名神高速道路から伊吹山が見えている間はそう長くはないが、雄大な山並みに心が洗われるのを感じる。娘が恵那に住むようにならなかったら、その途中のこの伊吹山にも周りの景色にも吸い込まれる事はなかった。

私と連れ合い、それと近くに住んでいる娘夫婦に孫が2人、同乗している。7時半を過ぎて出発したが、恵那の娘達夫婦の家に着いたのは12時を過ぎていた。

車1台がやっと通れるような道を少し上って家に着く。土の階段を上り切ると息切れがする。チワワ位の大きさの茶色の犬が、私達を見ると猛烈な勢いで走って来ては、部屋中を駆け回る。崖の上にあるような家の隙間から覗いているのは、見えていた。

孫はこの犬が可愛くて仕方がないようだが、下の孫は恐れ戦いて母親にしがみつく。

連れ合いの大分の兄夫婦、加古川の2番目の兄夫婦、埼玉にいる妹が1人加わって、総勢13人が集合した。

テラスは日が注ぎ熱いが、炭火を入れてバーベキューの準備が整っていた。男3人は、肉や野菜を焼く事にした。外は暑いから、皆には中で食べて貰う事になった。2時間前から川魚を焼いてくれていたようで、竹串に刺したアマゴやニジマスが10数本円錐状にぐるりと立てかけられていた。私はアマゴを背中から齧ったが、何と言う美味さだった事か。人気は上々であった。


岩村の町を歩き、これが2度目なので、すぐに私達だと分かってくれた店のおばさんとも話し、私の好物の「とうがらし入り梅茶」を買った。

寂びれた感じはしないが鄙びて落ち着いた様子のある町を歩いた。犬はアーチと言うが、上の孫が紐を握っていた。余程嬉しかったのだと思う。こんなに頭を撫ぜたりした所など見た事もないし、家では飼えないから尚更の事だっただろう。

皆も私が潜った店に入った。岩村醸造(株)だ。醸造に使う水が流れ出ている。自由に飲む事が出来た。癖のない美味しい水で、柄杓で掬って飲んだり、ペットボトルに入れたりしている者もいた。元小泉首相の写真もあり、訪れた過去を彷彿とさせた。

私の目当てはここのお酒「女城主」だった。720mlの樽酒を買った。箱には常盤御前を思わせるような緋の袴に刀を差した城主の絵が描かれている。やや辛口だが、私はこの味が好きだ。すぐになくなってしまう事は覚悟の上だが、次来たら幾らでも買えるし、娘夫婦がこちらに来る時に持って来て貰う事も可能だから、と言う気があった。

女城主はお直の方と言い、織田信長の叔母に当たる人である。信長には政略結婚で3度思う侭ならぬ結婚をしている。信長の5男が幼少の頃、岩村城でお直の方は乳母を命じられた。我が子のように可愛がったと言うが、武田方から明け渡しを言われて来た。その条件は、命は助ける事と、お直の方が、それを言って来た武将と結婚する事だった。名前を忘れてしまったが、だが2人は惹かれあい、初めてお直の方が自分でも心に叶った男だったのだろう。余談だが、お直の方は、それはそれは美人だったと言う。

その為に、信長が攻めて来た時は、お直の方は武田方に付く事を決心していたのだ。それで、後に信長のこの叔母は処刑されてしまうのだ。可哀想な人生、意のままにならぬ人生だったその中で、唯一最後は自分の気持ちを通せた人生だったと言えるのではないだろうか。けれど、「悲しい女城主」なのだ。

皆でその岩村城跡に上った。アーチ君と私が呼ぶので、何度か女ですと言われた。9歳だから、犬としたらもう還暦を過ぎた位だろうが、力は強い。段が高い土の階段を上るには、孫では危険なので、私がそこは紐を持つ事にした。城跡なので城のかけらもないが、見晴らしも良く、いい所だ。

全く吹く気持ちなどなかったが、鞄にいつも入れているソプラノC管を出して、何曲か吹いた。するとアッチ君が腰掛けに飛び上がり私の膝に乗り、終わるまで聴いていた。

夜は全員8時に「恵那峡国際ホテル」の食堂に集合して、バイキングで夕食にした。ビールはジョッキを立てかけて黄色いボタンを押すと自動的に斜めになり、ビールが注がれる。後は真っ直ぐになり、泡が追加される。部屋番号を言うと伝票に飲んだ数が追加され、チェックアウトの時清算されるようになっている。

おかずは50種類の中からの食べ放題で、この位なら楽しめると思った。

9時過ぎになって、義兄夫婦達は部屋に帰った。私達は、無料の卓球の出来る遊技場に行って、卓球を楽しんだ。私はペングリップなので1本しかなかったそのラケットを選んだ。私だけ浴衣を着ていた。温泉卓球に相応しい。

だが、ラケットは握る角が削ってなくてとても痛い。ラバーもつるつるで、決して上物ではなかった。いつかしようと言っていたのでいいチャンスではあった。余り回転も掛からないと思ったので、飲んでいた勢いにも任せて思い切り横回転を掛けてサーヴィスをした。案の定、返球された相手のピン球は台を逸れて落下した。

「普通にやったら」

と言う声が聞こえて我に帰った。そのようにしたが、下手でも40年以上のキャリアがある所為か、自然と球のコースも相手の取れないコースに行ってしまう。大人気ない卓球だったかも知れないが、相手もそこそこ上手いとは思った。

孫と遊ぶと、とても楽しくしていた。卓球台でするなんて、初めての事ではなかっただろうか。

1時間もして、孫達の4人は恵那の家で泊まる事になった。それ故、7人がそのままこのホテルで泊まった。部屋に帰るなり、もう熟睡だ。今までの寝不足を挽回するかのように、5月30日の夜は星のないままに更けて行った。


朝は7時からバイキングだ。その頃7人は食堂に集まった。

2日目の31日は、博物館明治村に行く事になっていた。そこで落ち合う事にして、それぞれが別行動になった。娘の家に泊まった4人と娘夫婦2人の6人とは、明治村の駐車場で会った。

東小牧インターから出ると10分程で明治村には到着する。義兄たち夫婦とは、インターを出るすぐ前の小さなパーキングエリアで待ち合わせとなった。200円が100円のサービス期間中のコーヒーを飲んだ。豆を挽き、ドリップする。濃い目の方のボタンを押した。普通の量もあるエスプレッソを飲んでいる気がした。

義兄達は足などの具合や東京方面に行く事もあって、別行動となった。我々3人は、先ず正面駐車場に行ったが、そこはバスが1台と乗用車が1台いる切りで、おかしいと思った。そこから800メートル離れた北口の駐車場を使う事になっていた。入った途端広さに圧倒された。ぎっしり詰まった乗用車は、まるでトウモロコシの隙間のない実のようであった。

そこで、娘の家で泊まった者達と出会い、9人が一緒に行動する事になった。

65歳からはシルバー料金で入場出来る。免許証を見せるとお得になった。バギーが1つ残っていて、これは2歳の孫には大変役立った。

乗り物もセットに組んだが、これはヒットだった。

「うよきうと」から「やごな」まで、蒸気機関車が走る。石炭を焚くのではなく重油かも知れないが、その煙の臭いが昔の懐かしい煤煙混じりの臭いと重なる。普通通り行先を読むとこうなるが、昔は横書きは右からで、今から思えば不便だったのではないかと考えてしまう。

孫達は喜んだが、京都市電(名古屋駅⇔京都七条駅⇔品川燈台駅)も村営バス(正門⇔帝国ホテル)も喜んだし、我々も重宝した。

全部の施設などとても見る事など出来ない。村内地図の全部を書き記す事は差し控えて、ごく簡単に書いて置こうと思う。

12時半頃には昼食をと言う事になり、全員一致で「明治の洋食屋オムライス&グリル浪漫亭」に決まった。その頃のオムライスやカレーが食べたいと思った。20分位並んで待ったような。9人座れる場所が確保出来た。皆はオムライスにしたが、私は昔懐かしいカレーにした。「明治村浪漫麦酒」は明治の頃に試醸された味らしいが、今のビールとは趣が違う。色は黒ビールと似ていた。

当時の建物が置かれていて、中に入ると当時の雰囲気を感じる事が出来る。外観も豪華で凄いものだが、森鴎外の後に夏目漱石が住んだと言う住宅も思いを馳せると面白い。

「大井牛肉店」「聖ヨハネ教会堂」「近衛局本部付属舎」「西郷従道邸」「三重県庁舎」「東山梨郡役所」「札幌電話交換局」「歩兵第六聯隊兵舎」「安田銀行会津支店」「呉服座」「小泉八雲避暑の家」。まだまだ色々有る。流石に重要文化財は10箇所は有る。

「金沢監獄正門」が有り、この正門はメルヘンチックにさえ思える煉瓦造りだ。とても刑務所だとは思えない。なかに入ると「中央看守所」や「監房」が見られる。中央看守所からは各通路が放射状で、良く分かるようになっている。入りたい所ではないが、「独房」や「雑居房」を潜って入ってみた。例え何年かでも無期であっても、閉ざされた人間の檻である。幾ら3食付でも、修学旅行のようには行かない。懲役と言う労役をしながら、栄養など考えられる筈もなく、更に追い打ちをかけて満腹にも食べられない辛さは、精々体験だけでも1日で十分である。

また、出所してからが地獄だろう。よく出て来たねと、誰が温かく迎えてくれるだろう。生活出来る保障も無い。あの監房には、普通では考えられない日々が待っているのだ。

4時過ぎたが、もう限界だ。

「乗り物一日券」も十分に使ったし、全部見なくても明治を一望出来たし、こんな体験ならまた出掛けたいと思う。

明治村に来る前は、3人で恵那峡を見たいと車を走らせた。県立自然公園で、日本観光地百選にもなっている。それなのに、何処をどう回っても湖らしいものに出会わない。車では無理なのだろうか。急流木曽川に、発電の為に建設された大井ダムによって出来た人工湖ではあるが、その景観の素晴らしさには変わりがない。

次への課題がまた積もる。風化によって出来た奇岩、絶壁。これらの雄大な景観を誇る恵那峡を、今度こそじっくり見たいと思う。また、人工の光に邪魔されない娘夫婦の家から、夜通し満天の星を眺めていたいと思った。前回は雨で観られなかったし、今回はホテルからでもと思っていたが、それどころではなく寝込んでしまった。アーチ君のいる家に泊まった娘は、曇っていて星は見えなかったと言った。

ひょっとして、アマゴやイワナを釣る体験が出来るかも知れない。彼の父君にも誘われている。

土筆や梅の実も取り放題だと言う。家の周りはそんな自然に囲まれている。マムシには要注意だけれど。

恵那にはそんな自然一杯の美しさがあり、それはきっと飽きる事がないと思う。そんなこんなで、私が恵那を意識する事になろうとは。

家に着いたのは夜10時過ぎだったと思うが、それからパソコンを開いて、溜まったブログ先に行ってみたりした。ふんずさんの所を覗いたら「悲しい酒」をオカリナで吹いたのがアップされていて、私の事も書いてあった。

「オカリナの詩さん、絶対にレパートリーのひとつですよね。めっちゃ、感情たっぷりに表現して吹きそうですわぁ~」

と、ね。

吃驚したが、その時、私は悲しい酒「女城主」を飲んでいたのだ。この酒こそ、これからの私のレパートリーに必ずや入る酒である。

恵那山は長野県と岐阜県に跨った山で、南アルプスの南端に当たる。高さ2,191メートルもあるとは思わなかった。そして、ついに恵那山と友達になってしまった。