史上最年少で音楽コンクール第1位。天才少女と言われていた中村紘子のピアノを聴きに、ザ・シンフォニーホールへ出かけた。数々の賞を欲しいままにした事などは横に置いておこう。

今年で55周年を迎える事は凄い業績だと思う。その演奏も、国内外で3800回を越えると言う。

ピアニストにはそれぞれ個性なのか、強いタッチと弱いタッチがあるだろう。固い音と柔らかい音があるだろう。ぎこちなく弾くのは聴くに堪えないが、滑らかな、また技巧的な弾き方は、プロには基本的に要求される所だと思う。真面目に弾くだけでは飽きてしまうから、その上に、パフォーマンスが要ると思っている。

又もや3階の、それでも少し段が上の、一番上の横から聴く席だった。しかも移動式の椅子だから、これ以上ない最後列だったのである。タッチがとても強い彼女の音は、ここまでガンガン上って来た。ホール全体に、隈なく響いていた。また、そんな曲が選ばれていたと思う。


ベートーヴェン:

 ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 「テンペスト」op.31-2

 ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 「情熱」op.57

[休憩]

ショパン:

 ノクターン 第5番 嬰へ長調op.15-2

 幻想即興曲 嬰ハ短調op.66

 ポロネーズ 第7番 変イ長調 「幻想ポロネーズ」op.61

リスト:

 ウィーンの夜会 第6番 S.427-6
 (シューベルトによるワルツ・カプリース)

 メフィスト・ワルツ 第1番「村の居酒屋での踊り」


腰を浮かせて鍵盤を体で叩く姿はいつものパフォーマンスのようだったが、果たしてこれをパフォーマンスなどと呼んでいいのだろうかと、一瞬たじろぐ。彼女自身の音の表現だったとしたら、そんな言葉では決めつけられない。「女王の紡ぐ美音」(この言葉は誰が言ったか分からないが引用する)は、気の遠くなる程の55周年だけが知っている事かも知れない。そんな歳月を生きられると言うのも、何者かの微少な人間へ託した願いに他ならないものだろうと思うのは、何も為し得なかった私の僻みだろうか。

中村紘子はそれを全うする最中にいるが、私はその私にもあったと思われる委託を、最早見失ってしまっているのだ。その上、次に生まれ変わったら、などとほざくのだ。たった1度だけのこの人生は、しっかりと前を見据えて、大事に歩まなければならない。

音楽はここまで恐ろしく、甘美で、人の生き方に関与する。数段どころか遥か彼方にある彼女から、私は何を得ればよいのだろうか。もう、驚嘆し感動する段階は、少なくともおさらばしなければなるまいと思う。


彼女は3度ステージに登場して、アンコールに応えてくれた。

ショパン:ワルツ 第9番「告別」op.69-1

ラフマニノフ:13の前奏曲より 作品12op.32

ブラームス:ハンガリー舞曲 第1番


帰りに居酒屋に立ち寄った。おでんも天ぷらもとても安かった。鯖の塩焼きも注文した。絶句した。お頭付きで、切った所までの長さが20センチは越えていた。こんな塩鯖、食べた事がなかった。

ビールと芋焼酎のお湯割りを飲んだだけで酔いが回った。随分弱くなったものだ。よくよく考えてみれば、それは弱くなったのではなく、又太り始めている証拠だった。どんどん体重が減っていた頃は、自分では吃驚するほど飲めたからだ。あと最低5キロは痩せないと、メタボ街道が待っている。

もう決して太らないといい気になって食べ捲っていたが、さあどうする。確実に「決断の時」がやって来た。美食に誘惑され続けた報いの時が。質素倹約、質実剛健こそが今年の目標になるのではないのか。

お茶を貰ったら、その湯呑みにぐるりと書いてあった事がある。それも載せて、私のお守りにしたい位だ。


「健康のためにならぬ集」


こえてならぬは 腹八分

偏ってならぬは 栄養

繰り返してならぬは 暴飲暴食

摂りすぎてはならぬは 塩分糖分

減らしてはならぬは 睡眠

ためてならぬは ストレス

怠ってならぬは 運動

忘れてならぬは 笑顔

立ててならぬは 腹

失ってならぬは 若さ

避けてならぬは 医師

頼ってならぬは 過言(健康という)

富に勝るは 健康


よくもこれだけ湯呑みに書けたものだ。でも、ああ、ここにはヒントがあるな。