今日は1月12日だった。
風邪がまだ完全に治っていない所為でもないだろうが、2、3日前の暖かさとは違った。Tシャツを着て、その上に長袖の丸首のシャツを着る。更にブレザーを重ねると、膝の上で止まる薄いコートを着た。家を出たのは、陽も西に傾いてはいるがまだ眩い4時前だった。
堂島グランドビル南側の地下1階に通じる店Cherry Jamを確認すると、Live開始19時30分(オープン17時30分)までにはまだ十分な時間があった。地下街に戻り、飲める店を物色して歩いた。
「いっぱい食堂TAPEO」を見付けて入った。Liveだから、どうせ1品と1ドリンクは必定だ。ここではそんなに飲んだり食べたりは出来ない。130gのステーキを注文した。生ビールをと思ったが、メガハイボールに目が行った。
「いつ来ても、何杯飲んでも100円」と書いてある。生ビールは500円位するが、これは安過ぎだ。わが目を疑う程だった。店の人に聞いても、その通りだった。何故かは聞き洩らした。
勿論ビールは止めて、それを注文した。中ジョッキより大きいと思われる器に、メガハイボールが沢山の氷と混ざって運ばれて来た。デカいと思ったし、そのジョッキは随分重かった。
18時を過ぎたらこの店を出る事にして、チビチビ飲んだ。2杯飲んだが、とても美味しかった。どうして100円なのか。何杯飲んでも1杯が100円なのか、何杯飲んでも100円だけでいいのかも聞きそびれた。仮に1杯100円で5杯飲んだとしても、生ビール1杯と同じ値段だ。聞かなくたって大した問題ではない。
その店を出ると、Cherry Jamに向かった。地下への階段を下りて行くと、中は正面がステージで、少し右に折れていた。私は正面に対して3人目の場所に座った。飲食料金別のチャージが付く。マルゲリータとジンライムを頼んだ。軈てジンライムが運ばれたが、ライムがないと言われた。あの美しい鮮やかなグリーンがあってこそいつもLiveでは楽しみにして注文するのに。だが、味に違いはなかった。
19時30分をちょっと過ぎた頃、バイオリンの麻場利華、バンドネオンの門奈紀生、ピアノの平花舞依、コントラバスの滝本恵利がステージに並んだ。このコンサートに来たのは、滝本恵利のコントラバスがもう1度聴きたいからだった。
去年の12月16日、神戸シティホールコンサートで、2人のコントラバスを聴かせてくれていたのだ。あの綺麗な顔がそこにあった。だが、演奏はあの時と全く違った。この日はCuarteto 「ASTRORICO」と言う、もう結成して25年になるTangoのLiveだった。
大きな音を出すのはヴァイオリンとバンドネオンとピアノだった。コントラバスは聴こうとすれば聞こえるレベルである。しかし、或る曲でははっきりと聞こえた。ジャズと同じで、指で爪弾く事が多い。コントラバスが無ければ全体が平板なものになる。この音を、私は聴きに来た筈だった。結局は4つの楽器が、素敵に混じりあって、Tangoの音色を創り出していた。
すぐに「エルチョクロ」が始まった。曲目はヴァイオリンの女性が口にする以外は分からない。そんな理由から、全部ここで曲目を紹介し切れないのだ。
後、「千の風になって」があった。Tangoのアレンジは興味深かった。そして、余りにも有名な「ジェラシー」。やっぱりTangoにこそバンドネオンは欠かせない。この世界では、門奈さんはかなり有名な人なのかも知れない。ここで上手い! なんて言えば叱られるかも知れないが、バンドネオンには先ず聴き惚れた。
ヴァイオリンもピアノもコントラバスも、Tangoの音色を出す。いい雰囲気の演奏だ。客数は30名を超えた位か。このLive Houseがその位のキャパなのだ。皆、楽しそうに聴いている。
後は、オリジナル曲だ。「夢の中に」「遠い田舎」「忘却」「不良少年」「東洋のメロディー」。「仲間達が踊るように」で1部が終わった。50分位だったと思う。
女性達はいつか演奏されるチラシを一人ひとりに配って歩いていた。たまたま、滝本恵利さんが、私の所まで回って来た。
「去年、神戸の市役所で聴かせて貰いましたよ。素晴らしかったですね。それでまた聴きたくなって、神戸から来ました」
「いやー、そうですか。嬉しい。役所の方ですか」
「ただ聴きに来ていただけですよ。目が合ったかな、なんて思っていました」
「前の方におられたんですね」
「そう、3列目位の所に。それにしてもコントラバスの二重奏は珍しかったけど、上手かったですね」
「私よりもう1人の人が上手いんですけど」
「そんな事ないですよ」
てな調子で、暫く話した。彼女は何度も「嬉しい」と言う言葉を口にした。
2部が始まった。「リベルタンゴ」が鳴り始めた。後はまたオリジナルの3曲を聴いた。「ラ・クンパルシータ」はきっと演奏すると思っていたし、聴きたかった。「碧空」も。だがバスの時間が気になり、そのオリジナルを聴いて、そこを離れた。
出掛けに前を向くと滝本恵利さんが私を見て微笑んでいた。私もにっこりして、まるで映画の1シーンのように消えた。
「110回目は、私もオカリナで演奏させて貰いましたよ」
と、どこかで言いたかったが、それは止めにした。大した事でもなく、つまらなく思えたからだ。それより、機会が有れば一緒に演奏してみたい、その気持ちの方が大きかった。いつの事か分からないが、機が熟せば全く無理と言う事もないだろう。そう言う混沌からこそ、より明確になって行くと思うからだ。
新快速は、ホームに階段を駆け上がった時に閉まった。3・4番線の階段を下りて、5・6番線の階段を上った。次は快速が入って来るからだ。
三宮から次乗れそうな高速バスは21時50分。大阪から快足が三宮に着いた時は21時49分だった。幾ら走っても、これは絶対に高速バスには間に合わない。5分あれば微妙な所だ。仮にそうだとしても、この歳での猛ダッシュは危険である。その快速に乗ったまま、垂水駅まで行く事にした。
バスはすぐに来た。歩いて帰らないでもいいのが一番得策だ。210円が私は110円になる。タクシーは次善の策ではあるが、2,000円を超える。これは勿体ない。と言う訳で、首尾よく家に辿り着いた。
今日は晴れているからだろうか、星がいつもの5倍位多く輝いている。いつか零れそうな星を網で掬ってやろうと企てながら、家の引き戸を開けた。