誰も何も言ってくれないので、
「Happy birthday to Me, happy birthday to Me」
そう心に語りかけながら走った。
除夜の鐘を聴き、あの大晦日から正月に突入する瞬間の前後が感じられ、そこには変化の幅と言うかその帯の長さが、緊張や余韻として残った。
5日は4時には目が明いて、NHK深夜便で富山山岳会会長の話に耳を傾けていた。何故か人間一人ひとりは、それぞれが掛け替えのないものだと思えた。「みんな違ってみんないい」と言って夭逝した金子みすずの言葉の深さが感じられた。
6月5日は毎年来る誕生日とは違って、古稀と言う自分に取っては大きな節目だった。69歳が突然70歳になったのだ。一人静かに、禊ではなく贖罪を考えた。如何する事がこれからの方向か、を。柔らかく言うなら、私も周りの者も皆が楽しく生きられたらいいなと思ったのだ。
7時過ぎにジョギングに出た。Tシャツはまだ寒かった。4月27日から再び走り出したが、毎日ではないにしても、35分から32分の間を行き来していた。去年までは30分を越える事はなく、大抵27、8分が殆どだった。何が原因かは分からないが、30分が壁となった。
時間など気にしない走りなのだが、ひと月以上経つと言うのに、どうしても30分を越えられなかった。学生の頃陸上部だった私が、唯一不得手な種目が長距離競争だった。これほど苦手なものはなく、数百メートル走ったら歩くのが常で、学校の行事の時は仕方なく歩いた。陸上部ではそんな競技は最初から頭になかった。
ダイエットの為に始めた超スロージョギングだったから、最初は歩くようなものだった。今日は特別な日なのだと脳が体に指令を出したのだろうか。戻って見れば、やっとぎりぎり、その壁を越えた。
昨日買って置いた蕎麦と掻き揚げが朝食となった。白だしにそれらの他にキムチ、梅干し、生卵、ネギを入れた私流の蕎麦である。久し振りに堪能した気がした。それも、恵那の娘の旦那が、以前この蕎麦を食べた事が忘れられないらしく、この前行ったった時にもその事を話していた。それで、また食べてみようと言う気になったのだろう。
「Happy birthday to you」、福岡の娘から電話があった。よく覚えているものだと思った。私は娘の誕生日は孫も含めて覚えてはいるけれど。
2階に上がって、70歳初オカリナを吹いた。曲は4日の夜に決めていた。
遠い山から 吹いて来る
小寒い風に ゆれながら
けだかくきよく 匂う花
きれいな野菊 うすむらさきよ
秋の日ざしを あびてとぶ
トンボをかろく 休ませて
しずかに咲いた 野辺の花
やさしい野菊 うすむらさきよ
霜が降りても まけないで
野原や山に むれて咲き
秋のなごりを おしむ花
あかるい野菊 うすむらさきよ
歌詞もメロディーも美しく、作詞:石森延男・作曲:下総皖一になる「野菊」である。「国民学校初等科第三学年用」に載せられた文部省唱歌である。石森延男は教科書の編纂に携わり、戦後も国語科の小学校指導書なども書いている。小川未明賞を獲った「コタンの口笛」の作者と言えば思い出されるだろう。
教育者でもあった石森延男は、この歌に人の生き方のようなものも覗かせている。(けだかくきよく)きれいで、やさしく、あかるい人間像をそこに織り入れたのだろうと思う。
もう亡くなってから10年に近くなる母が、私が小学4年生の頃だったか、よく台所で歌っていたのが忘れられない。その時一緒に歌って覚えたのがこの「野菊」だったのである。
ロマンチシズムだとかセンチメンタリズムだとかは思わないで頂きたい。それは、母から教えて貰った唯一懐かしい歌ではあるけれど。
メールの音がしていた。横浜の甥の悠介からだった。
「おっちゃんお誕生日お目でと-う!」
今月19日20日に大阪でライブがある。どちらかに行こうと思っている。彼は、ベースギターを弾き、ジャズピアノのAiちゃんとドラムスのトリオでやって来る。
「いよいよ70歳に突入ですね!」
微妙だが、嬉しいメールだった。この調子なら、夜まで待ってみる価値があるかも知れない。もう1つや2つは、音沙汰があるかも知れないと思う。
つい2日前も、祝う事でもないが、1人自分の誕生日の思い出に京都に行って来た。流石に先斗町には行かなかったが、「よ~いどん 国宝さん」で紹介する、是非行ってみたい蕎麦屋さんがあったからである。
「ろうじな蕎麦」。丸屋町にあると言うのだが、阪急四条河原町で下り、市役所行きのバスに乗った。ちょっとの間だったのに、230円だった。神戸より20円高い。
そこで降りてグルグル回っていると、7人程のカウンターと2つのボックスの店に出会った。改装されて綺麗な店だが、満員だった。少し待って、やっと座る事が出来た。私は「はりそば」(1,000円)を迷いもなく注文した。麺は富山の大野産で十割蕎麦だ。出雲の蕎麦のように、十割でも黒くはない。出雲は蕎麦殻も一緒に挽くから黒いので、この蕎麦は腰もしっかりしていて、顔も綺麗だった。
それは汁蕎麦だが、何故食べたかったか。TVでお薦めの蕎麦だったからである。言ってみれば単なる掛け蕎麦なのだが、その上にスライスされたすだちが9枚浮かんでいるのだ。はっきり言っておこう。「美味い!」。神戸にあってくれよ、と思った程だ。まあ、私の事だから、これは家で真似してみようと考えている。
そこを出て、バス停近くの威厳のある店に入った。格式がありそうな広い店だと思ったら、島津製作所の後を殆どそのままに利用している店だったのだ。ランチあり、ディナーあり。もう昼は済ませているので、デザートセット(1,000円)にした。ケーキ類が2つ選べる。それと好きな飲み物だ。私は、マチェドニアとオレンジのタルトを選び、後はコーヒーにした。
平安神宮に足を延ばし、暫くそこにいて、大阪まで戻った。もう1つの目的の為だ。「スーパードライ梅田」で出雲高校「関西久徴会総会・懇親会」が7月にあるので、そこまで行ってみる事だった。オカリナの演奏を頼まれているので、道をしっかり覚えておかないといけない。
気合いを入れて捜し歩いたが、着くや中まで降りて行った。凄い人が、殆ど予約で一杯だった。私は予約などしていないが、空いた所に案内された。唐揚げやローストビーフなどをあてに、ジョッキ2杯を飲んで、店を出た。100人以上入っていただろう。その煩い事と言ったらない。つまり、どんなに騒いでもいい所なのだ。全く気兼ねは要らないと思った。
頼みは、懇親会の時、私のオカリナを聴いて貰えるかが問題である。飲んで騒いで話に夢中になっている懇親会で、誰が黙って聴くと言うのだろう。CDとマイクのボリュームをマックスにするしかないか。
孤独な誕生日になるかと思ったが、
「Happy birthday to Me」が「Happy birthday to you」に変わった。
良かったと胸を撫で下ろしたのだが、もう70歳の烙印は消せない。つい昨日までは60代だったのに、今日からは70代だ。微妙な誕生日の中で、戸惑いを隠せない。
「Happy birthday to Me, happy birthday to Me」
そう心に語りかけながら走った。
除夜の鐘を聴き、あの大晦日から正月に突入する瞬間の前後が感じられ、そこには変化の幅と言うかその帯の長さが、緊張や余韻として残った。
5日は4時には目が明いて、NHK深夜便で富山山岳会会長の話に耳を傾けていた。何故か人間一人ひとりは、それぞれが掛け替えのないものだと思えた。「みんな違ってみんないい」と言って夭逝した金子みすずの言葉の深さが感じられた。
6月5日は毎年来る誕生日とは違って、古稀と言う自分に取っては大きな節目だった。69歳が突然70歳になったのだ。一人静かに、禊ではなく贖罪を考えた。如何する事がこれからの方向か、を。柔らかく言うなら、私も周りの者も皆が楽しく生きられたらいいなと思ったのだ。
7時過ぎにジョギングに出た。Tシャツはまだ寒かった。4月27日から再び走り出したが、毎日ではないにしても、35分から32分の間を行き来していた。去年までは30分を越える事はなく、大抵27、8分が殆どだった。何が原因かは分からないが、30分が壁となった。
時間など気にしない走りなのだが、ひと月以上経つと言うのに、どうしても30分を越えられなかった。学生の頃陸上部だった私が、唯一不得手な種目が長距離競争だった。これほど苦手なものはなく、数百メートル走ったら歩くのが常で、学校の行事の時は仕方なく歩いた。陸上部ではそんな競技は最初から頭になかった。
ダイエットの為に始めた超スロージョギングだったから、最初は歩くようなものだった。今日は特別な日なのだと脳が体に指令を出したのだろうか。戻って見れば、やっとぎりぎり、その壁を越えた。
昨日買って置いた蕎麦と掻き揚げが朝食となった。白だしにそれらの他にキムチ、梅干し、生卵、ネギを入れた私流の蕎麦である。久し振りに堪能した気がした。それも、恵那の娘の旦那が、以前この蕎麦を食べた事が忘れられないらしく、この前行ったった時にもその事を話していた。それで、また食べてみようと言う気になったのだろう。
「Happy birthday to you」、福岡の娘から電話があった。よく覚えているものだと思った。私は娘の誕生日は孫も含めて覚えてはいるけれど。
2階に上がって、70歳初オカリナを吹いた。曲は4日の夜に決めていた。
遠い山から 吹いて来る
小寒い風に ゆれながら
けだかくきよく 匂う花
きれいな野菊 うすむらさきよ
秋の日ざしを あびてとぶ
トンボをかろく 休ませて
しずかに咲いた 野辺の花
やさしい野菊 うすむらさきよ
霜が降りても まけないで
野原や山に むれて咲き
秋のなごりを おしむ花
あかるい野菊 うすむらさきよ
歌詞もメロディーも美しく、作詞:石森延男・作曲:下総皖一になる「野菊」である。「国民学校初等科第三学年用」に載せられた文部省唱歌である。石森延男は教科書の編纂に携わり、戦後も国語科の小学校指導書なども書いている。小川未明賞を獲った「コタンの口笛」の作者と言えば思い出されるだろう。
教育者でもあった石森延男は、この歌に人の生き方のようなものも覗かせている。(けだかくきよく)きれいで、やさしく、あかるい人間像をそこに織り入れたのだろうと思う。
もう亡くなってから10年に近くなる母が、私が小学4年生の頃だったか、よく台所で歌っていたのが忘れられない。その時一緒に歌って覚えたのがこの「野菊」だったのである。
ロマンチシズムだとかセンチメンタリズムだとかは思わないで頂きたい。それは、母から教えて貰った唯一懐かしい歌ではあるけれど。
メールの音がしていた。横浜の甥の悠介からだった。
「おっちゃんお誕生日お目でと-う!」
今月19日20日に大阪でライブがある。どちらかに行こうと思っている。彼は、ベースギターを弾き、ジャズピアノのAiちゃんとドラムスのトリオでやって来る。
「いよいよ70歳に突入ですね!」
微妙だが、嬉しいメールだった。この調子なら、夜まで待ってみる価値があるかも知れない。もう1つや2つは、音沙汰があるかも知れないと思う。
つい2日前も、祝う事でもないが、1人自分の誕生日の思い出に京都に行って来た。流石に先斗町には行かなかったが、「よ~いどん 国宝さん」で紹介する、是非行ってみたい蕎麦屋さんがあったからである。
「ろうじな蕎麦」。丸屋町にあると言うのだが、阪急四条河原町で下り、市役所行きのバスに乗った。ちょっとの間だったのに、230円だった。神戸より20円高い。
そこで降りてグルグル回っていると、7人程のカウンターと2つのボックスの店に出会った。改装されて綺麗な店だが、満員だった。少し待って、やっと座る事が出来た。私は「はりそば」(1,000円)を迷いもなく注文した。麺は富山の大野産で十割蕎麦だ。出雲の蕎麦のように、十割でも黒くはない。出雲は蕎麦殻も一緒に挽くから黒いので、この蕎麦は腰もしっかりしていて、顔も綺麗だった。
それは汁蕎麦だが、何故食べたかったか。TVでお薦めの蕎麦だったからである。言ってみれば単なる掛け蕎麦なのだが、その上にスライスされたすだちが9枚浮かんでいるのだ。はっきり言っておこう。「美味い!」。神戸にあってくれよ、と思った程だ。まあ、私の事だから、これは家で真似してみようと考えている。
そこを出て、バス停近くの威厳のある店に入った。格式がありそうな広い店だと思ったら、島津製作所の後を殆どそのままに利用している店だったのだ。ランチあり、ディナーあり。もう昼は済ませているので、デザートセット(1,000円)にした。ケーキ類が2つ選べる。それと好きな飲み物だ。私は、マチェドニアとオレンジのタルトを選び、後はコーヒーにした。
平安神宮に足を延ばし、暫くそこにいて、大阪まで戻った。もう1つの目的の為だ。「スーパードライ梅田」で出雲高校「関西久徴会総会・懇親会」が7月にあるので、そこまで行ってみる事だった。オカリナの演奏を頼まれているので、道をしっかり覚えておかないといけない。
気合いを入れて捜し歩いたが、着くや中まで降りて行った。凄い人が、殆ど予約で一杯だった。私は予約などしていないが、空いた所に案内された。唐揚げやローストビーフなどをあてに、ジョッキ2杯を飲んで、店を出た。100人以上入っていただろう。その煩い事と言ったらない。つまり、どんなに騒いでもいい所なのだ。全く気兼ねは要らないと思った。
頼みは、懇親会の時、私のオカリナを聴いて貰えるかが問題である。飲んで騒いで話に夢中になっている懇親会で、誰が黙って聴くと言うのだろう。CDとマイクのボリュームをマックスにするしかないか。
孤独な誕生日になるかと思ったが、
「Happy birthday to Me」が「Happy birthday to you」に変わった。
良かったと胸を撫で下ろしたのだが、もう70歳の烙印は消せない。つい昨日までは60代だったのに、今日からは70代だ。微妙な誕生日の中で、戸惑いを隠せない。