昨日かなり待つ事になったので、11時前のバスに乗って出掛けた。地下鉄名谷駅から新長田駅迄行くと、海岸線に乗り換えて和田岬駅で降りた。それでも12時30分頃で、和田宮公園に向かった。シマさんがコンビニで買った弁当を食べていた。
私は珍しく10時半頃に朝食を摂ったので、昼は食べなかった。近くの「みよし」で、ランチを食べる積もりだったのだが。
午後1時30分に三石神社に行けば良かった。
法被を受け取ると、三石神社に行った。1時20分だったと思う。
天狗が2階から降りて来て、暫くすると槍を持った鬼が、三石神社の中の朱塗りの鳥居の有る社に向かって、槍を突く動作をしていた。すぐにこちらを向くと、踊りながら向かって来る。やっと塩で浄められた道を私達のいる所まで来て、猛烈なスピードで走り出した。この神社の鳥居を抜けた所で、2人の男が鬼を止めた。鬼の面の目がとても小さく、前方も見えないらしい。誰かが止めなければ、大怪我を被る可能性がある。以前に、大変な事があったと、隣の人が言っていた。
子供が少なくなっている昨今、今日は中学生が大きな神輿を担ぐ事になっている。氏子に頼っては居られない程人数が足らないので、総代達は近隣の中学校にお願いして、中学生を集めたと言う。女の子26人、男の子22人の48人が集まり、交代で担ぐのだ。
鶯色が黄色っぽい色にして光っている1000年以上前の衣裳を復元したような衣装を着た小学生が、20人近くいた。昨日の南部の子供達であるが、打って変わって驚くほどの艶やかさだった。私達が所属した南部は、今年は神宝持の役目を負っていた。楯のようなものを持ち、矛を持ち、太刀を持った。
1時30分は既に過ぎていたが、やっと担がれた神輿が神社の鳥居を潜った。その後から4基の子供みこしが続いた。
要所要所のお供えの有る場所で神輿は止まり、その度に赤い衣を着た宮司が丁寧にお詣りした。数か所で、担がれた神輿は、担ぎ手を交代した。子どもみこしは、その度に日陰に止まった。私は、南部子供みこしの幟を持った。
和田岬地区をぐるりと回る。北部は北と南に分かれているので、子供みこしは2基ある。後南部と東部で、その地域に差し掛かると、先頭の子供みこしが替わった。南部のみこしに関わる子供は兄弟3人がいるだけだった。オトンは6人だ。他の子供は神宝持で、先頭を歩いている。
途中、サッカー競技場ウインドスタジアムの横の広場で、給水の時が持たれた。神輿を担いだ者の写真と神宝持の者の写真が撮られた。2時45分頃に広場に着いたが、出発は3時10分だと言った。その間、お茶かジュースとパンが配給になった。昔懐かしジャムパンやクリームパン、バナナパンがあった。
子供達も十分休めたと思う。暫くしてまた動き出した。三石神社の戻ったのは4時半だった。3時間は座る事もなく、只管歩いたのである。数人の警察官は、交通整理の為によく動き回っていた。
50パーセントは雨だと予想されていた天気予報が崩れ、晴れに晴れていた。雨が心配されていたが、日焼けが心配された。
無事に終わったのは何よりだった。
6時から直会があるそうで、それまでの1時間ちょっとを、シマさんと和田宮公園で過ごす事にした。
5時頃だったか、輪郭がはっきりしない白内障の私に、1人の男が赤い車を止めて、荷物を公園の倉庫に入れているのが映った。何だか昔知っていた人のように見えてならなかった。公園のすぐ南西に、もし知っている人ならその家がある。車が動き出した。その南側の道を通って、信号の辺りで止まった。暫く動かない。確信が持てた。
歩いて行ってみると、18年前に出会ったその人、Nさんだった。そこで25分間の立ち話が始まった。
「えらい黒いねえ」
「いやあ、今日は加古川に行って、ボートを指導していたから」
「最近何しているの」
と聞くと、彼はインドに行っていると言う。算盤を教えているそうだ。ドバイなどではなく、ブッダガヤと言われる貧しい田舎だと言った。2、3キロ離れた所から裸足で学校に通って来る子供達のいるような所だそうだ。
鉛筆などを持って行くと、とても喜ぶと言う。子供達の為に、いい事をしているなと思った。
「一緒に行きませんか」
「もう年金生活者で、とても無理かも。30万円位要るでしょ?」
「いや、ツアーなら高いけれど、そうでなければ1週間いて15万円あったら行って来れます」
と言った。何だかお金を貯めれば行けるのではなかろうかと思った。
また飲みたいねと言いながら、1人になっているシマさんの座っているベンチに戻った。
直会の時間が迫って来る。
三石神社に戻った。2階では、もう10人以上の人が座っていた。宮司さんが6時前に、
「ウエルカム ドリンクです」
と言って、所謂ビールを飲む練習が始まった。6時までにはもう少しだ。
全員揃って、正式な挨拶から乾杯となった。私はとうとうチャンスがなく、焼酎に切り替える事が出来ず、最後までビールが注がれ続けてて行った。シマさんは、上手に焼酎に切り替えた。
其々のエリア毎に席が決められていた。南部の者は10人程だが、話が弾んで、私の対面している男のFさんが私の隣りに来て、好きなオートバイの話から自家用車の話、新幹線の技術の話にまで行った。中国で指導した話もあり、暫く聞いていた。つい最近、嘱託を終えて退職したそうだ。
私は若く見られていて、古稀だと言うと驚いて、自分は66歳だと言って恐縮していた。4歳若いと言って先輩だと思う必要もないが、周りの人のその驚きも尋常ではなかったようだ。
7時半になった。終わりの言葉があり、解散となった。
南部だけでの締めの会が、27日にあると言う。これには参加しなければなるまい。
シマさんは各部を回り、「YOSOMI好きな奴」のチラシを配り歩いてくれていた。彼の責任感とそんな動きが、沢山の人が来てくれる確証となる。いつもながらの地道な呼びかけに感謝したい。
私は珍しく10時半頃に朝食を摂ったので、昼は食べなかった。近くの「みよし」で、ランチを食べる積もりだったのだが。
午後1時30分に三石神社に行けば良かった。
法被を受け取ると、三石神社に行った。1時20分だったと思う。
天狗が2階から降りて来て、暫くすると槍を持った鬼が、三石神社の中の朱塗りの鳥居の有る社に向かって、槍を突く動作をしていた。すぐにこちらを向くと、踊りながら向かって来る。やっと塩で浄められた道を私達のいる所まで来て、猛烈なスピードで走り出した。この神社の鳥居を抜けた所で、2人の男が鬼を止めた。鬼の面の目がとても小さく、前方も見えないらしい。誰かが止めなければ、大怪我を被る可能性がある。以前に、大変な事があったと、隣の人が言っていた。
子供が少なくなっている昨今、今日は中学生が大きな神輿を担ぐ事になっている。氏子に頼っては居られない程人数が足らないので、総代達は近隣の中学校にお願いして、中学生を集めたと言う。女の子26人、男の子22人の48人が集まり、交代で担ぐのだ。
鶯色が黄色っぽい色にして光っている1000年以上前の衣裳を復元したような衣装を着た小学生が、20人近くいた。昨日の南部の子供達であるが、打って変わって驚くほどの艶やかさだった。私達が所属した南部は、今年は神宝持の役目を負っていた。楯のようなものを持ち、矛を持ち、太刀を持った。
1時30分は既に過ぎていたが、やっと担がれた神輿が神社の鳥居を潜った。その後から4基の子供みこしが続いた。
要所要所のお供えの有る場所で神輿は止まり、その度に赤い衣を着た宮司が丁寧にお詣りした。数か所で、担がれた神輿は、担ぎ手を交代した。子どもみこしは、その度に日陰に止まった。私は、南部子供みこしの幟を持った。
和田岬地区をぐるりと回る。北部は北と南に分かれているので、子供みこしは2基ある。後南部と東部で、その地域に差し掛かると、先頭の子供みこしが替わった。南部のみこしに関わる子供は兄弟3人がいるだけだった。オトンは6人だ。他の子供は神宝持で、先頭を歩いている。
途中、サッカー競技場ウインドスタジアムの横の広場で、給水の時が持たれた。神輿を担いだ者の写真と神宝持の者の写真が撮られた。2時45分頃に広場に着いたが、出発は3時10分だと言った。その間、お茶かジュースとパンが配給になった。昔懐かしジャムパンやクリームパン、バナナパンがあった。
子供達も十分休めたと思う。暫くしてまた動き出した。三石神社の戻ったのは4時半だった。3時間は座る事もなく、只管歩いたのである。数人の警察官は、交通整理の為によく動き回っていた。
50パーセントは雨だと予想されていた天気予報が崩れ、晴れに晴れていた。雨が心配されていたが、日焼けが心配された。
無事に終わったのは何よりだった。
6時から直会があるそうで、それまでの1時間ちょっとを、シマさんと和田宮公園で過ごす事にした。
5時頃だったか、輪郭がはっきりしない白内障の私に、1人の男が赤い車を止めて、荷物を公園の倉庫に入れているのが映った。何だか昔知っていた人のように見えてならなかった。公園のすぐ南西に、もし知っている人ならその家がある。車が動き出した。その南側の道を通って、信号の辺りで止まった。暫く動かない。確信が持てた。
歩いて行ってみると、18年前に出会ったその人、Nさんだった。そこで25分間の立ち話が始まった。
「えらい黒いねえ」
「いやあ、今日は加古川に行って、ボートを指導していたから」
「最近何しているの」
と聞くと、彼はインドに行っていると言う。算盤を教えているそうだ。ドバイなどではなく、ブッダガヤと言われる貧しい田舎だと言った。2、3キロ離れた所から裸足で学校に通って来る子供達のいるような所だそうだ。
鉛筆などを持って行くと、とても喜ぶと言う。子供達の為に、いい事をしているなと思った。
「一緒に行きませんか」
「もう年金生活者で、とても無理かも。30万円位要るでしょ?」
「いや、ツアーなら高いけれど、そうでなければ1週間いて15万円あったら行って来れます」
と言った。何だかお金を貯めれば行けるのではなかろうかと思った。
また飲みたいねと言いながら、1人になっているシマさんの座っているベンチに戻った。
直会の時間が迫って来る。
三石神社に戻った。2階では、もう10人以上の人が座っていた。宮司さんが6時前に、
「ウエルカム ドリンクです」
と言って、所謂ビールを飲む練習が始まった。6時までにはもう少しだ。
全員揃って、正式な挨拶から乾杯となった。私はとうとうチャンスがなく、焼酎に切り替える事が出来ず、最後までビールが注がれ続けてて行った。シマさんは、上手に焼酎に切り替えた。
其々のエリア毎に席が決められていた。南部の者は10人程だが、話が弾んで、私の対面している男のFさんが私の隣りに来て、好きなオートバイの話から自家用車の話、新幹線の技術の話にまで行った。中国で指導した話もあり、暫く聞いていた。つい最近、嘱託を終えて退職したそうだ。
私は若く見られていて、古稀だと言うと驚いて、自分は66歳だと言って恐縮していた。4歳若いと言って先輩だと思う必要もないが、周りの人のその驚きも尋常ではなかったようだ。
7時半になった。終わりの言葉があり、解散となった。
南部だけでの締めの会が、27日にあると言う。これには参加しなければなるまい。
シマさんは各部を回り、「YOSOMI好きな奴」のチラシを配り歩いてくれていた。彼の責任感とそんな動きが、沢山の人が来てくれる確証となる。いつもながらの地道な呼びかけに感謝したい。