今月7月の始めに亡くなってしまった。

いつもオカリナを吹けと言われる。鞄にいつもはソプラノC管を入れているが、今回はポータブルデッキを持って来ていて、CDを鳴らしながら数曲を吹いた。オカリナも4本位他の鞄に入れて来ていた。他にお客もいなく、気楽に演奏する事が出来た。

終わった頃に、数人の客が入って来た。いいタイミングだった。

もう11時を回りそうだった。帰る事にして、来年又会う事にして、別れた。私は妹が送って来てくれていて、また迎えに来て貰った。10分も掛からない。

帰ると、また話を始め、次の日に変わってから寝た。流石に自分では飲み過ぎたかと思った。ビールに、芋焼酎を水割りにして氷を入れたものを4、5杯飲んだが、帰る間近にもう1杯飲む事になった。只だと言うので。


28日にも早く目は覚めたが、ちょっと飲み過ぎた感があり、9時頃まで寝転んでいた。少し納まったので、台所に食べに行った。

昨日のUs君が、11時に近くの商工会館の図書館の前に迎えに来てくれる事になっていた。小学校1年生から3年生までクラス替えはなく持ち上がりで、その男先生を殆どの者が慕っていた。まあ、滅多にお目に掛かれない素晴らしい先生だった。島根県の代表的な書家でもあった。

もう先生はおられないが、その娘さん、と言っても喜寿位であるが、その先生の家に娘さんH i さんをUs君と去年から訪ねる事にしている。Us君は奥さんと一緒だ。私はその車に乗せて貰う。

木々や山に囲まれ、蝉の声しか聞こえない。出雲から西へ行くと、多岐と言う町がある。そこを少し奥へ入った所だ。

仏壇にお土産を置き、線香を手向け、H i さんは止め処なく言葉を紡いでいく。Us君の奥さんも、家族の事など話してくれた。4人はソファーに座ってタコの燻製やお寿司を食べる。その前にビールを飲むのだが、私は余り飲めなかった。昨日の焼酎が効いていたからである。Us君は幾らでも入った。

私は、飛行場で横浜組を迎えるまでに買って置いた出雲の旭酒造の酒を出した。これは結構美味しかった。だが、量は沢山飲めなかった。

ここでもオカリナの演奏会となり、徐に吹き出すと3人はソファーから椅子席に移って聴いた。何曲も吹いたと思う。最後はH i さんのリクエストで「浜辺の歌」を吹いた。何故早目に吹いたかの理由を話そうとしていたが、とうとう話せなかった。

H i さんは詩吟を習い始め、6時からだと言うので、5時45分にはお暇をした。何と5時間近くいた事になる。

Us君が帰りに車の中で言った。蕎麦打ちをやっていると。30日に持って来てくれるらしい。

帰ると、5人は墓参りに行ったり、仏壇の掃除をしていたようだ。

夕食が済むと、皆それぞれに話したり自分の事をしたりした。

夜も深まって、恒例の遊びをしたが、記憶テストのような問題を1人ひとりが出す事にした。先ず私が20問単語などの言葉を考え、20出来たら皆に鉛筆と紙を置かせ、私が言う1から20までの言葉を覚えさせる。「いち、携帯電話」と言った要領で。次を言う迄、3~4秒位間を置く。

20問全部言い終わると、言った番号の言葉を1から20迄番号を予め書いて置いた紙に書いて行く。番号と言葉が一致しなければそれは点数に入らない。

こうして何度やっただろう。出題者を換えて。

悠介は16問位合っている。私は14問が最高で、後は8問や7問がある。常に2番だった。悠介が1番である。全問正解しようと意気込むのだが、歳の所為は怖い。あの頃の柔軟さが欲しい。

10問でやっても、全問正解にはならなかった。良くて8問だ。

時間がすぐに次の日を知らせる。この日も3時までには寝た。


29日は、私は終日暇だ。

昼頃に、足立美術館へと遠出をした。今度は安来市である。だが、やっぱり53㎞をナビは示している。余り遠くではないらしい。以前にも行った事があるので、もう既に観たと思っていた。だが、移り行く自然の庭円は素晴らしい。5万㎡の土地の庭園は、それはそれは美しかった。携帯の待ち受け画面の為に何回写しただろうか。

展示も素晴らしい。観た記憶のあるものもあった。横山大観の絵は、流石に思想と迫力が内在する。鏑木清方。上村松園。伊東深水。竹内栖鳳。菱田春草などが貫録を見せている。

器と言えば河合寛治郎や北大路魯山人のものがある。河合寛治郎は出雲の出西窯とも縁が深い。北大路魯山人は、和歌山で中々の妥協を許さぬ醤油を作っている。

この庭園は日本でも1番に上げられ、少しでも土の下からミミズの糞が現れようものなら、職人さんが遠くから目を凝らしていて、元の一糸乱れぬ姿に直しに行くのだそうだ。入場料2,300円は高価だが、そんなにしばしば来る事もなく、これが最後だと思えば、全員が観て回った。そして、一杯美しさを詰め込んだのである。

その後は島根ワイナリーに行った。土産はそこで十分に買える。おまけに、ワインだって買える。しかも、試飲が出来るのだ。だが、私は飲む事は出来なかった。ちょっとでも、飲酒運転になると思うからだ。「乗るなら飲むな、飲むなら乗るな」、いつもそう思っているから。

夜はやっぱり次の日にならなければ、誰も寝なかった。念願の南方パン、薔薇のパンを食べた。妹が私の言葉を真に受けて、5個買って来ていた。くるくる柔らかいパンを薔薇の花のように巻いて、その間にクリームを塗っただけのものだが、それでも念願が叶った。


30日は最後の日となった。飛行機は夕方7時10分に出発する。6時までには行って置きたいと言っていた。

私は、出雲大社と日御碕神社と日御碕の灯台に行く事を提案した。Us君から電話があり、蕎麦はいつ持って行ったらいいかと聞いて来た。夕方5時には家にいると言った。

皆と出雲大社方面に向かったのは、やはり正午過ぎだった。

奥の拝殿は行かずに帰る人もいるようだが、ここにお参りをしなければ意味がない。ここにこそ、大国主命が鎮座されている。我々は北に向かって礼拝するが、大国主命は西に向いて鎮座されている。ぐるっと社殿を回ると、西からも拝めるようになっている。これは意外と知らないスポットだ。

更に北側に、素戔嗚尊の社殿が、立派に修復されていた。

その後は車で一路日御碕神社へと。ここ朱色の社殿には、下に天照大神、石段を上ってすぐ素戔嗚尊が祀られている。ここも、知る人ぞ知るパワースポットであろう。

日御碕の灯台はすぐそこにある。やっぱり来て良かった。何も上らなくていいし、上れば今は200円する。ハーハー言う事は分かっているが、初めての人は上ってみる価値は十分だ。

海は青く、水平線は緩やかな弧を描いている。皆なで、燈台を囲む白い塀をバックに写真を撮った。ここは私もお気に入りの場所である。

私は墓参りをしていないので、皆でちょっとお参りする事にした。それを終えるとすぐに家へ。Us君から早々と電話があり、もう家に来ていた。蕎麦を打って来てくれたのだ。立派に出来ている。手作り感がよく出ていた。

蕎麦をあまり食べない者もいる。今から茹でると言っても、積極的に食べたいとは言わなかった。蕎麦を食べる習慣がないのだろうと思った。全部茹でた。かなりの量になった。少しずつなら10人分くらいはある。私は皿に盛り付け、妹が刻んだネギを乗せ、蕎麦用の袋入りだし汁を入れて、それだけで食べた。

これは好き好きもあるが、4人が食べた。その反応は凄まじかった。

「美味い」

食べた者の最初の感想だった。積極的に好きではなかった者が3杯も食べたのは、その美味さを証明している。私も勿論3杯食べた。葱とワサビだけで、本当に美味しかった。

「蕎麦に甘味があって美味しい」

そう言った者もいる。あっと言う間に、蕎麦はもう何処にもなかった。全部完食だ。

5時45分に家を出て、出雲飛行場へ向かった。さして渋滞もなかった。飛行場では、皆買い物をした。7時10分に出発予定が、到着便の遅れで7時35分に延びた。適当な時間に、再会を願って握手をすると、4人は検査を受ける搭乗口へと消えて行った。

妹と私は3階に上がり、滑走路の見えるデッキに出た。今までのように50円を取ったりしなくなっていた。無料はいい事だ。35分が過ぎて皆、飛行機に乗った。

飛び立つ飛行機が暗くなった遠方に見えるが、垂直尾翼が特にシャークの背ビレみたいに不気味に見えた。ボディーはよく見えず、まるで背ビレだけ見えるジョーズのようだった。西から滑走路に着陸した飛行機。これから東に向かって勢いよく飛び立って行く飛行機。4人の乗る飛行機も、8時前になって滑走路の東側に移動すると、次第に速度を上げ、西に滑走した。機体は上に体を上げると、接地する部分は全てなくなり、そのままぐんぐんと上昇し、迂回して、東の空に消えて行った。

家に帰ると何も食べたくなく、9時30分過ぎには神戸へと向かうべく、妹と別れた。

もう、車の灯りしか見えない暗さになってしまった。単調な景色に退屈になる。兎に角、米子道の蒜山高原SAに向かった。そこに入ると暫く目を閉じた。眠い時は、こうしてシートを倒し、少しでも眠るに限る。神戸への到着予定は2時過ぎだった。

蒜山高原のジャージー牛乳のソフトクリームはすっかり有名になり、明るい内なら食べられたが、もうこんな時間には売っていない。それにしても値上がりしたものだ。350円になって吃驚したのも束の間、最早380円に値上がりしている。それでも、食べたい者は食べるのだから感心する。私だって食べた。

余り小さなPAでは寝たくない。次は米子道を出て、中国自動車道の勝央SAに入った。2時に近かった。少し寝たが、気が付いて見ると空が明らんで来ているようだった。5時頃に山の間から朝日が覗いた。もう眠くはない。只管家に車を走らせた。

皆、25キロオーバーのスピードを平気で出している。私はそれを越えないように走った。

家に着くと6時頃ではなかったか。幾ら眠くても、31日はオカリナの練習に行く事になっている。昼の1時に約束をしている。これが終わるとやっと時間が出来る。寝られると思っているのに、こうして今迄ブログを書いている。

8月1日の今日は、福岡の久留米を出て、2番目の娘の家族5人が我が家に来て泊まる。転勤で、随分近くに来るようになった。今晩は旦那と飲まなければならない。しっかり寝て、ビールや焼酎が美味いようにして置かなければ・・。

それにしても出雲の5日間は、新幹線のように唸りを上げて過ぎた。どうしてこんなに、時は速く過ぎていくのだろう。別れる空しさや悲しみを胸に感じながら、また会える日を夢に見て過ごす事になるのだろう。

人の心は、落ち着く事を知らない。安心立命の心で居られる人が果たしてどれ位いるのだろう。やっぱり、人間は旅人なのかも知れない。人と会う瞬間瞬間が愛おしいのだ。