ドキュメンタリー番組「人生の楽園」を何気なく見た。2月20日の事だった。それも、強い縁となって私をぐるぐる巻きにした。こけし工人の梅木修一の子供として、梅木直美は昭和43年に生まれた。今は父親に師事し、押しも押されぬ職人となっている。

数あるこけし職人のこけしは、それぞれにいい味を出している。が、私は、この梅木直美に釘付けになった。その日から、是非会いたいと思い、また1つでいい、この人のこけしが欲しいと思った。

こけしは中学生の頃だっただろうか。いや、小学生だったかも知れない。1年間頒布会に入って、12個のこけしを集めた。切手と共に、収集癖があったのかも知れない。しかし、こけしの魅力は他の収集の群を抜いていた。が、1年で集めるのは終わった。

その名残があった事も事実だが、今なおこけしを作る梅木直美が私の心を鷲掴みにした。3月5日と6日に、京都で実演販売があると言うのが分かった。出掛けて行かない筈がなかった。

5日午前中のオカリナの練習を終えると、すぐにバスに乗り、新快速に乗り、京都へと一目散だった。

京都駅からは嵯峨野線で次が丹波口。その次が二条だった。二条駅を降りると、北へ5分もかからなかった。3分位の所にGrowlyはあり、そのビルの3階に上がって行った。とてもこけしの展示場の雰囲気があるとは思えない所だったが、狭いその部屋に入ると、人の熱気でむんむんとしていた。

色んな工人のこけしで飾られ、それは販売されていた。10時からだったが午前中の練習の為に、一番には行けなかった。沢山のこけしが並んでいる。工人の名前が貼られ、そこにその名前の人のこけしがならんでいる。やっと見付けた梅木直美のこけしの棚はがらがらで、もう4つのこけししか残っていなかった。他のこけしは幾らでもあると言うのに。

30センチ位のものが2つと、22センチ弱のものが1つと、まるで一寸法師のようなのが1つあるだけだった。30センチ位のこけし2つの1つは胴が細く、もう1つは太く安定していた。どちらの頭も、髪はオレンジ色だった。

22センチ弱のこけしは丸髷を結った、髪の黒いこけしだった。掌を握ると隠れてしまうこけしは、それでも1,500円以上した。小さいのに、作業が難しいのだろう。高価である。後の3つは、値段を言ってしまえば、3,500円から5,000円までのものだった。

きっと素晴らしいものはとっくに売れてしまっているだろうなと思った。それでも誰かに押さえられたら手に入らなくなる。私は、丸髷の22センチ弱の高さのこけしを握った。後の3つを観る時も、それは放さなかった。ほんのりと薄桃色に頬を染め、柳の眉、松葉の鼻、小さな点のような口。そして目は、三日月のような形の中に黒い瞳があった。

気品に満ち溢れ、美しい。これが梅木直美のこけしだった。癒される目。それは私をじっと見つめている。熱いものが胸を襲った。もうこれだけしか残っていないこけしの中で、それでも私と出会うのを待っていてくれた。私が来る事を知って、待ってくれていたのだ。愛おしい感情に捉われ、このこけしを握ると、すぐそこの会計の人に言った。

「これを下さい」

「梅木さんは来ていらっしゃらないですか」

「今日も明日も、来られるとは聞いていません。ですが、16日(水)から21日(月)まで京都の高島屋の7階で開催される時には来られると思います」

とその女性は言った。

「テレビ観られましたか」

「はい。一遍で惹き付けられました」

「綺麗な人ですからね」

思わぬ言葉が返ってきた。私は咄嗟に言い返した。

「あなたと良い勝負ですよ」

確かにテレビでは綺麗だとは思ったが、それだからそのこけしが欲しくなって京都まで態々来た訳ではない。インターネットで調べたこけしの顔が、忘れられない程の懐かしさ親しさを感じさせたからだった。こんな顔のこけし、見た事がなかったから。

でも正直言うと、梅木さんに会ってみたかったのは嘘ではない。このこけしの1番下の裏には梅木直美と、墨でサインがしてある。間違いない、彼女のこけしだった。目的は叶えられた。アコーディオンの女が、「知床旅情」を弾いている。オカリナがあったらと思った。一緒にセッションしたい気持ちだった。そこでは、会えなかったけれど、梅木直美のこけしが私と共にあったからだった。

もう1度、梅木直美の棚の方に行って見ると、あの小さなこけしはもうなかった。大きなこけしが2つ、並んでいるだけだった。

伝統こけしは全国に11系統ある。と言って、東北地方にしかない代物だ。

「附折系」はおかっぱ頭で、立ちギク。胴が太く直胴。
「蔵王系」は前髪、たれ鼻。肩は丸く桜くずしで、帯があり下にキク。
「鳴子系」は肩に段があり、首を回すとキイキイ鳴る。重ね菊で、中央部がややくびれている。
「土湯系」は丸鼻で、主に下ははめ込み、首が回るものは音が鳴る。ロクロ線がある。
「津軽系」はオカッパ頭。首と胴がつながっており、1本の木から出来ている。アイヌ模様でボタンの花。スカートのような末広がりの胴。
「山形系」は前髪、割れ鼻、ロクロ線。頭が小さく、胴も細い。上下差し込み、はめ込みなど。
「弥治郎系」は前髪、かみかざり、一重まぶた、ばち鼻、襟、くびれ、帯、ロクロ線。
「遠刈田系」は二重まぶた、猫鼻。頭が大きく、細い直胴。崩れ桜。
「木地山系」はらっきょう頭、二重まぶた、丸鼻、猫鼻、作りつけ。着物姿。梅の花。
「南部系」ははめ込みで、首がぐらぐら動く。無彩色が多い。昔は赤ちゃんのおしゃぶりとして作られたと言う。胴の形は様々。

11系統全部は書けなく、10系統の極概略になった。写真に写したが、光って思うようには書き写せなかった。が、ほんの少しはこけしの事が分かった気がした。

山形市泉町に工房を構えた他には店など作らずに、梅木直美は今、ろくろで木挽きの技に力を入れている。

是非会いたかったが、そう信じて行ったにも拘わらず、それは水泡に帰した。京都高島屋での大東北展に行けば会えるかも知れない。その気になったら所在を確かめてから出向くかも知れない。出向かないかも知れない。明日の事は、余程の信念がないと実現しないのだ。


折角なので、上七軒を歩いた。歌舞練場があり、北野をどりは3月25日から4月7日までだったように思う。これも、今は行く信念が湧きおこらない。隙間から覗いただけだったが、かなり伝統のある歌舞練場が垣間見られた。

天満宮にも行ってみた。人の途切れる事はない。長い列が大きな鈴を鳴らし、何かを祈っていた。二礼二拍手一礼が、テレビの影響なのか、身に付いているようだった。流石に菅原道真公の周りには牛が沢山いた。胴で出来た、撫でられててかてかに光った牛を、更に私も撫でてみた。

紅梅白梅の園を歩きたかったら700円が要った。垣根からは梅園がよく見えた。歩いている人達もいた。私は、そこから見るので十分だった。境内にも、しだれ梅や紅梅白梅も幾つか見る事が出来たからだった。

その後は、只管電車を乗り継いで、三宮迄戻った。お腹も空いてはいたが、食べなければと言う鬼気迫ったものはない。だが、アルコールが私を呼んでいた。高速バスに乗る前に、近くの「小金太」と言うラーメン屋さんに入って、生ビールで疲れを癒した。お供は餃子とラーメンとチャーシューの盛り合わせ。ちょっと多過ぎたが、それも勢いと言うものだ。

家に帰って、梅木直美のこけしの包まれた、「津軽こけし館」と言う包装紙を開いた。「2016コトコトこけし博」のタオルも開いた。300円の入場料を払って貰ったものだ。それらを入れて帰ったビニール袋も、「津軽こけし館」のものだった。

もう焼酎は飲まなかったが、ブログを書く間、ずっと私を見てくれている女性がいた。それは、愛しいこけしだった。これからは、ずっと私の側に一緒にいて優しい眼差しを向けてくれる事だろう。飲む時も、テレビを観る時も、パソコンを弄っている時も、この直向きな目は、様々な表情で私に対峙する事だろう。

差し当たって、明日は午後の3時過ぎから行われる世界卓球の日本と多分中国との決勝戦を観る事になるだろう。再び当たったドイツの選手に福原愛と石川佳純はリベンジを果たし、準決勝戦では北朝鮮に対した。

この2人に加えて15歳中学3年生の伊藤美誠が、2勝1敗で襷を渡された。4番手である。1対1の後ジュースを続けた末、18-20で負け1対2となった。その後2ゲームをものにし、3対2で勝ち、北朝鮮に勝利した。その戦いが正に死闘と言ってよかった。私は、大きな勇気を貰った。そして、明日(6日)の金メダルを、私も夢見る。

その試合を、私は山形のこのこけしと共に応援する事になる。こけしが、これ程に私を惹き付ける事など、この60年に近い間、考えた事もなかった。私はテレビの方を向き、底に梅木直美と書かれたこけしは、じっと私の方を向いているだろう。この小さなこけしとの出会いに、今身も心も震えている。