小川ローザが出ていたCM。古い映像が強烈に、猛烈に思い出されます。

それが今日のブログとは、殆ど全く関係ありません。ただ、猛烈で新鮮で楽しく、疲れる思いをしたのは事実です。そのお話が、これから始まるのです。


夜中に2度もトイレに起き、早く寝たにも拘わらず、もう夜明けかと思って時計を見ると真夜中の1時だったり、寝て起きるのが1時間ちょっとのインターバルだったりしたのだ。

仕方がない。5時半には起きた。あれやこれや準備をし、各関係家庭に配布して貰わなければならない分厚い書類を、その方々の家に車で持って行った。起こす積もりもなく、家の軒先にこっそり置いて行く仕事である。今日出来なければ、明日になる事は明らかだったから。

家に帰ると5分も掛からない内に家を飛び出た。7時前の高速バスに乗った。

右側にあった太陽が、左に回った。正に神明道路が終わる辺りだった。それからは、太陽は右に行ったり左に行ったりした。それはそうだろう、カーブが何度もやって来た。

孫娘と最近花札の5番勝負をする。ちょっとやり方を教えただけで、私が負ける事が多かった。

もう「猪鹿蝶」などと口遊む。赤短、青短も覚えてしまった。それらが集まると、30点相手にやらなければならない。私が小学生の頃覚えた儘を教えた。保育園から連れて帰ると、すぐに「じいちゃん、やろう」と言い出す始末。

「あんまり一生懸命になったらあかんよ」

その花札の中に松桐坊主のお月さんが山に昇っている札がある。長くなったが、それがこの朝日を思わせた。これも、モーレツの1つだった。


三宮からは阪急電車に乗った。西宮北口で今津線の宝塚行きに乗り換える。宝塚ではすぐに阪急バスがある。少し離れた所に阪神バスのバスストップはあった。少し早めに出たのは、そんな初めての場所を確認する為の余裕を確保する為のものだった。

阪神バスに乗ると、間もなく出発した。次の駅が劇場前だ。言わずと知れた宝塚歌劇場のある傍だ。阪神宝塚バス停から5つ目だったか、そこが小浜だった。どんどん北に向かって上がって行った。

神殿は見ていないが、皇大神社と言う名の鳥居は、存在感十分である。そこを左手に見ながら、小浜5丁目15-2を探しながら歩いた。小浜工房館への案内の札が目に付いた。その角を曲がると、あっと思うが早いか、ふんずさんが私に声を掛けた。車で来ていて、早目に着いたので散策する所だったと言った。

暫く話していると、9時にもう少しの時間だった。私は、缶コーヒーを自販機で買って飲んだ。微糖の缶を選んだが、やっぱり私はブラックがいい。こんな人間ではなかったのだが。これも猛烈の1つに入れて置こう。次からは飲まないと思うので、記憶に残った。

職員が通勤して来る姿を見た。9時になったようだ。今日の猛烈は、9時半からだ。中で話す事にした。まだ会社員である先生は、もう来ていた。盛んに、「私は社会人なので」と言いながら、色んな話をし出した。

今日はオカリナの作り方を教えて貰う為に、やって来た。ふんずさんのブログを観ていなかったら、こんなラッキーな猛烈はなかったのだ。

先生が驚いていた。男が6人、女が1人だったからである。普段は殆どが女だったからだ。最後に来た女性は、何と広島からやって来ていた。実家が大阪にあるので、そこから来ていると言う。

先生と言うのはコンピューターが30年のベテランで、デジタル人間だと言った。PCを通して、自分で伴奏を作ったり、楽譜を作ったりしていると言う。

9時半から10時半まで、殆ど先生の話から始まった。結構丁寧に話をした。

粘土も石膏型も穴開けも粘土を書き出す器具も歌口のヘラも、皆必要なものは揃っていた。1人は3度目で、ソプラノF管を作ると言う。後の6人はアルトC管を作る事になった。一般的な小浜オカリナと言われるものを作る者は2人位で、残りの者は宗次郎さんのオカリナとよく似た型で作る事にした。私とふんずさんは、「宗次郎」だ。

12時を過ぎた頃、昼食になった。この辺には食堂もなければコンビニさえない。私は、宝塚駅でおにぎり2個とお茶を買って持って行った。おにぎりを昼食に食べるなど殆どなかったが、素っ気ないけど美味かった。すぐに済んでしまったが、おにぎりを買って来ていた者やコンビニの弁当を買って来ていた者の昼食だった。先生は、パンを齧っていた。

私の知っている有名奏者などが何人も先生の口から飛び出し、その1つひとつが面白かった。殆ど先生の言う事に間違いはなかった。

午後からまた制作に取り掛かった。先生は、1つひとつ新しい事を始める時には、皆を自分の側に集めた。そして、丁寧な説明と、実際にそれをやって見せた。よく分かったが、自分が作るものは完ぺきではない。もう2、3度通えれば、かなりの完成率は上がると想像出来る。

話を聞いていても、なかなかその通りには行かない。私は、兎に角歌口が一番気になった。

もう4時を過ぎていた。すると先生は、

「今から両側をくっ付ける前に、皆のオカリナに1人ひとり魔法を掛けます」

と言って、順番に前に呼んだ。私はまだ先生が掛けた魔法が乾いていなかったので、1番最後になった。優秀な生徒ではなかったようだが、きっと信じている。私のオカリナが、私にしか出せない音に仕上がって来る事を。

もう疲れて、集中力も途絶えた。その疲れさえも猛烈だった。テーブルを拭き、片付けをする。その時の時刻が6時頃だった。出来上がるのは3月末になる。8時間はとうに過ぎていた。家を出た時から計算すると、何と11時間経ったのだ。凄い猛烈な1日だったが、オカリナ作りなど相当な情熱がなければ出来る相談ではなかった。もう、古稀の人間がこれから作ると言うのは常識では考えられない事だった。

だが、やり方や流れは一応分かった。無理をすれば作れるだろうが、私は演奏する事を重視する事に変わりはない。先生は言う。

「オカリナは、音が良いとかは、粘土で決まります」

と言った。いつかそんな制作の空間が出来た時、ゆっくり作ってみるかも知れないと思った。先生が名指しで話してくれた事は、個人に対してここでは言わない方がいいと思う事もある。なので、一切それは書かない事にした。

いやあ、初めから秘密になるような作り方に関する事も話してくれた先生は、とても魅力に満ちていた。まだまだ聴ける事もあるだろう。次にチャンスがあったら、きっともう1度教えて貰いに行くと思う。こんな先生、いないと思うからだ。

私が愛用しているオカリナ亜音の製作者とも懇意だと言う事を聞き、これなら安心して教えてもらえると思った。大概私もオカリナに就いては知っている事が90%以上はあったが、成程と思わせられる事もあった。勉強になったと言う事だ。

20時30分に家に着いた。電車やバスの中では短時間の爆睡状態だったと思う。西宮北口の改札口内にある食堂で、カレー丼とそれに付いている蕎麦を食べた。満腹にも拘わらず、垂水まで帰って、王将で生ビールを餃子で飲みたいと考えていた。だが、流石に満腹が元に戻らない。三宮で、高速バスに乗ったと言う次第だ。

とっても楽しく、疲れた猛烈な時間だったが、これが仕事なら労働基準法に引っ掛かる所である。好きな事にはここまでやれるものかと、感嘆した11時間であった。それに、貴重な体験が出来た。

オー、モウレツ! な1日。