三石神社が和田岬にある。そこの総代から電話があり、例大祭の子供みこしに出て貰えないかと言って来た。5月の2日間だが、4月23日は打ち合わせをすると言うのだ。シマさんも関係しているので、彼も誘った。総代は20年近く前からよく知っていて、酒屋を営んでいる。よく動く人だ。
家を遅く出た積もりだったが、海岸線和田岬駅に着いたのが6時20分だった。シマさんとは6時50分に待ち合わせをしている。私は和田宮公園のベンチで座って待つことにした。中々時間が経たない。三菱重工の会社員の男や女が、時たま私の前を通り過ぎる。45分になったら地下鉄の昇り切った出口の方に行ってみようと考えていた。
40分に彼が公園に現れた。暫くベンチで話し、50分になってから総代Sanさんの経営する酒屋へ行った。総代はシマさんが来るとは思っていなかったか、彼の顔を見るや握手をした。予定の書いたチラシを貰ったが、シマさんの名前もしっかり入っていた。
立ち飲みの店で、盛況を極めていた。私達は、その隅の一角に場所が準備されていた。
10人ばかりの打ち合わせである。女性が一人いた。鐘紡病院の女医だった。
「ああ、女優かと思いましたよ。どこのテレビに出演かと」
そう彼女に向かって言うと総代は、
「上手い事言って」
と話しを繋げた。女医さんは満更でもないような顔つきに変わった。
女医さんは神宝持ちの担当で、後の男性は全部子供みこしの担当だった。法被を着て子供と歩いたり、気が向けばみこしを担いだりする役目だ。こんな事、60年前以来の事だった。
5月23日と24日の2日間、私とシマさんは参加する。気持ちの半分は、なおらい会に向いている。氏子でもない私は、勤務している頃に総代とも知り合ったし、三石神社の宮司とも出会った。この宮司は面白くて、私が韓国語をやり始めた頃、宮司も韓国語の検定試験を受けたと言っていた。時には私にカラオケ大会に出場させたり、新年の奉納にオカリナを吹かせたりした。
打ち合わせは進む。ビールや日本酒や焼酎は飲み放題。あてもあるにはあるが、立ち飲みの基本は飲む事が主体である。
シマさんの知っている人がいて驚いたが、私の傍にやって来た。姫路の方で相撲取りを止めてちゃんこ鍋の店をしている同郷(徳之島)の元相撲取りを知っていると言う。いつか砂被りで観戦しませんかと言った。升席では私は3遍程、大阪場所を観に行っている。まあ、話の流れとして聞いておこう。
総代の学生時代の後輩が用事で来た。ポートピアホテルの本社営業部の人物だ。シマさんの知っている人が何故か私の肩を持ち、私がオカリナを演奏している事について宣伝してくれているようだった。
ディナーショーがどうのとか、ホテルだからだろうそんな話も聞こえた。私は著名人や演奏家や歌手ではないのでそんな事は論外であるが、何か必要があればいつでも演奏する旨は伝えた。ボランティアかと聞くので、お茶1杯の事もあれば向こうから何某かくれる事もあると言った。私はプロではないので、演奏出来る機会があれば、何時でも何処でも出向くと言った。
打ち合わせが終わると、皆三々五々消えて行った。最終的にはシマさんの知った人と営業本部の人と女医さん、それに私とシマさんが残った。もう帰る事にした。シマさんの知った人が握手を求めて来たが、その手がお相撲さんのように分厚く大きいのに驚いた。総代とも握手して、シマさんとその店を出た。
「センベロは業界用語です」
と総代は言っていたが業界用語かどうかは別として、
「千円でベロベロになれる事です」
と言った。つまり、会費は1,000円で飲み放題と言う訳だ。
この後シマさんを誘ったが、彼は帰ると言った。方向が違うからだ。私は、垂水で降りて「生しらす丼」を絶対食べる事に決めていた。
「酒肴屋くやすけ」に入った。カウンターがすぐそこにあり、4席が横に並んでいた。「生しらす丼」だけ注文した。飲み物は要らないと言った。それでも、先付ですと言ってあてが出された。要らないとも言えず食べたが、飲まないのだから本当は要らなかった。これだって500円はする。1,280円の筈が、1,700円ちょっと取られたのには閉口した。
しかし、美味いのは変わらなかった。いつでも食べたいし、今日の昼は待ち切れずに釜揚げのしらすを買って来て、丼のご飯に全部盛って、生卵を落とし、湯浅醤油魯山人を掛けて食べた。これも贅沢だった。それで十分だったのに、元祖鶏ガラチキンラーメンに熱湯を注ぎ、3分待って食べた。これもまた美味いのである。
「何日か前に4人で来て生しらす丼を食べたけど、それがとっても美味く、今日飲んだ帰りだけどまた来てみたんですよ」
「それはありがとうございます」
と、そこにいた店員が私の相手になった。
「これ、もう時期が終わるんじゃないの。いつまでやっているの?」
「今の時期は湯浅で獲れるしらすを取り入れて提供しています」
「じゃあ、冷凍って事?」
と聞いた。
「こちら辺の生しらすは5月に入ってから獲れるので、それは完全な生です。ですから、生しらすは1年中食べられますよ」
と言った。そうだったのか、と半分落胆したが、
「マイナス6度で瞬間冷凍したら、全く生と変わりありません。それより温度が高いと用を為しませんが。それに湯浅醤油を掛けてお出ししているんですよ」
湯浅醤油と聞いただけで、色々拘っている事が分かった。私は即座に醤油魯山人を思い浮かべていた。それに、これだったらいつでも食べに来られると思い、半分ホッとした。冷凍生しらすは、姫路で手に入るらしいが、その方法を知らない。
「この店くやすけと言うけど、どんな意味なんですか」
と聞いた。
「信楽焼きと関係していて、あちらの方では焼き物の失敗作をそう言うみたいです」
目の前には信楽焼きの皿などの器が山のように積まれていて圧巻だ。オーナーはきっと信楽出身の人なのかも知れない。
今日は11時に床屋さんに行った。私はくやすけの事を話した。その床屋さん夫婦は是非行ってみたいと言った。すぐさま奥さんがスマホで検索して、
「良さそうな店」
と言いながら、子どもも連れて行ってみたいと言った。もう一人の男性客が、
「それは安い。明石海峡大橋の道の駅で800円のを食べたけれど、美味しくなかった。通行料を入れて考えたら、1,280円は安い」
と言い、
「店の名前は何でしたか」
と聞いた。
生しらすは何処でも何時でも食べられるものではない。当分釜揚げしらすで我慢しなければならないが、これはこれで贅沢で美味しいと思う。カルシュームたっぷりで、骨粗しょう症の予防にはなるだろう。
昨日「ケッパリ」を買って帰った。その韓国の日用品を売る店に、韓国から仕入れて来た「荏胡麻(えごま)油」があった。1,200円は高価で躊躇したが、買ってしまった。荏胡麻の葉から100%抽出したものらしい。サラダ油が体に良くないと言われている反面、荏胡麻油の効能は最近テレビ等で知る所となった。
今日の朝は、パンにココナツバターを塗り、そこのママさんが言うように、荏胡麻油をパンに浸して食べた。かなり癖のある味がする。それに、車の中ではその匂いが強烈に他人に行き届く。それでも今日やり始めた事だ。明日もパン、明後日もパン。ココナツバターと荏胡麻油のパン。食品に拘っている訳ではないが、暫く続けなければ意味がない。
突然くやすけに電話が掛かって来た。恵那の娘がもう三宮から高速バスに乗ったと言った。私はくやすけを出てバスに乗ると、それはすぐに動き出した。家に近いバス停に着いて暫く待つと、三宮からのバスが到着した。降り立った娘と一緒に家に帰り着いた。これから暫くは賑やかな日々と晴天が続きそうだ。
4月23日
家を遅く出た積もりだったが、海岸線和田岬駅に着いたのが6時20分だった。シマさんとは6時50分に待ち合わせをしている。私は和田宮公園のベンチで座って待つことにした。中々時間が経たない。三菱重工の会社員の男や女が、時たま私の前を通り過ぎる。45分になったら地下鉄の昇り切った出口の方に行ってみようと考えていた。
40分に彼が公園に現れた。暫くベンチで話し、50分になってから総代Sanさんの経営する酒屋へ行った。総代はシマさんが来るとは思っていなかったか、彼の顔を見るや握手をした。予定の書いたチラシを貰ったが、シマさんの名前もしっかり入っていた。
立ち飲みの店で、盛況を極めていた。私達は、その隅の一角に場所が準備されていた。
10人ばかりの打ち合わせである。女性が一人いた。鐘紡病院の女医だった。
「ああ、女優かと思いましたよ。どこのテレビに出演かと」
そう彼女に向かって言うと総代は、
「上手い事言って」
と話しを繋げた。女医さんは満更でもないような顔つきに変わった。
女医さんは神宝持ちの担当で、後の男性は全部子供みこしの担当だった。法被を着て子供と歩いたり、気が向けばみこしを担いだりする役目だ。こんな事、60年前以来の事だった。
5月23日と24日の2日間、私とシマさんは参加する。気持ちの半分は、なおらい会に向いている。氏子でもない私は、勤務している頃に総代とも知り合ったし、三石神社の宮司とも出会った。この宮司は面白くて、私が韓国語をやり始めた頃、宮司も韓国語の検定試験を受けたと言っていた。時には私にカラオケ大会に出場させたり、新年の奉納にオカリナを吹かせたりした。
打ち合わせは進む。ビールや日本酒や焼酎は飲み放題。あてもあるにはあるが、立ち飲みの基本は飲む事が主体である。
シマさんの知っている人がいて驚いたが、私の傍にやって来た。姫路の方で相撲取りを止めてちゃんこ鍋の店をしている同郷(徳之島)の元相撲取りを知っていると言う。いつか砂被りで観戦しませんかと言った。升席では私は3遍程、大阪場所を観に行っている。まあ、話の流れとして聞いておこう。
総代の学生時代の後輩が用事で来た。ポートピアホテルの本社営業部の人物だ。シマさんの知っている人が何故か私の肩を持ち、私がオカリナを演奏している事について宣伝してくれているようだった。
ディナーショーがどうのとか、ホテルだからだろうそんな話も聞こえた。私は著名人や演奏家や歌手ではないのでそんな事は論外であるが、何か必要があればいつでも演奏する旨は伝えた。ボランティアかと聞くので、お茶1杯の事もあれば向こうから何某かくれる事もあると言った。私はプロではないので、演奏出来る機会があれば、何時でも何処でも出向くと言った。
打ち合わせが終わると、皆三々五々消えて行った。最終的にはシマさんの知った人と営業本部の人と女医さん、それに私とシマさんが残った。もう帰る事にした。シマさんの知った人が握手を求めて来たが、その手がお相撲さんのように分厚く大きいのに驚いた。総代とも握手して、シマさんとその店を出た。
「センベロは業界用語です」
と総代は言っていたが業界用語かどうかは別として、
「千円でベロベロになれる事です」
と言った。つまり、会費は1,000円で飲み放題と言う訳だ。
この後シマさんを誘ったが、彼は帰ると言った。方向が違うからだ。私は、垂水で降りて「生しらす丼」を絶対食べる事に決めていた。
「酒肴屋くやすけ」に入った。カウンターがすぐそこにあり、4席が横に並んでいた。「生しらす丼」だけ注文した。飲み物は要らないと言った。それでも、先付ですと言ってあてが出された。要らないとも言えず食べたが、飲まないのだから本当は要らなかった。これだって500円はする。1,280円の筈が、1,700円ちょっと取られたのには閉口した。
しかし、美味いのは変わらなかった。いつでも食べたいし、今日の昼は待ち切れずに釜揚げのしらすを買って来て、丼のご飯に全部盛って、生卵を落とし、湯浅醤油魯山人を掛けて食べた。これも贅沢だった。それで十分だったのに、元祖鶏ガラチキンラーメンに熱湯を注ぎ、3分待って食べた。これもまた美味いのである。
「何日か前に4人で来て生しらす丼を食べたけど、それがとっても美味く、今日飲んだ帰りだけどまた来てみたんですよ」
「それはありがとうございます」
と、そこにいた店員が私の相手になった。
「これ、もう時期が終わるんじゃないの。いつまでやっているの?」
「今の時期は湯浅で獲れるしらすを取り入れて提供しています」
「じゃあ、冷凍って事?」
と聞いた。
「こちら辺の生しらすは5月に入ってから獲れるので、それは完全な生です。ですから、生しらすは1年中食べられますよ」
と言った。そうだったのか、と半分落胆したが、
「マイナス6度で瞬間冷凍したら、全く生と変わりありません。それより温度が高いと用を為しませんが。それに湯浅醤油を掛けてお出ししているんですよ」
湯浅醤油と聞いただけで、色々拘っている事が分かった。私は即座に醤油魯山人を思い浮かべていた。それに、これだったらいつでも食べに来られると思い、半分ホッとした。冷凍生しらすは、姫路で手に入るらしいが、その方法を知らない。
「この店くやすけと言うけど、どんな意味なんですか」
と聞いた。
「信楽焼きと関係していて、あちらの方では焼き物の失敗作をそう言うみたいです」
目の前には信楽焼きの皿などの器が山のように積まれていて圧巻だ。オーナーはきっと信楽出身の人なのかも知れない。
今日は11時に床屋さんに行った。私はくやすけの事を話した。その床屋さん夫婦は是非行ってみたいと言った。すぐさま奥さんがスマホで検索して、
「良さそうな店」
と言いながら、子どもも連れて行ってみたいと言った。もう一人の男性客が、
「それは安い。明石海峡大橋の道の駅で800円のを食べたけれど、美味しくなかった。通行料を入れて考えたら、1,280円は安い」
と言い、
「店の名前は何でしたか」
と聞いた。
生しらすは何処でも何時でも食べられるものではない。当分釜揚げしらすで我慢しなければならないが、これはこれで贅沢で美味しいと思う。カルシュームたっぷりで、骨粗しょう症の予防にはなるだろう。
昨日「ケッパリ」を買って帰った。その韓国の日用品を売る店に、韓国から仕入れて来た「荏胡麻(えごま)油」があった。1,200円は高価で躊躇したが、買ってしまった。荏胡麻の葉から100%抽出したものらしい。サラダ油が体に良くないと言われている反面、荏胡麻油の効能は最近テレビ等で知る所となった。
今日の朝は、パンにココナツバターを塗り、そこのママさんが言うように、荏胡麻油をパンに浸して食べた。かなり癖のある味がする。それに、車の中ではその匂いが強烈に他人に行き届く。それでも今日やり始めた事だ。明日もパン、明後日もパン。ココナツバターと荏胡麻油のパン。食品に拘っている訳ではないが、暫く続けなければ意味がない。
突然くやすけに電話が掛かって来た。恵那の娘がもう三宮から高速バスに乗ったと言った。私はくやすけを出てバスに乗ると、それはすぐに動き出した。家に近いバス停に着いて暫く待つと、三宮からのバスが到着した。降り立った娘と一緒に家に帰り着いた。これから暫くは賑やかな日々と晴天が続きそうだ。
4月23日