昨日の夕方から降り出した雨は、今お昼になっても続いている。神戸では、降っても長く続く事はない。アスファルトの路面を水滴を巻き上げて走る車のあのシャーと言う独特な音が、断続的に聞こえている。
朝、孫達を保育園に送り、会社へ行く娘を微妙に高速バスの時間に間に合わないと判断し、垂水駅まで乗せて行った。そこまでで朝の8時をちょっと回っていた。2号線に出て、やがて福田川沿いに北へ走る。セブンイレブンを右折すると、そこから上り坂となる。滅多にない事だが、靄が立ち込めていて、信州のペンションの朝のように、不思議な光景が漂っていた。
そんな道を家に戻ると、早速朝ご飯を食べる。何を食べるかは決まっている。茶碗にご飯をよそうと生卵をポンと割り入れて、その上にキッコーマン醤油を3、4回手際よく回し入れる。箸で混ぜると朝食の出来上がりだ。
醤油だけが辛い味を主張しているものの、今まで何の疑問もなく使っていた日用品である。1日置いて作ったイカナゴのくぎ煮はその固さも弾力も歯応えもなく、ただのにちゃにちゃした佃煮でしかなかった。それでも、他人には食べさせられないが味はまずまずで、卵と醤油の混ざったご飯の上にそれを置いた。それによって、味が落ち着いた気がした。荏胡麻の葉を漬けたケッパリ1枚を、卵ご飯に被せて口に運ぶ。あっと言う間に朝食は終わった。
TVを見ながら、チャイムの音が聞こえるのを耳を澄まして待っていた。午前中に指定の魯山人醤油を、待ち人と会う前のようにそわそわしながら、出来るだけ落ち着いて待った。もうお昼になろうとする頃、「ピンポーン」と、特別な音が鳴った。飛び出すと、小降りの雨の中、まるでオカリナが届く時のような大きさの箱を受け取った。着払いなので4,000円を渡し、112円を受け取った。
魯山人醤油200ml1,512円を2本で3,024円。それに運賃540円、コレクト手数料が324円。総額3,888円と言う高価な醤油の来訪だ。1本にしなかった理由は幾らかある。
そんなに美味しい筈の醤油なら、ストックがある方が楽しめる事。
娘達が来た時に、卵かけご飯を食べさせてその味に驚かせたたかった事。
1本買っても864円の別の費用は同じなので、2本の方が割安だと思った事。
まるで子供のように、ワクワクしながら箱を開いた。小さな200mlの「魯山人」が2本現れた。小さな瓶だがとてもスマートで、醤油ではなく高級な飲み物のように思われた。山吹色の帽子を被り、僧正や僧都の被り物のようだった。文化勲章ででもあるかのような、タグが下がっている。極めて濃い赤ワインのようで、これが白く透明だったら、高級な日本酒だろう。大体換算すれば、1升が1万3千5百円のお酒に匹敵する。そんな醤油、見た事がない。
やや違うけれど、醤油は紫と言い、この帽子の色と醤油がもうじき食べることになる卵かけご飯のように思えてしまった。紫と黄色は補色関係で、お互いが相手の色を鮮やかに感じさせる効果を持つ事実が、これから起こるだろうコラボレーションを否応なしに想像させる。
もう昼ご飯の時間だ。迷いもなく、ご飯の上に再び卵を割ってそっと白味が零れ落ちないように中心に置いた。勿体なくて3、4回も回してかけたりしなかった。さっと1回ししただけだったが、胸が熱くなる。箸で掻き混ぜながらテーブルを前に座った。イカナゴもケッパリも冷蔵庫から出さなかった。徐に1口を運んだ。
ちょっとかけただけだが濃厚で、しかも辛みはきつくはない。それどころか口の中では甘さが広がった。醤油であって醤油ではないと言う感想は変だが、醤油でありながら未知の旅に出かけるようだった。
卵が美味しく引き立ち、すぐに醤油の香りが広がる。また卵が本来の味を強め、また醤油が口中に小さな味の部屋を演出する。すぐに食べ終わってしまった。ゆっくり味わわなくても、もう口の中は桜の花のように満開だった。11時55分に食べ始め12時には終わっていた。それからパソコンを見たりブログを書いたりした。
只今1時20分だが、この豊潤な味わいは、まだダンスをしているかのように舌の上で踊っている。勿体なくて2杯目は食べなかったが、今から夕方が来るのが待ち遠しい。朝はキッコーマンの卵かけご飯。昼は「魯山人」の卵かけご飯。晩はまた「魯山人」の卵かけご飯の予定だ。だが、この予定は未定ではなく決定である。今から待ち焦がれているのだ。
私は美食家かも知れないが、セレブのような桁違いのものではなく、この程度のものである。これ以上の高価なものには、私の舌は届かない。巷には卵かけご飯の為の味付けのものは出回っていると思う。以前、人から貰って食べたが、結構な美味さだった。だが、この醤油「魯山人」は、深く、格別である。
同じ量の普段使う醤油の、まあ5倍以上の値段としよう。もっと安いものなら10倍位の値段になるだろう。かと言って、10倍美味いと言う事にはならない。どうなれば数倍美味いのか。それは個人の味覚や感動によって違うと思う。10倍の値段でも2倍美味かったら、その値打ちは十分だと思う。1.2倍だとしても私には美味いと感じられる。そこまでして買うかと言う事になれば、もう人の勝手と価値観や思考の違いの範疇だ。
だが、この私の主観からすれば、体感温度ではないがかなり熱い。感動ものであるぞよ。
「美味しいものを食べるのではなく、美味しく食べる」
魯山人の言葉もこの醤油のように味わい深い。
電話があったり、ちょこちょこ慌ただしい。なかなかブログも進まない。周りが明るくなったようだ。カーテンを捲って外を見ると、もう雨も止んでいた。明日からは晴れ模様が続くようで、数日先の舞子公園でのオカリナ演奏も、中止にはならないだろう。
台所の醤油やソース、酢に味醂、オリーブ油、サラダ油などが入れてある所から「魯山人」を取り出して来てパソコンの横に置く。高さ21cmの先細りの瓶の、上部の蓋の根元から4cmが空洞になっている。この空洞程ご飯と卵にかけた訳はないが、後の醤油のいずれ零れ落ちる1滴1滴を、液体の宝石のように慈しむ。
賞味期限2017.2。2014”ROSANJIN”魯山人醤油。限定品。Serial No.21113。もう1本は21170だ。並んでいるだろうと思ったが、出荷する時は、そこまで気を回してはいないようだ。
後3時間もするとまたこの醤油が味わえるのだが、この醤油だけ2、3滴嘗めてみたいとの思いも膨らむ。手元から少し遠くに置いて眺める。とても醤油だなんて思えない。コップに入れてぐいっと飲みたい衝動に駆られる。その位飲んでも平気な気がする。勿論そんな無謀な事はしないけどね。
「魯山人醤油・読本」が付いて来ている。ー食べる前に読むか、読んでから食べるか。「魯山人」醤油を10倍楽しむレシピ本ー。私には、読んでから食べるなんてとても考えられなかった。
今パラッと捲ると、卵かけご飯も載っている。その右隣りには冷奴に「魯山人」が溜まり、流れている写真が載っている。豆腐の上には茗荷、生姜、葱が乗せられている。これは是非明日に食べたい。ご飯と食べるか、酒のあてにするかは、まだ決めていない。
舌上のダンサー達は影を潜め、その代りこの小さな200mlの瓶への心の揺れが、しっかり記憶に残されていた。
想像の川が流れている。それは「魯山人」の濃い赤ワインのようにも見えるし、そこまでは黒くない墨にも見える。瓶を斜めにした時に見えるイソジンのようでもある。そんな川があったら、醤油には困らない。超一流の食卓が毎日のように出現する。鯖の塩焼きに垂らす。ほうれん草のお浸しにも垂らす。究極は、ほかほかのご飯に醤油だけ垂らして食べる。
「魯山人」のそれは贅沢だが、私が子供の頃、醤油をかけただけのご飯を食べた事を思い出す。あの匂いも味も色も、鮮やかに思い出される。こんなまろやかな味ではなかった。
今、川が「魯山人」だったら、醤油風呂に入っているかも知れない。いつしか、私と魯山人が話をしているような雰囲気になっている。魯山人は陶芸家で篆刻家で画家で書道家である。それに美食家でもあり料理にも詳しい。そんな凄腕に、醤油の瓶から出会えたなんて、何と楽しい事だろう。
醤油を毎日のように使っているがここまで戯れた事はないし、ちょっとでも、戯れた事はない。
朝、孫達を保育園に送り、会社へ行く娘を微妙に高速バスの時間に間に合わないと判断し、垂水駅まで乗せて行った。そこまでで朝の8時をちょっと回っていた。2号線に出て、やがて福田川沿いに北へ走る。セブンイレブンを右折すると、そこから上り坂となる。滅多にない事だが、靄が立ち込めていて、信州のペンションの朝のように、不思議な光景が漂っていた。
そんな道を家に戻ると、早速朝ご飯を食べる。何を食べるかは決まっている。茶碗にご飯をよそうと生卵をポンと割り入れて、その上にキッコーマン醤油を3、4回手際よく回し入れる。箸で混ぜると朝食の出来上がりだ。
醤油だけが辛い味を主張しているものの、今まで何の疑問もなく使っていた日用品である。1日置いて作ったイカナゴのくぎ煮はその固さも弾力も歯応えもなく、ただのにちゃにちゃした佃煮でしかなかった。それでも、他人には食べさせられないが味はまずまずで、卵と醤油の混ざったご飯の上にそれを置いた。それによって、味が落ち着いた気がした。荏胡麻の葉を漬けたケッパリ1枚を、卵ご飯に被せて口に運ぶ。あっと言う間に朝食は終わった。
TVを見ながら、チャイムの音が聞こえるのを耳を澄まして待っていた。午前中に指定の魯山人醤油を、待ち人と会う前のようにそわそわしながら、出来るだけ落ち着いて待った。もうお昼になろうとする頃、「ピンポーン」と、特別な音が鳴った。飛び出すと、小降りの雨の中、まるでオカリナが届く時のような大きさの箱を受け取った。着払いなので4,000円を渡し、112円を受け取った。
魯山人醤油200ml1,512円を2本で3,024円。それに運賃540円、コレクト手数料が324円。総額3,888円と言う高価な醤油の来訪だ。1本にしなかった理由は幾らかある。
そんなに美味しい筈の醤油なら、ストックがある方が楽しめる事。
娘達が来た時に、卵かけご飯を食べさせてその味に驚かせたたかった事。
1本買っても864円の別の費用は同じなので、2本の方が割安だと思った事。
まるで子供のように、ワクワクしながら箱を開いた。小さな200mlの「魯山人」が2本現れた。小さな瓶だがとてもスマートで、醤油ではなく高級な飲み物のように思われた。山吹色の帽子を被り、僧正や僧都の被り物のようだった。文化勲章ででもあるかのような、タグが下がっている。極めて濃い赤ワインのようで、これが白く透明だったら、高級な日本酒だろう。大体換算すれば、1升が1万3千5百円のお酒に匹敵する。そんな醤油、見た事がない。
やや違うけれど、醤油は紫と言い、この帽子の色と醤油がもうじき食べることになる卵かけご飯のように思えてしまった。紫と黄色は補色関係で、お互いが相手の色を鮮やかに感じさせる効果を持つ事実が、これから起こるだろうコラボレーションを否応なしに想像させる。
もう昼ご飯の時間だ。迷いもなく、ご飯の上に再び卵を割ってそっと白味が零れ落ちないように中心に置いた。勿体なくて3、4回も回してかけたりしなかった。さっと1回ししただけだったが、胸が熱くなる。箸で掻き混ぜながらテーブルを前に座った。イカナゴもケッパリも冷蔵庫から出さなかった。徐に1口を運んだ。
ちょっとかけただけだが濃厚で、しかも辛みはきつくはない。それどころか口の中では甘さが広がった。醤油であって醤油ではないと言う感想は変だが、醤油でありながら未知の旅に出かけるようだった。
卵が美味しく引き立ち、すぐに醤油の香りが広がる。また卵が本来の味を強め、また醤油が口中に小さな味の部屋を演出する。すぐに食べ終わってしまった。ゆっくり味わわなくても、もう口の中は桜の花のように満開だった。11時55分に食べ始め12時には終わっていた。それからパソコンを見たりブログを書いたりした。
只今1時20分だが、この豊潤な味わいは、まだダンスをしているかのように舌の上で踊っている。勿体なくて2杯目は食べなかったが、今から夕方が来るのが待ち遠しい。朝はキッコーマンの卵かけご飯。昼は「魯山人」の卵かけご飯。晩はまた「魯山人」の卵かけご飯の予定だ。だが、この予定は未定ではなく決定である。今から待ち焦がれているのだ。
私は美食家かも知れないが、セレブのような桁違いのものではなく、この程度のものである。これ以上の高価なものには、私の舌は届かない。巷には卵かけご飯の為の味付けのものは出回っていると思う。以前、人から貰って食べたが、結構な美味さだった。だが、この醤油「魯山人」は、深く、格別である。
同じ量の普段使う醤油の、まあ5倍以上の値段としよう。もっと安いものなら10倍位の値段になるだろう。かと言って、10倍美味いと言う事にはならない。どうなれば数倍美味いのか。それは個人の味覚や感動によって違うと思う。10倍の値段でも2倍美味かったら、その値打ちは十分だと思う。1.2倍だとしても私には美味いと感じられる。そこまでして買うかと言う事になれば、もう人の勝手と価値観や思考の違いの範疇だ。
だが、この私の主観からすれば、体感温度ではないがかなり熱い。感動ものであるぞよ。
「美味しいものを食べるのではなく、美味しく食べる」
魯山人の言葉もこの醤油のように味わい深い。
電話があったり、ちょこちょこ慌ただしい。なかなかブログも進まない。周りが明るくなったようだ。カーテンを捲って外を見ると、もう雨も止んでいた。明日からは晴れ模様が続くようで、数日先の舞子公園でのオカリナ演奏も、中止にはならないだろう。
台所の醤油やソース、酢に味醂、オリーブ油、サラダ油などが入れてある所から「魯山人」を取り出して来てパソコンの横に置く。高さ21cmの先細りの瓶の、上部の蓋の根元から4cmが空洞になっている。この空洞程ご飯と卵にかけた訳はないが、後の醤油のいずれ零れ落ちる1滴1滴を、液体の宝石のように慈しむ。
賞味期限2017.2。2014”ROSANJIN”魯山人醤油。限定品。Serial No.21113。もう1本は21170だ。並んでいるだろうと思ったが、出荷する時は、そこまで気を回してはいないようだ。
後3時間もするとまたこの醤油が味わえるのだが、この醤油だけ2、3滴嘗めてみたいとの思いも膨らむ。手元から少し遠くに置いて眺める。とても醤油だなんて思えない。コップに入れてぐいっと飲みたい衝動に駆られる。その位飲んでも平気な気がする。勿論そんな無謀な事はしないけどね。
「魯山人醤油・読本」が付いて来ている。ー食べる前に読むか、読んでから食べるか。「魯山人」醤油を10倍楽しむレシピ本ー。私には、読んでから食べるなんてとても考えられなかった。
今パラッと捲ると、卵かけご飯も載っている。その右隣りには冷奴に「魯山人」が溜まり、流れている写真が載っている。豆腐の上には茗荷、生姜、葱が乗せられている。これは是非明日に食べたい。ご飯と食べるか、酒のあてにするかは、まだ決めていない。
舌上のダンサー達は影を潜め、その代りこの小さな200mlの瓶への心の揺れが、しっかり記憶に残されていた。
想像の川が流れている。それは「魯山人」の濃い赤ワインのようにも見えるし、そこまでは黒くない墨にも見える。瓶を斜めにした時に見えるイソジンのようでもある。そんな川があったら、醤油には困らない。超一流の食卓が毎日のように出現する。鯖の塩焼きに垂らす。ほうれん草のお浸しにも垂らす。究極は、ほかほかのご飯に醤油だけ垂らして食べる。
「魯山人」のそれは贅沢だが、私が子供の頃、醤油をかけただけのご飯を食べた事を思い出す。あの匂いも味も色も、鮮やかに思い出される。こんなまろやかな味ではなかった。
今、川が「魯山人」だったら、醤油風呂に入っているかも知れない。いつしか、私と魯山人が話をしているような雰囲気になっている。魯山人は陶芸家で篆刻家で画家で書道家である。それに美食家でもあり料理にも詳しい。そんな凄腕に、醤油の瓶から出会えたなんて、何と楽しい事だろう。
醤油を毎日のように使っているがここまで戯れた事はないし、ちょっとでも、戯れた事はない。