垂水駅の一つ西の舞子駅で降りると、陸橋を渡って国道2号線の南側に歩みを向けた。何処にステージは設営されているか不安だったが、プロムナードを東に歩き、明石海峡大橋の下を潜った。

東側には孫文記念館がすぐに見え、草の上を踏みながらその重要文化財の北側に進んだ。この記念館は六角堂と言う人もいれば八角堂だと言う人もいる。私もそこまで確認した訳でもなく、とても曖昧だった。今日も必死で確認しようとなどとは思っていなかった。何となく八角に見える。

高さ1メートル位の舞台がそこにはあり、パイプ椅子が70脚程並べられていた。1時から始まるイベントにはまだ20分はある。それでも30人は既に座っていた。

先ず後ろの左側に自分の席を確保してから、エンジニアの方に挨拶に行った。するとチラシに最初の太鼓の演奏が40分。その間は撤収や次の準備の時間だろう、10分の余裕が持たせてあった。私の出番は1時50分から2時10分の20分間となっていた。電話での話では30分と言う事だったので、その計画をしていた。まあ結論を言えば、後がずれるけれど、30分でやるようになった。

40分が過ぎ、私は組み立てていた譜面台とオカリナの入った袋とパイプ椅子を持って、ステージに上がって演奏の準備をした。

心配なのは、風がやや強い事だった。このままでは、譜面台が倒れるか楽譜を纏めたファイルが飛ぶかが予測出来た。私は早速大きな洗濯挟みを2つ袋から出し、ファイルと譜面台を挟んだ。風と戦っていたが、これは最後まで何とか無事だった。

所要時間が30分になった事で進行が気になった。舞子公園の管理事務所が主催だが、そこの担当者は私が1曲減らすと言っても、自由にやって下さいと言うだけだった。

7曲で27分の予定にしていた。準備が出来て司会者は私を極簡単に紹介した。そうして、戸外では神戸森林植物園で演奏して以来のオカリナ演奏となった。

「皆さん、今日は。時間が限られていますので、喋るのは極力抑えて、1曲でも多く聴いて頂きたいと思っています」

と言ったが、曲の紹介やMCはいつものようにやりたかった。時間の関係で、今回は曲目の紹介だけになった。

「宗次郎さんの『故郷の原風景』を演奏します。故郷の田舎を想像して聴いて頂けると有り難いです」

CDの伴奏が鳴りオカリナを吹き始めた時、譜面台が風で倒れそうになった。それを倒れないように抑えたものだから、演奏が初っ端から少し飛んだ。だが、すぐに立て直して吹いた。皆、分かってくれていると思いながら、譜面台の三脚の一つを足先で踏んだ。少しは楽譜を挟んだファイルが揺れたが、それ以後風で倒れる事はなかった。

神経は、足先にまで張り詰めた。こんな事は初めてだった。エンジニアは2人いて、音響担当以外の人が重しを持って来たり、ガムテープを貼って固定してくれたりした。それを見ながら吹いた。それでも、足の先は同じ所をしっかり踏んでいた。

「次は『聖母たちのララバイ』です」

と言った切りだったが、ぎっしり椅子に座り、後ろに立った人も含めて凡そ100人の人が、そのタイトルに反応しているのが感じられた。オカリナで、歌謡曲や演歌等を吹くとは思わなかっただろうから。ずっと後ろには、屋台が5つ6つあり、そこで聴いている者もあったり、こちらに遠くから歩み寄って来る者もあった。

タイトルだけ言う演奏はそれこそ初めてだが、

「子供もいると思うので、少し前のアニメの曲『崖の上のポニョ』を吹いてみます」

と言った。大人にも反応があったようだ。演奏の途中で手拍子をしたり膝でリズムをとったりしている人が見受けられた。最後の1音を、伴奏が終わるまで鳴らし続けた。息が途中で切れたらどうしようと思いながら、最後まで吹くのが常である。

「鹿児島でも桜が開花したそうですが、この辺でももう何日かしたら開くと思います。そんな事もあって、次は『さくらさくら』を演奏します」

CDは読み取らないものもあると言う事を、「客船フェスタ2015」のエンジニアに聴いていた事がここで実際に起こった。この曲の時だけであったが、かなり最後の方まで順調に行っていたのに、突然音が消えた。私は瞬時にアカペラで吹き、何事もなかったかのように終えた。

「突然鳴らなくなりましたが、これは私のCDに問題があり、突然鳴らなくなりました。そんなCDもあると聞いています」

とその場を繕った。

「次は『また君に恋してる』です」

皆の顔が和んで来る。期待していなかった曲が演奏されるからだろう。こんな爺さんが、そんな曲を吹くなんて、誰も想像もしなかったと思う。こんな愛の形は素敵だな、と思いながら吹いた。

「次は悲しい曲を吹きます。どこまで女性の気持ちになり切って吹けるか分かりませんが『津軽海峡・冬景色』です」

これはビブラートや強弱を特に意識して吹いた。

「最後は『恋のバカンス』です」

手拍子をする人がいた。この際だと思い、間奏になった時私は手拍子をする恰好をした。それにつられて、手拍子の音は大きくなった。私は最後まで、譜面台の一端を踏んでいた。風は、突風に替わる事はなく、何とか私の出番を終える事が出来た。

「聴いて頂いて、ありがとうございました」

そう言って、曲名だけ伝えていたので、ほんの少しだけ喋った。

「いい天気です。紫外線は体に悪いと言われますが、少しは逆にいいそうですね。気持ちのいい温もりと爽やかな風。空も青くなって来ました。遠くは霞んでいますけど。一番嬉しかったのは、こんなに沢山の方に聴いて貰えた事。それと広がる草の緑の空気が吸えた事です。本当に、ありがとうございました」

譜面台が倒れそうにならなかったら、最高の天候だったかも知れない。素早く椅子の上に置いた4本のオカリナを袋に突っ込むと、舞台を降りた。誰かが、「良かったよ」と言う声が聞こえた。司会者も、良かったと言うような事を言った。「お疲れ様」と言う人もいた。

オカリナを置いていた椅子を一番後ろに置いて座った。次は農村歌舞伎が始まるし、かつての同僚も演じる。一度も見ていなかったので、それを観る事にした。

最初の頃の同僚である女性が、「お疲れ様」と言った。45年も経っている。オカリナを習っているのは知っていた。関西では有名なR先生で、私は誰にも習う事はしないと決めているが、もし習うならこの先生だろうなと思う先生である。

「頑張っているのね。オカリナフェステイバルには出ているの」

「神戸のでしょ? そこの実行委員長をしているよ」

「え~、そうなの」

と驚いていた。

「もう14年間携わっているよ」

「『さくらさくら』で吹いたオカリナ、音域が広いね。普通は1オクターブ半しか出ないのに」

と言うから、袋から出して見せた。トリプルオカリナを知らない筈はない年季だが、何故か不思議に思った。3つある口を見せた。

「ああ、これ」

知っていたようだったが、関心が低い。多分R先生は複数管では演奏しないのだと思う。吹けないのではなく、それはR先生の信念である事は良く分かる。ソプラノC管で、それこそ「くまんばちの飛行」を聴いてぶったまげた事を思い出すからである。

ご主人と一緒に来ていると言った。農村歌舞伎に出ている知人がいるとかいないとかで。途中でおひねりを投げるものだから、その数の多さに中身も想像してしまった。ここまで浸透しているのかと思ったが、次の演目の前にそれらは拾い集められ、また前列辺りの人に配っていた。「よお、日本一」と言う掛け声と共に投げる景気付けなのだろう。それが可笑しかった。

3時過ぎには終了し、イベントは終わった。私は、農村歌舞伎を頑張っているT君や、半世紀近くなろうとしている今Hさんに会えて、とても愉快だった。また何処かで会うかも知れない。オカリナの事をいっぱい話したい。

私は、来た時と同じようにまた重い袋と、譜面台を入れた軽い袋を提げて、プロムナードを歩いた。太陽の熱を浴びた一面に広がる草の匂いが、子供の頃家族と草叢でおにぎりや卵焼きや牛肉の甘辛煮を食べた事を懐かしく思い出させる。明石海峡大橋の真下に来ると、その大きさに驚愕する。淡路島まで続く橋の上を、1台のバスらしき車が通るのが見える。橋の先は霞んでいる。

青い所もあるけれどまだ完全ではない曇り空を、チョコレートの箱程の飛行機が東へ飛んで行った。

こうしてイベントが終わってみると、本当に自分が皆の前でオカリナを吹いたのだろうかと思えてしまう。何もなかったのではないだろうか。どうしてそんな思いに駆られてしまうのだろう。どっと疲れているのだけは確かである。