31日の私のジョギングコースを歩いている。

ツユクサがシャリンバイの間から顔を覗かせている。小さいけれど、明るいブルーのインクのような色は、人の心を掴む技を心得ている。手術を終えた私の目は、それを確実に綺麗だと感じていた。そこを歩いて通り過ぎたが、2、3歩、後に引き返した。もう1度しっかりと観ようと思った。

美しい色だ。ミッキーマウスのような耳がくっついている。まるでトンボの顔の様だった。そんな事は考えずに今日まで過ぎていた。ボーッとしか見えなかったから。何物も。

また歩き始めたが、また戻った。綺麗だなあ、それは確実に感動に変わっていた。遠くを見ると、並木の葉がくっきりと見える。遠くの斜面の上の家までもが、中まで見えそうに捉える事が出来る。シャリンバイの緑の嵩高い絨毯を横に見ながら歩く。中に実が生っているのが分かる。こんなに見えていいのか、と・・。

伊達メガネだから、裸眼の視力だ。矯正したら1.5と言われた。裸眼の右は1.0、左はあの時は0.5といわれていたが、もう少し良くなっているように思う。

感動を胸いっぱいに抱えて歩く。コンクリートの隙間から、ツユクサが茎を長く伸ばしながら、歩道に向かって横ばいになって浮いている。苦しくないか、と思いながら歩く。

無くなりそうなムースとヘアースプレーと歯磨きチューブを買って又歩こうとした時、カインズホームの前に植物が売られている。私の目に飛び込んで来たのは、ミニバラの真紅だった。もう1度ビニールの鉢紛いの入れられている中でも気に入った、蕾も多いものを持って、店に入った。300円しなかったが、私は自分1人だけに分かるように、それを手術が終わって良く見えるようになった感動の記念に買う事にしたのだ。

嚢をぶらぶら下げながら、歩く。

遠くから、真四角の立方体が目線の上にあるのが分かるが、それは「函館市場」と「鎌倉パスタ」の店名を書いたものだ。私にはその「鎌倉パスタ」の下に下がっている「焼き立てパン 食べ放題」と言うバナーの方に目が行く。今までもあっただろうに、何と今頃出会うとは。兎に角感動である。

霧のように密ではないが、頬に小さな水滴が当たる。降るのでもなく降らないのでもない砂粒より細い玉は私を包み、そのまま歩く。道にえんどう豆のような粒がばらばらに並んでいる。6月頃はまだ花が咲いていた合歓の木のさやえんどうよりもずっと大きな鞘から零れ落ちた豆だった。

踏まないようにして歩いた。土に帰る事のない豆を置き去りにして。

暦では夏の終わりの最後のしめりを自ら浴びるかのようにして、歩いた。

昼は、もう最後の特別健診に行った。今回は初めての、降圧剤を貰っている医師の所で受診した。心電図で引っ掛かった事などなかった。だが、その時は心電図に現れた。不整脈を打っているのはもう何十年も前から知っている事実だったが、その測る度に乱れなどなかった。しかし、とても丁寧だ。今までは、いつも採血で終わってしまっていたような気がする。

それで、胸板に計測器を付けて、電源の器具は肩から襷掛けにしたポシェットのような袋に入れた。24時間、細動まで観察するしくみだ。

明日9月1日は甥の悠介と三宮でベースギターとオカリナとのセッションをする事になっている。昼過ぎに、今滞在している京都から来て、JRの改札口で落ち合う。

2、3時間楽しめるように、悠介自身がそんな場所に予約を入れていた。素人の私に、プロの彼がそこまで気遣う必要があるのだろうか。だが、それは伯父、甥の関係とは言え、私にはとても嬉しい事だったのだ。上手く行けば、チェロも、ドラムスも、ピアノだってヴァイオリンだって加える事は出来る。悠介は、上手く行ったらスロヴェニアにも付いて行くと言った。

夢だけかも知れないが、見なければそれでお仕舞なのが夢だ。悠介はそんなヤツなのである。白内障の手術がある度にメールで心配をしてくれた。だからではないが、私に取っては可愛い甥なのである。夕方7時位の新大阪からの新幹線で帰ると言うから、練習が終わったら何処かで夕食を食べて別れる算段だ。

心電の測定器は、明日9時頃に行って外して貰うし、待たなくてもいい配慮もして貰っている。




28日は夕方、私で最後のリハーサルに行った。終わると、「もっこす」で、チャーシューラーメンを食べた。麺の見えないラーメンだ。チャーシューが15枚位乗っているのだ。美味かった。ハー。




29日は「2015オカリナフェスティバルin神戸」の初日である。朝8時30分前に着いた。女性の人達が10人以上黒いシャツ姿でそれぞれの部署に付く。その前に袋詰めだ。29日と30日の116組の人数分のプログラムや記念品を入れる。慣れていないと後から問題も発生するが、それは何とかクリアーしている。

11時には私が挨拶をするので、15分前にステージの下手に行って待った。最初は入りがそんなに良くない。私は言うなれば開会宣言の係で喋ったら終わりだが、演奏が始めの方の人達には気の毒である。800人位座れる席に100人位だったら気持ちも削がれると言うものだ。だが、抽選順とは残酷なものだ。

今年の私は観客席で全部聴くなどと言う無謀な事はしなかった。ロビーに出たりまた中に入ったり、中ホールを出て受付をしている会議室に行ったりしていた。ロビーまではいいが、そこから出ると、今度入る時にはチケットを見せなければ入れない。私が最初に入る時は、私の顔を知らない最前線の女性は怪訝な顔をするが、よく知っている担当の係の者は、頭を下げて通してくれる。すると若い女性もそれを察する。所謂顔パスみたいなもので、行ったり来たり気儘に過ごした。

昼、弁当だけは貰える。受付の会議室で手の空いた者から食べて行く。係によっては、何時に食べられるか分からない。私は、白内障の目薬が先だ。

58組が終わると、愈々ゲストの演奏だ。それは台湾から招いていた。

「游學志 台湾陶笛楽団」

游學志(以下敬称略)は11歳から二胡を習い華岡芸術学校音楽科卒業後は二胡のプロ演奏家になるが、オカリナと出会ってからその虜になり、今では台湾で最も人気のあるオカリナ奏者となった。まだ39歳の若さだ。とても羨ましい歳ではある。

游學志は台湾陶笛楽団の団長を務めているが、10年前に今の台湾陶笛文化交流協会の理事長李景銘を中心に創立されている。その団員は30名との事だが、それは高校生から小学生までの男女だ。

可愛い子供達が溌剌と演奏する。理事長も入って演奏していた。暫くして游學志がステージに現れた。台湾の漢字はパソコンにはないものもあるので、漢字は省いてプログラムを載せる。

1.Taiwanese rhymes

2.Rosamunda

3.Dominique

4.Isola Di Capri

5.Csikos Post

6.The Sun and rice

7.Warm

8.The crops symphony

当然のように聴衆の拍手がアンコールを求める音に変わった。游學志の演奏も上手いが、子供達の奏でる響きは澄んで勢いがあり可愛かった。様々なオカリナで、所謂コントラバスと言われているものの数倍大きなオカリナがあった。初めて見るが、余りにも大きくて、台の上に乗せて吹かなければ、とても持ちも出来ず、吹く事は不可能だ。男の子が吹いていたが、あの低音の響きはホールを席巻した。

それが終わったのが6時半前だっただろうか。7時からは懇親会だ。

文化ホールの中にある食堂が会場となり、いつも集まるのは4、50人だった。必ず両日のゲストは今まで参加した。今回は80人を超す大入り満員となった。

7時を過ぎると懇親会を希望した者が集まり、台湾のグループが入って来た。これは子供達も入れて30人はいただろう。それと、掛川市からのグループが20人はいただろう。そんな訳で、人数は願ってもないものとなった。真ん中を通る3つのテーブルは前が私と理事長、それに団長、副団長、スポンサー、それに通訳達が座った。

私に始めの言葉を言えと言う。通訳は女性だが、通訳を介して話した事などなく、何を喋っていいのか分からないにしても、何か興味深い新鮮な体験が出来た。

「遠路皆さんようこそお越し下さいました」「・・・・・・・・・・」

「遠路と言っても遠くは台湾です」「・・・・・・・・・・」

「でも、新幹線で神戸から東京まで3時間かかりますが、台湾からでも3、4時間で来られるのではないでしょうか」「・・・・・・・・・・」

「何だか日本のお友達のように思えます」「・・・・・・・・・・」

「游學志さん始め皆さん素敵な演奏をして下さいましたが、楽団には小学生もいるんではないでしょうか」「・・・・・・・・・・」

「女の子供達はブーゲンビリアのように可愛かったです(そんな色の膝上までのワンピースを着ていた)」「・・・・・・・・・・」

「男の子は、まるで白い百合のようでした(白いワイシャツと黒いズボンだった)」「・・・・・・・・・・」

「あんなに大きなオカリナをあの子が懸命に吹いていましたが、とても素晴らしい響きで支えていました」「・・・・・・・・・・」

「今アジアでは厭な事が起こっていますが、オカリナは誰からも好かれ、オカリナの悪口を聞いた事がありません」「・・・・・・・・・・」

「オカリナを通じて会えた事を、とても嬉しく思います」「・・・・・・・・・・」

游學志さんも台湾語で「乾杯」と言った。私も「乾杯」と言って、倍長い話を終えた。それからがまた面白く、理事長始め台湾の人達一人ひとりに話しかけ、その度にInさんに通訳をして貰った。台湾の人だが日本に帰化しているそうだ。中国語は当たり前だが上手く、日本語も上手い。双方の言語の翻訳能力も高いようだ。

彼女は垂水区の小学校に代替教員で来て2年生の担任だそうである。孫が来年入学する学校の近くの小学校だそうだ。話も面白くなって盛り上がる。

「私の故郷での竹馬の友はお父さんが台湾の人なので、いつか私にも一緒に行こうと言ってくれています。私は是非行きたいのです」「・・・・・・・・・・」

「歓迎します。是非来て下さい。家に寄って下さい」「・・・・・・・・・・」

皆から、「ホワンイン、ホワンイン」と言われた。名刺も貰った事だし、必ず行くぞと思った。

台湾の女性の人が、私に話しをして来る。何とかボディーランゲージで通じたような通じなかったような恰好だったが、強みは通訳だ。バイキング形式だが、私が食べ物を取ってこないものだから、頻りに自分のを食べてと言っているようだった。私はお腹の辺りを手で丸くして見せたが、それでも納得していなかったようだ。

ちょっとサンドイッチを口に入れると安心したみたいだった。

このまま書くとどこまで行くか分からない。或る1人は台湾のオカリナTNGを作っていると言った。私も2本持っていると言ったら、とても喜んでいた。是非来てくれと。チャンスがあれば、オカリナを持って行こう。

理事長李景銘さんは、缶に入った小さいけれど上等な台湾の烏龍茶をくれた。どんな風の吹き回しか知らないが、游學志さんは、自分のCDをくれた。どちらも嬉しかった。やっぱり、いつか台湾に行く事にしようと思った。今から楽しみにするなんて、自分勝手だし、気が早すぎる。パスポートだって既に切れている。

皆其々に一緒に写真を撮ったり、交流を深めている。大人はビールで気持ち良くなっている。子供はジュースだったか烏龍茶だったか。

省略が多いけれど、凄い盛り上がりだった。そして、オカリナを持っている者は、台湾の人達と一緒に「遠き山に日は落ちて」を吹いた。ここではやっぱりオカリナが縁を取り持つ。

時間の関係で台湾の人達は8時半位になると、帰る準備をする為に食堂を出る。皆で見送りをした。私は言った。

「世界一の台湾の人に、万歳」

と。これは通訳はなかった。皆、何を言っているか分からなかっただろう。ただ、万歳の疎らな声が、友好の証しだったとは、薄々感じてくれていたと思う。勿論、明日のゲストの折井ユミコさんも送れて来ていたが、下まで見送りに行っていて、中々戻って来なかった。ピアノとセッションする男性を残したまま、最終の9時になろうとしていた。

下に下りて私はもう店が閉まるから荷物を取りに上がるように言った。暫くしてピアニストの中田英仁さんが、折井さんの荷物も持って下りて来た。

29日は、感激の内にその帳を下した。




30日は袋詰めはしない。私は、挨拶をするMさんの話を聞く為に、11時に間に合うように出掛けた。鞄に目薬を入れて。

昨日の背広姿ではなく、今日は白いパンツに桃色っぽいTシャツの上に薄い青色のジャケットを着ていた。靴は革靴ではなく、紺色のズックのようなものに白い紐が付いているものを履いた。今日こそ私の演奏が、最後から2番目(57番)に控えているのだった。

昨日から色んな人に会った。今日もそうだが、シマさん、ツッキーさん夫妻、Ki君、O君、Teさん、まだまだ会ったが、全部は載せられない。今日は昨日と違って、ソロを中心に、聴きたいと思う人の演奏を聴いた。森下知子さんとも会い、握手をした。

まだ出会っていないひろこさんの演奏が46番だ。これだけは聴いてから、57番の私も準備をしようと思った。文化ホールでの演奏は、全部抽選だ。上手いとか下手とかはなく、ただ抽選に入れば出演出来るようになっている。何人かで演奏するアンサンブルは、その差が激しい。上手いグループは、プロのように綺麗にハモっている。

岡山から来た46番hirokoの演奏曲は「学園天国」と「タッチ」だ。赤い服がとても綺麗に映り、ひろこさんも何だか大きくなったような感じさえした。初めから、主導権を取って、言葉の掛け合いをした。それだけでも盛り上がった。それに加えて上手いから、余計に皆の心が奪われる。

「タッチ」ではバトンをくるくる回し、聴衆を魅了した。バトンを置くとすぐに演奏をする。伴奏が鳴っているのに、淀みなく吹いて行く。最後に又バトンを手に取ると、観客はどっと笑いながら喜んだ。皆手拍子をしたりしながら、ひろこさんの虜になってしまった。終わった拍手が一際大きかった。たいしたパフォーマーだ。尊敬に値する芸人だ。

私は、自分の準備の為にロビーから外に出ようとした。すると、ひろこさんが入って来るところだった。ホールの外で暫く話しをした。バトンを手に取って回して見た。あんなに上手く出来るものではない。

「私みたいなもんが1人はいても、いいっちゃ」

でも、とても元気で安心した。こう言うイベントに出れば、彼女は元気になれると思った。もう今日は会えないだろうと思いながら別れた。

今迄なかった事だが、私は文化ホールからも外に出た。側の公園のベンチに座って、2曲吹いてみたかった。不安だからである。ゆったりしている宗次郎さんの「水心」と「故郷の原風景」だが、ゆったりしていると、音符の拍数を間違える事があるのだ。やっとベンチのある所に来た。ああ、2人の男女。吹いていけない訳ではないだろうが、私には無理だった。

ぐるっと回ってまたガラスの扉の中に入って行き、会議室の受付に行った。まだ係の数人が座っている。

「僕の音出しの時間はいつですかね」

と聞くと、少し後だった。

「行って見たらどうですか。もう空いているかも知れないから」

その言葉を拠り所に、音出しの部屋の前に行った。係の人が3人話していた。中からは音が聞こえて来る。このグループの時間は後7分有ると言った。それまで待って、慌てて中に入った。やたらと鏡の多いだだっ広い部屋に私1人。

徐に2つのオカリナを袋から出すと、「水心」から吹き出した。これは無伴奏だから、2番目に吹く曲のメロディーが出てしまったらお仕舞だ。何回か吹いてみた。そして、音符の長さがよく分からなくなって来ているので、「故郷の原風景」は、慎重に長さを考えながら吹いた。楽譜があればそう言う心配はないが、白内障の手術の後だから、楽譜もよく見えないし、眼鏡を掛け直したり、そんなもたもたした事は出来ない。だから、暗譜出来そうな曲を選んだ節もあるのだ。

もう幾らやっても同じだと思ったので、8分掛からない内に出た。又暫く会議室にいた。モニターで演奏している人達の音が聞こえるし、順番も分かる。

まだもう少し時間があると思っていると、迎えが来た。

「もう行くの」

と聞くと、

「そうですよ」

と言われた。

まだステージの横ではないが、明るい溜まりがある。そこに3組がいた。人の演奏の音が聞こえると、自分の音を忘れてしまいそうだ。1組が終わる度に1組がステージの横の薄暗い椅子に座った。

遂に私も行く順番が来た。皆はどうしてあんなに自信を持ってステージに立てるのだろうか。私は、白内障の手術の椅子に座らされた時の事を思い出していた。もう、どうする事も出来ないのだと。

暗いステージに出るよう促された。アルトのC管を台の上に置くと、ソプラノのC管を手に持った。ステージが明るくなると、会場の人が、注意深く見ないと見えない位に暗くなった。そのまま「水心」を吹き出した。自分がいつも練習している部屋を思い出しながら。

終わって初めてお辞儀をした。合図を送ると「故郷の原風景」の伴奏が鳴り出した。アルトのC管を持った。音符の長さは間違っていない。何だかやれそうな気がして来た。オカリナを広めてくれた宗次郎さんに感謝の気持ちを表明するのと、聴衆の皆さんに、私に限らず聴いて下さる事への感謝の気持ちを伝えたかった。「ありがとう」そう思いながら吹いている自分を眺める事が出来た。暗闇から、少し人の顔も見えたようだった。1階も2階も、姿はよく分からないけれど、顔を向けていた。その中で、自分の音を紡いで行った。

最後が息を十分に吸わなかった所為で、8拍延ばしたかったけれど、6拍で息切れした。その場所で息切れ寸前に、音を仕舞おうと思った。ほんのちょっと色気を出して引っ張ったら、もうとんでもない事になっていただろう。そんな判断力も要求されるのだ。

終わった。お辞儀をした。まだ明かりを落としてくれない。もう1度お辞儀をした。まだ消えないので、そのまま上手に向かおうとした。そこで灯が消えた。

済んだ。終わった。そんなに演奏すると言う事は簡単な事ではない。だが、終わったら終わりなのだ。もうその時から、私の演奏した事を思い出す事もなかった。早くホールに戻って、ゲストの折井ユミコさんの演奏を聴かなければならない。彼女は、十数年前から知っていたから、向こうも私の事は忘れないでいてくれた。

話しも面白いし、オカリナも上手だった。

1.G線上のアリア

2.月に咲く花

3.リベルタンゴ

4.荒城の月

5.砂山

6.待ちぼうけ

7.越天楽幻想

中々面白い演奏をしてくれて、皆も喜んでいるようだった。アンコールで2曲「コーヒールンバ」と「浜辺の歌」を演奏した。ピアノの中田英仁(ひでのり)さんも、オカリナが演奏する時は邪魔をしないようなタッチで弾いていた。筝の山路美穂さんは東京芸大で学んでいる。それに、もう世界的にも活躍していて、その技術と音の安定性は抜群だった。こんな筝の奏者もいるんだと思わされ、どの世界も上には上があると感じた。

ゲスト演奏が終わるとロビーの中ホール入口付近でCDの販売とサインをしていた。それも終わりそうな頃挨拶して出ようとすると、

「写真を撮りましょう」

と言う。中田さんも呼び、側にいた福岡から来ている昨日出演した流音華さんも折井さんが手招きして、4人で写った。

「写真、送りますね」

と折井さんが言った。内心彼女は、自分でも感動が覚めやらなかったと思う。




明日は9月1日だ。心電図を再現する為の記録器を付けたまま寝なければならないが、トイレに行った時間とか食事の時間とか階段を上った時間とか、その他動悸や息切れがした時などもチェックを入れたり書いたりしなければならない。その時は同時にボタンも長押しする。それがデータ作りになるのだろう。

愈々悠介と会ってセッションする事になる。今日心電図で引っ掛かった事を思って見るに、確かに不整脈は有るが、それは29日と30日の事が忙しく錯綜したからではなかったか。また、この数日3時間位しかまともに寝ていなかった所為もあったのだろうと、そんな気がしている。




「・・私はどんな風の吹き回しか知りませんが、加古川でオカリナの演奏を依頼されました。1時間半です。でも、それが講演と抱き合わせなのです。テーマがありました。『出会いと仲間作り』です。仲間作りに就いては、オカリナに教えて貰った事を私はアカサタナにして話しました。愛する、考える、察する、楽しむ、仲良くする。そうするときっといい仲間が出来ると思います。オカリナは嫌われる事がありませんね。・・」。29日11時の挨拶の一端でこんな事も話していた。

私はいい楽器に恵まれたと思っている。オカリナがあるのとないのとでは、生き甲斐に繋がる一大事なのである。






皆様へ

※ブログ「シマ唄やろう」さんの所で、私の出番の曲を聴く事が出来ます。シマさんが、載せてくれています。良かったら、聴きに行って下さい。