もう焦る気持ちで島ラッキョウを貪った。午後8時38分はやっとブログを書こうとした時刻で、7時50分頃にシマさんが私の家に送ってくれてから約50分後の事である。と言う事は、今シマさんは奥さんと彼の家に着いた事になる。

岐阜岩村の「女城主」を、ブルーを基調に白で透かした切り子のお猪口に注ぐ。焼いた鯵の開きを、口に入った骨をどかせながら食べる。島ラッキョウを口に入れる。辛さが口中を麻痺させる。鰹節を掛けたその味は、島ラッキョウに深みを加える。美味いのは当然の事だ。思いや気持ちの投入されたものは、何でもその味を倍増させ、感極まるものである。

また一つ、島ラッキョウを口に入れて噛む。しゃきしゃきした音が、米神に溜まる。

話しを続けよう。

シマさん夫婦が私を迎えに来てくれたのが、朝の7時40分頃だった。彼は7時過ぎに家を出た計算になる。私と言えば、5時41分にジョギングに出掛け、帰るといつも6時15分に鳴る携帯のメロディーを消して湯舟に浸かった。

ご飯に酢味噌を掛け、しそわかめを振り掛け、南高梅を乗せ、とろろ昆布を椀に入れ追い鰹の出汁と醤油を入れて、熱湯を注いだ。これが朝食である。それからラジカセやオカリナなどを用意して、玄関に置いた。

軈て鳴ったチャイムに外へ出ると、結構な雨だった。素早く乗り込み、車は出発した。お土産を1週間前にそごうまで行って買って来ていたにも関わらず、それを忘れた事に気付いたのは、もう後戻りの出来ない所まで来てからの事だった。シマさんと2人からのお土産として、私が責任を持って買っていたのだった。

3人は何処に行くのでしょう。3,911メートルの明石海峡大橋を渡って、愛媛の西条に行くのだった。

250劼發覆ったと思う。飛沫を上げながら、只管高速道路を走る。煙る緑が鮮やかだ。もう後10数キロと言う辺りに差し掛かると、何だか番頭さんと女将さんの顔がちらついた。もうその頃には、雨は東に脚を向けていたのだろう。曇ってはいるが、雨は止んでいた。

あ、ここここ。右に曲がって蔵を見付け、その先のやっと通れる狭い道を過ぎ、また左に曲がった。誰も外にはいない。2台の車があり、シマさんは更にその奥に斜めにそれを止めた。周りの山や田んぼや木々が、2年前そのままのようだった。私達はこのメンバーで、一昨年の6月1日に、この「甘味処すだち」にお邪魔している。泊まりもした。その時の感動は、長くなるので割愛する。

戸を開けた。

「こんにちは」

「はい」

ちょっと間があってから、番頭さんが厨房から顔を覗かせた。少し時間が掛かった。すると、素っ頓狂な大きな声が返って来た。その目は、ビー玉のようになった。しっかり、本気で驚いていた。何事かとその声を訝しがっている女将さんに、覗いて見てと促した。

あの、2年前に見た女将さんが出て来てこちらを向いた。それも少し時間が掛かった。

「えっ、えっ、え~~~~~~~~~」

女の雄叫びだった。その驚き様と言ったら、アメリカ人形の目と一緒だった。暫く吃驚していた。私達3人が、まるで幽霊ででもあるかのようだった。幽霊なんかじゃない。正真正銘の、僕達だった。

「何処でも座って」

と番頭さんが言ったが、すでに先客が、蓋をされた囲炉裏の、向こうの長い端の方に座っていた。私は奥の短い端に座り、先客と対面する方にシマさんと奥さんが座った。脚の痛い奥さんに、番頭さんは椅子を持って来た。優しい気遣いを見せる。こんな所が、番頭さんの素敵な所である。この番頭さんにしてこの女将さんである。言わずもがな、素敵さでは負けていない。勝負して貰う気はないが、こんなに感動をばら撒く2人も、世に珍しい。

「敵討ちに来たんでしょう」

と番頭さんが言った。敵討ち? そうかも知れなかった。

去年10月12日、音楽会「YOSOMI好きなヤツ」に前触れもなく、突然生田文化会館に来てくれたのだ。それは、折角の心臓の毛が、全部抜ける程の驚きだった。この印象は、ずっと続いていた。

敵討ちとは、驚いた事の仕返しだったのである。いい言葉で表現すれば、シマさんとサプライズを企てたと言う事だ。

私達3人と先客2人は、火の気のない蓋がされた囲炉裏を囲んだ形になった。この建物のリフォームをしたと言う大工さん夫婦も後から来て、隅のテーブルを挟んだ椅子に座った。

この2人の先客は若い女性で、私がオヤジギャグを飛ばしても、素直に笑ってくれる。何が何か分からぬ内に、すっかり打ち解けてしまった。人間、こうでなきゃあつまらない。1人は千住真理子さんに似ていたし、もう1人は雪の女王に似ていた。2人共とても魅力的だったのは、1つ1つ反応してくれて、優しさに溢れているからだった。

番頭さんも言った。

「ここで出会う人は、皆すぐに打ち解けて仲良くなるんですよ」

と。それは、きっと、ここの番頭さんと女将さんの笑顔と真摯な姿からではないのかと、容易に想像出来た。類は友を呼ぶと言うが、素敵な人達が集まって来る。

ここ「すだち」に備えられている誕生日に当たる性格や現在や未来を書いた、分厚い本があった。先客2人は、それを持って来て読み出した。私は、少し身を乗り出した。11月4日の所を見ている。千住真理子さん似は、雪の女王似を、この七夕の日に連れて来たと言う。所謂、腐れ縁の関係だとか。2人共同じ誕生日だと言う事だった。それを聞くが早いか、シマさんが、自分も同じ誕生日だと言った。一瞬にして、この3人は同じ誕生日となった。不思議ではないか。

長所短所が書かれていて、それを2人は読んだ。私は3対1となったが、6月5日である事を告げると、私の所を捲って、それを声を出して読んだ。6月5日と11月4日は、ソウルメイトであるらしい。最初から楽しい筈だ、と思った。

因みにだが、また生まれ月の植物を書いた本も持って来た。11月4日はサフランで、6月5日はホタルブクロだった。一々上げ足を取る如くに、関係のある話をした。

「僕の花はホタルブクロなんですね。この花の中に蛍を入れて、夜光るのを見てみたい」

と言い、

「子供の頃近くの川に笹と蛍籠を持って行き、夥しく乱舞する蛍を笹でさっと撫でると、地面にぼろぼろ落ちて来る。それを蛍籠に入れて、家に帰ったら蚊帳の中に放す。とっても綺麗なんだね。親には叱られたけど」

「乱舞しているのはオスで、草叢にじっとして光っているのはメスなんだよね」

などと話し、饒舌になっている自分に気付いた。

日本酒「女城主」が、もうなくなった。鯵の開きは、少し身の付いた骨と頭と尻尾だけになっている。島ラッキョウは、後5個、口に入るのを待っている。

先客のMuさんとSuさんは、にゅう麺を食べている。器が食欲をそそる。私達3人も、このにゅう麺をお願いした。美味いの何の、噂は本当だった。12時過ぎていたと思う。「すだち」名物の1つ、カキ氷を注文した。私はメニューナンバー7番の「あずきと黒蜜かけ」を注文。練乳もいいなあと大きな声を出していたら、コーヒーのミルク入れに練乳を入れて持って来てくれた。華やかな味がした。

シマさんは、寒いと言って震え出した。私は後になって寒くなり、上着を着た。

「ゲリラライブしてもいいんだけど」

とMuさんとSuさんに言った。時間は少しあり、聴きたいと言った。番頭さんに、やってもいいか聞いた。優しくも、

「大歓迎です」

と言った。庭の車にシマさんと楽器を取りに行った。話が出たら演奏する積もりで持って来てはいたが、いつ言って貰えるのか当てにはならない。それで、こちらから仕掛けた形になった。

シマさんが1曲、三線を弾きながら唄った。大拍手だ。次に私は「故郷の原風景」を吹き「聖母たちのララバイ」を吹いた。譜面台を借り、オカリナを置く赤いフェルトを囲炉裏の台に敷いた。そこに4本のオカリナを乗せていた。

シマさんが済むと、「さくらさくら」を吹き、次はまたシマさん。交替交替に演奏した。そうするのがベストかと判断した。シマさんの最後は「ワイド節」で、これは元気のいい曲だ。その後の私は、「津軽海峡・冬景色」を吹き、最後に元気のいい曲「恋のバカンス」で終わった。

私は、女将さんとデュエットをしたいと思った。「星の世界」をやろうと思ったが、お土産同様、楽譜を忘れて来ていた。仕方がない、「故郷」を吹き、その後は女将さんに「広い河の岸辺」を、CDの伴奏でいきなり吹いて貰った。初見はお手の物だった。オカリナ・サウザンリーブスを構えた。あっ、これはG管の曲だ。即座に私のG管を渡して事なきを得た。上手いものだった。

私は、あの煩かった「アサヒスーパードライ梅田」で演奏した全てを、ここでリベンジ演奏をした。皆、静かに聴いている。これが本当のコンサートだと思う。嬉しくて仕方がなかった。番頭さんも女将さんも、2人の演奏を聴いてくれた。

後、番頭さんと女将さんに、ギターとオカリナとの演奏をお願いした。「風の通り道」1曲だけだったのでアンコールを要求した。するとデュオ、歌、語りを入れて「野に咲く花のように」を演奏した。アコースティックギターの低音が響き、生音の美しさを聴いた思いがした。女将さんのオカリナも、歌も語りも、それはそれは堂々として上手かった。

竹林をよくする会の元会長さんとお母様も来て、前半の三線とオカリナを聴いて下さった。

Muさんが一緒に写真に写って欲しいと言い、Suさんとシマさん、それに私の4人で納まった。Suさんのスマホでも、同じように写った。やがて2人は車で帰って行った。裏に私の名前とメールアドレスを書いた、シマさんの名刺を持って。

6年間続いた「甘味処すだち」が、8月8日を以って店仕舞いをする。仕返しではないが、この日にサプライズで行く事をシマさんと決めていた。

少しの眠りから覚めると、23時55分だった。もう今日でなくなる残り少ない数分は、秒読みとなった。

織女と牽牛は出会えただろうか。外を見る事もしないが、空が晴れ、天の川が流れているとは考え難い。この話を聞きながら、もう70年。夢を追うのもロマンである。だが、仕事を怠けるようになった罪で離ればなれにされ、1年に1度しか会えなくなった七夕。雲で覆われたり、雨が降ったりして会えないのでは余りにも可哀想だ。

だが、科学を知ってしまった私に今言える事は、雲の上は遥か彼方の宇宙の銀河である。もうとっくに織姫と牽牛は許されて、仲良く暮らしているのだと思う。でなければ、辛過ぎる70年は愚か、限りなく続く1年に1度の再開。天の川がもし5年七夕の日に見えなかったとしたら、5年間会えない事になる。もう十分に償えているのではないだろうかと思った。

また1人、年配の女性の顔が覗く。2年前に会った事のある人だった。

「あの時オカリナを吹いたら、上手になりましたねと言って貰いました」

と言われた。

七夕。この日に9人と出会った。ああ、この出会いこそ七夕が齎してくれたものなのだと思った。願いを書いた短冊が、軒下の笹に吊るされている。幸せを願うものが殆どだが、この出会いこそがそうではなかったか。番頭さんと女将さん。MuさんとSuさん。リフォームの大工さん夫婦。竹林をよくする会の元会長とそのお母様。そして、2年前に出会っていたご婦人。

8月8日で「すだち」は終わる。それは、番頭さんと女将さんとのポジティブでアクティブな未来を見据えての事である。6年間の学びや出会いは尊いものだったと言う。様々な人間模様を垣間見、また素敵な出会いをして来た2人。そんな思いをしっかり胸に秘めて大きく巣立つ2人に、更に大きな喜びの日が来るのを願っている。

人間、本当にやりたい事が出来てこそその幸せはあろう。それは果てしない道であったとしても、自分が納得出来る事が、どれだけ喜びも深く大きい事か。私には、歓喜の歌声が聞こえる。皆惜しみない拍手をしているに違いない。その潔い勇気に。第九、喜びの歌が今聞こえて来る。

時には真剣に修正しながら自分の人生に挑戦する。これこそ、生きると言う事であろう。2人の笑顔が輝いて見えた。

いみじくも、私にもシマさんにも言って貰った。私はオカリナ道、シマさんは三線道を歩んでいる、と。私は、オカリナによって今を歩んでいる。オカリナが素敵な出会いを齎してくれている。完成されることはないにしても、所々で結果は見えると思う。只管な情熱が、どれだけ大切な事か。炎が燃えている間に歩む事が、それぞれの道だろうと思う。

何だか宗教的哲学的になってしまったが、求道こそ、その中に熱い完成への願いがあるのではないか。そんな事を考えながら、今日の出会いが夢だったのではないかと半信半疑になる。だが、胸に熱いものが残っているのは、それが素敵な一時だった証拠として感じられるのだ。

やっぱり素敵な女将さんであり、素晴らしい番頭さんであった。その姿が、益々私の脳内劇場で幻燈を通して上映される事になるだろう。

MuさんSuさんの弾けるような笑いが、どれだけ今日の七夕のサプライズを盛り上げてくれた事か。ソウルメイト。そう、素敵なソウルメイト。まるで私を待ってくれていたかのようだった。本当は、皆ソウルメイトなんだけれど。

4時頃、帰る時に女将さんから島ラッキョウと桃を手渡された。番頭さんは、

「これと合いますよ」

と、ぐいっと飲む恰好をした。こんな事までしないでと思ったが、急に早く島ラッキョウをあてに飲んでみたい気がした。

今、口の中には島ラッキョウの辛さが広がっている。確かに私は、「すだち」に行ったのだと実感した。