2時に目が開いて、4時に目が開いて、5時過ぎに床を出て、「春夏秋冬」の食パンを食べた。残っているピーナッツバターをスプーンで全部擦り取って、塗った。
2階に上がり、オカリナ演奏に必要なものを鞄に入れ、オカリナを入れたアタッシュケースを持って降りた。譜面台も一所に集め、いつでも出られる準備をした。7時10分過ぎの垂水東口行きのバスに乗った。
7時45分の下り電車に乗り、加古川へと向かった。平日のこんな時間。通勤の時間帯だ。座れる訳がなかった。それでも30分経つと、JRの加古川駅に着いた。
8時40分に、O君と待ち合わせをしている。Ki君は緊急な用が出来て、出雲に帰った。そこで、KikさんにCDを回したり止めたりする仕事を、急遽お願いした。その為に、機器の簡単なやり方とリハーサルが必要だった。Kikさんも加古川駅にO君の車に乗って来ていた。
40分の約束だったが、30分には私は来ていて、O君もその頃来たようだった。早速、陵南公民館へと向かった。
私にオファーしてくれたFさんも、丁度車で着いた所だった。50分頃に着くと踏んでいたのだ。
会場に入ると、椅子をを並べていた。オーディオ機器を始動させながら、CDを鳴らした。とても上手く行った。だが、以前ここでリハーサルをした時、鳴る時と鳴らない時があった。
10時から11時半までの演奏だが、もう加古の里大学のOBの方々は9時20分からラジオ体操をして、それからオカリナ演奏を聴いて頂くので、10時まで待つのもどうかと言う事で、9時45分から始めてもいいかと打診があった。私は一向に困らない。
もともとオカリナの演奏と講演を依頼されていた。公演と講演。オカリナ演奏では珍しい事だろうが、去年同じ事をしている。それを聴きに来ていて、同じように依頼された。
「出会いと仲間作り」が講演だ。これなら、何を喋ってもおかしくはない。範囲が広いのだ。
いよいよ始まった。9時頃には何の支障もなかった。上手く行く前触れだと思った。だが、エラーが出たりして、音源の音が出なかった。何度も挑戦してくれている中、私は時間稼ぎにオカリナの話や説明をした。音が出るまで待つのは時間の無駄だし、聴く人も怪訝そうになる。こんな時、臨機応変は必要だ。
ラジカセはこの公民館にはない。万事休すと思われた。だが、大学がラジオ体操などの為に持っていたのだ。早速私の傍の椅子に乗せ、その前にマイクを置いた。これで生き返った。ラジカセがなかったら、全13曲、無伴奏でやらなければならない羽目になっていた。
「色々ハプニングがありますが、こうなったら吉本になった気持ちでやります」
と言った。聴衆を退屈させてはいけない。笑わせなければ。
ラジカセがセットされてからは私が操作した。Kikさんの出番はなくなった。その分、演奏を聴いて貰える。このホールは192名が許容されている。後でKikさんに聞いた事だが、聴衆は150名位だったそうだ。それでも、私の公演と講演を聴く為に、こんなに来て下さったのだ。有り難いと思った。
皆さん、いい顔をして聴いて下さっている。私も、仲間ででもあるかのように話し、演奏した。
半分以上が済み、「かあさんの歌」になった。それまでにも何人かが泣いていたが、それはオカリナと言う楽器の特質と素朴な音の所為である。私には全員の姿が目に入る。声には出さないが、大泣きをしている婦人がいた。隣りの人が何かを言っていた。また、前の方の婦人も泣いていた。数人が泣いているのが分かった。
「かあさんの歌」の力だろう。私は作詞作曲者を牛窓に友と4人で行った時のことを話した。その張本人に、私の「かあさんの歌」を聴いて欲しかったのだ。それほどこの歌が、曲が好きだった。やっと聴いて貰えた時、懸命に吹いた。本人の前で。
しかし、終わっても何にも、一言も言って貰えなかった。この私の落胆振りは、一緒に来てくれた3人にもよく分かった。
この事に就いては、終わって外に出た時、涙が出たと言ったある婦人から「かあさんの歌」の事を言われた。
「この作詞作曲者の気持ちが、私にはよく分かります。きっと感激して、何も言葉にならなかったのでしょう」
私には、感激して喋らなかったとは思えなかった。もう歌い尽くし、歌い尽された歌だから。
「ああ、そう感じられたのですか。それは初めて聞きました。よくよくその事も考えてみます」
と言った。それもありかなと感じた。
もう終わりに近かった。最後の曲を吹いた。皆さんの拍手や笑顔が半端ではなかった。演奏できて良かったと思った。
「アンコール、いいですか」
の司会者の言葉に、嵐とは言えないまでも、拍手が起きた。アンコールの連呼と声援も起きた。ちょっとテンポのいい曲を演奏した。何度も拍手を貰って、私はホールの外に出た。
島根県出雲市出身と紹介されたので、演奏の前に2人の人と話す事になった。
1人は出雲の出身だと言う女性。もう1人は山陰合同銀行のOBの男性だった。彼は、6月1日にそのOB会で出雲に行くと言っていた。400人集まるそうだ。この2人ともゆっくり話したかったが、そうも行かなかった。
今日も、もう演奏した事は忘れてしまった。自分は気持ちよく演奏出来たし、聴衆も気持ちよく聴いてくれたからだった。真心を込めて演奏すれば、必ず伝わるのだ。今日もあっと言う間に過ぎたが、私には特別の日だった。
終わってからO君が、とっても美味しいリーズナブルな店「おおにし」を予約してくれていた。Kikさんと3人で来た。ここの昼食は女性にも大人気だと言う。
さっき聴いて頂いていた女性が数人、奥の部屋にいた。私を見るや挨拶をしてくれた。
食べ終わって帰ろうとする時、奥の部屋に会釈をして外に出た。すると1人の婦人が出て来て、
「あの俳句をもう1度教えて下さい」
と言った。
「『一枝の椿をみんとふるさとに』ですよ」
私は出会いの話で、祖母は私の恩人の1人だと言った時、かの有名な原石鼎に師事していた事を話し、出雲の一の谷公園に、その俳句の句碑がある事を話したのだった。
ふるさとへではなくふるさとに。その「へ」と「に」の違いも話していた。1字で深みが全く違う事を。
O君とKikさんは、フライング・ディスク・ゴルフをやっている。そこで、そのゴルフの出来る所に連れて行ってくれた。フリスビーと言っているディスクで、私は100均のもので孫達と遊んだ事はある。だが、このゴルフに使うものは少し重く、値段も2,000円はすると言った。Kikさんなどはもう10年以上やっていて、そのディスクを14枚も持っていると、O君から聞いた。使い分けると言う。ゴルフのアイアンを思った。2人のどちらも本格的である。
松林の中に一般的なゴルフのホールのようなものがある。それはホールではなく、ディスクが空中で入るような代物だった。私には初体験となったが、結構な運動量だ。18ホールあると言うが、結局は7ホール体験した。
難しいものだ。一番成績の良かったのが、ボギー(全てパースリーだ)である。木に当たったりして、中々上手く行かない。Kikさんのディスクの動きは、流石に真っ直ぐ遠くに飛んだ。また、木を避ける時には右側から回って飛ぶような投げ方をした。ホームも様になっている。2人のディスクは美しく飛んでいく。言わずもがなバーディーやパーで、流石の実力だ。楽しいひと時だった。
最後に喫茶店でコーヒーを飲んだ。3人ともホットコーヒー。私だけ、苺の乗ったショートケーキを注文した。
すぐそこが山陽電車の浜の宮駅だった。車をそこに置いて、駅まで送ってくれた。親切にもKikさんは、
「東二見で特急に乗って下さい」
と言った。その通りにすると、とても早く山陽の垂水駅に着いた。王将の餃子とも思ったが、えびすの握り寿司を買って帰った。安いけれど8貫入っていた。もうとっくに食べてしまっている。鹿児島の西酒造の芋焼酎「宝山」を飲みながら食べた。もう、なくなりつつある。
流れる儘に過ごした演奏と講演。楽しかった。聴衆を呑み込んでしまえば、これこそ私の独壇場だ。気持ち良く演奏出来た。これが何よりだ。
あれだけ待っていた、長かった演奏&講演会が、こんなにあっと言う間もなく過ぎ去るものか。
茶色の小瓶に残った「宝山」を全部入れてストレートで飲もうと思っている。氷を入れて水を加えたいのだが、立って冷蔵庫まで氷を取りに行くのが面倒である。25度だけれど、流石にきつい。これぞ、元の味。俄かに胃の辺りが熱くなった。
公民館を出る前に、
「お話させて貰ってもいいですか」
と、加古川市の女性職員が口を開いた。
「今度、お願いしていいですか」
加古川へは何度か演奏をさせて貰いにやって来たが、またオファーが来た。加古川とえらい親しくなった気がした。加古川の人達って、とても明るく親切で、親しみの持てる人が多く住んでいる所だなと思った。