珍しく黄蝶がひらひらと飛んでいた。高く、低く。バス停の前の車道の上を。
アスファルトの上に止まった。手前の車の左側への動きが気になった。早く、上に飛んで行け。そう思った。そこまで行って抓んで安全な場所に移動させる事も考えたが、車の動きは左へ連なっていた。風圧で少し飛ばされたが、次の車の擦れ擦れに保たれた。
もう轢かれるだろうと誰しも思っただろう。軈てその黄蝶は動かなくなった。
やって来たバスに乗った。空腹を感じた。昼食を食べ忘れたのだ。11時42分のバスに乗って、垂水へと急いだ。急いだってどうにもならないバスに身を任せて。
快速に乗って須磨駅に着いたが、そこには普通電車が待っていなかった。垂水からの普通を待つしかなかった。
普通に乗り換え、新長田駅に着いた。12時30分にKi君と待ち合わせをしている。オカリナを一緒に練習している女性が、聴きに来たいと言っていた。だが、その姿はなかった。
焼きそばパンとレモン味の午後の紅茶を買って、新長田の噴水の側のお尻安めの椅子に凭れて食べ始めた。急に鳩の一群が私の元に舞い降りた。その数は百羽までも行かなくても、それに近い感じがした。驚いたの何の。私はもてるのかと思ったりした。
何の事はない。私のパンを狙っていたのだ。恐れる鳩は1羽だにいない。食べて食べて、飲んで飲んで。もう貰えないと思ったのか、少しずつその場を離れて行った。ちょっとでもパンの切れ端を投げ与えようものなら、隣りにいる人にも迷惑を掛けた事だろう。
向こうにKi君の姿が見えた。手を挙げると、彼はこちらにやって来た。
もう1度駅に入ると、45分までに来るかも知れない人を待った。誰も来なかった。2人は奄美会館に歩みを向けた。
分かり難かったが、その3階に上がると、シマさんがいた。25、6人の人がいた。もう私とはよく話もした事のある人がいて、二分の一は、少なくとも知った人だった。
1時になると、シマさんが主宰するばしゃ山会の教室内の発表会が始まった。彼がこしらえた5枚綴りのパンフレットは時間の掛けられた立派なものだった。1番から15番まで生徒さんの演奏があった。1人に対して1曲が基本で、中には2曲演奏しながら歌う人もいた。
皆さん、自分のやって来た演目の披露をして、それは其々に力を発揮していた。シマさんは流石に師匠である分、彼の声は未だに衰えてはいなかった。朝花節以下、発表する人の歌詞は悉く彼が載せ、その奄美の言葉の意味を翻訳してあった。
私はゲストに呼ばれていて、7番目がその演奏だった。
1番前で扇風機の風を浴びていた私は、前に出ると急にその風も当たらなくなった。クーラーの冷房も、殆ど利かなかった。それは後から感じる事であって、演奏している間はそれはなかった。
精一杯の演奏を心掛けるしかない。ああ、聴きに来たいと言っていたOhaさんは、若い誰かと始まってすぐにやって来た。私の傍に来るよう手招きをしていたから、後ろに来て座布団に座った。
私が喋った事は割愛するが、演奏曲は「故郷の原風景」「船頭小唄」「アランフェス協奏曲」「さとうきび畑」「千の風になって」だ。示し合わせたように、シマさんがアンコールを要求すると途端に「アンコール、アンコール」と言ったお決まりのコールが始った。そらの陽さんが、シマさんから依頼されていたのだろう、私をやたらに写していた。
アンコールは「剣の舞」だ。それが終わると、再びアンコールはなかった。2曲用意していた私は、
「私からアンコールをさせて下さい」
と言った。そして、徐に演奏したのは「島唄」だった。
ここで休憩となり、サータアンダギーとお茶が振る舞われた。人参やジャガイモの入った、もちもちしていて美味しいものだった。
勿論だが、彼がとりを取る事になっていた。突然、彼はその前にそらの陽さんにオカリナを演奏するように言った。彼女はオカリナは持って来ていた。「浜辺の歌」と「思い出のアルバム」をアカペラで演奏した。そらの陽節の、あのビブラートが炸裂した。
それで席に戻ろうとするとアンコールの声が掛かった。私は透かさず出しゃばって、「ふるさと」を一緒に吹こうと言った。ハモる面白さを伝えたかった。そらの陽さんが先ずソロで。2コーラス目で私が下の部分を吹いた。
最後の最後、「六調」をシマさんが奏で始めた。有志が踊り出した。今度はゆっくり踊りを観られると思っていた。だが、案の定、或る人が私を踊りの輪に入るように促した。遂に捕まったと思った。すぐに立って踊ったが、手の合わせ方や仕草が上手く行かなかった。そらの陽さんは写真を撮っていて踊らなかった。
終わった後は、板宿にある飲み屋さんに集まる事になっていた。狭いので、誰も彼もと言う訳には行かなかった。このメンバーの1人がそこのママさんで、先に帰って暫くしたら来てと言われていた。この3階は暑い。シマさんは何度「死にそうだ」と言って扇風機の側に移動した事か。
2階に移動すると、皆生き返ったように「涼しい!」を連発した。3階の半分位の部屋だった。
少しして、バスに乗った。バス停に着いてからが遠いような気がした。
「遠いなあ」
と言うが早いか、その店はすぐ右手にあった。
「近いなあ」
と私は言った。勝手なものだ。
カウンターではない小さな席に男性6人が上がった。後はその壁側に丸椅子を並べ、女性4人が座った。暫くすると1人2人と、さっき一緒にいた人も、いつもこの店に来ているだろう人などが集まって来た。カウンターも6、7人が座って満席になり、溢れかえった。
料理が奄美の郷土料理のように見えて、フレンドリーで楽しいものとなった。生ビールの後は、「まんこい」と言う黒糖焼酎を注文した。
オカリナを吹いてと言われた。他のお客さんもいるのに、大丈夫かなと思った。
私のアタッシュケースの中の11本のオカリナを見せた。今は私が好んで使っているお気に入りのオカリナを詰め込んでいる。そらの陽さんにファエンツァの5Cを試奏して貰った。彼女には好評だった。そのファエンツァも、5年振りに改良され販売されている。タイミングのものだと思うが、もうどんな事があっても買う事は出来ない。それだけ高価なものなのだ。音もデザインも満足度は高い。
私がすぐに吹くならアカペラでの「リュブリャーナの青い空」だ。飲んでいる割りには間違いもせず吹けた。演奏根性なのだろうか。例え飲んでいても、これだけはいい加減に出来なかった。
シマさんが長い三線を弾くと、どんどん入れ替わって歌って行く。この店には、特にそれが相応しい気がした。
もう1度アンコールがあって、今度はラジカセで伴奏を鳴らしながら「かあさんの歌」をソプラノB♭管で吹いた。それでオカリナは終了となった。
9時前になり、シマさん夫婦も私も、後数人も帰る事になった。残っている人もいた。西に帰る者は3人で、初めて出会った男の人とそらの陽さんと私は、新長田駅を目指して高架沿いに歩いた。だが、無暗に遠い。結果、鷹取駅まで歩いていた。
そらの陽さんとトリプルオカリナの話をしていて、彼女に言われなかったら垂水駅を過ぎる所だった。慌てて降りた。男の人は加古川まで。そらの陽さんは姫路まで乗る事になる。
垂水駅で降りた私は、吉野家で特大の肉皿を買った。帰ったら飲むあてにする積もりだった。
バスが来たが乗らなかった。そして、次のバスに乗るべく、ベンチの1番前に座って待つ事にした。オカリナの入ったアタッシュケース。ラジカセの入ったバッグ。楽譜など小間物諸々の入ったバッグ。肉皿。それに、頂いたものの入った紙袋などがやけにかさ高く、そして重かったからだ。バスの1番前の左側の席に座って、荷物を置きたかった。
そらの陽さんからは揖保乃糸の冷や麦を頂いた。好物だ。また、聴きに来てくれたOhaさんからは日本酒を頂いた。それは、開けて吃驚だった。包装紙をビリビリと破ると、そこから出て来たのは720mlの「獺祭(だっさい)」だった。あの味の感激が蘇った。特大の肉皿ももう終わりに近い。「獺祭」と吉野家の肉とのコラボが、絶妙な味のハーモニーを醸し出している。
ウインブルドンは、マーレーが3年振りに2度目の優勝を遂げた。この死闘も終わってみれば瞬間だったが、私の1日も、瞬間に終わった。もう全てが固定されてしまい、終わった瞬間からの過去が、どんどん遠ざかって行く。オカリナの演奏が出来た事。シマさんが演奏の機会を与えてくれた事に、改めて感謝したい。
どれだけ練習しただろう。そんな積み重ねが、瞬間に終わった。瞬間瞬間を歩み続けることこそ、生きる実感の場だと思った。私は私のオカリナでいいし、私のオカリナ以外の何ものでもないなと思う。