あけましておめでとうございます。今年も、よろしくお願いします。

相変わらず心中と反して長くなるブログになると思います。読んで頂くなど烏滸がましい事だと思います。ただ、私が不定期にですが、ブログを書いている事だけは忘れないで頂けたら嬉しいです。

さて、

私が小学校の1年生から3年生まで担任をして下さったのが、尊敬すべき男先生だった。書道の大家でもあったのだが、毎年年賀状を貰った。全て版画だ。インパクトのあったのは低学年の頃、蛇が縦に伸びていて、南高梅程の真っ赤な太陽があり、バックは版木の関係で微妙に透けているが、真っ黒だった。「やあ、ことしも」と彫ってあった。

それから先生は私達を3年間受け持って、出雲から先生の故郷、田儀へ転任された。それから頂いたのが未年の年賀状だった。勿論版画だったが、「おだやかな羊の年 おめでとう」と彫ってあった。それだけの言葉にすら、私に影響を与えている。

20歳の頃だっただろうか。先生の家を正月に訪ね、泊まって行けと言われ、先生と並んで寝た事がある。今日は先生の事を書く積もりはないのだが、先生に届いている年賀状を見て、吃驚した事がある。2,000枚以上あったからである。先生は返事を出し終えるまでにも1週間はかかると仰っていた。

「おだやかな羊の年 おめでとう」

今年はその年が巡って来た事を言いたかった。それでこんな長さに。うんざりだろうが、これを忍耐強く読んで下さる人には申し訳ない事頻りである。



1日の朝は7時には起き上がりたかった。だが、NHKラジオ第2に周波数を合わせると、講演をやっているようだった。遂に聞いてしまったが、何とこの直木賞を取った小説家は、就職をする所の運びまで、私と全くと言っていい程違わなかった。職種と言い、面接試験で落ちるまでの流れと言い、受験しようとしていた大学まで、それを断念せざるを得なかった事まで、私が話しているような錯覚に捕らわれた。

レベルは作家氏がずっと上だとしても、同じ道を辿った部分がある事が驚きだった。

それで、起き上がったのが8時の時報に合わせてだった。外に出ると、新聞が来ていない。私は思想に関係なく、朝日新聞をずっと読んでいた。それが1日から代わる事になっていた。その新聞販売所に連絡すると、契約した筈の名簿に記載がないとの事で、結局朝日新聞を継続して購読出来る事になった。

9時過ぎに家を出て、高速バスに乗った。15、6人しか乗っていなかった。

空には、暖かいバスの中から見るとまるで夏に現れる入道雲の小型版がモクモクと膨れ上がっていた。空はとても青く、他の雲が大陸や島のように見えた。雲は青い海だった。丁度半々の比率だから、晴れだろう。

三宮の生田神社へ向かう道は、夜の街とは似ても似つかぬ汚さだった。ゴミが散らばり、興醒める雰囲気の先には、そろそろと屋台が並んでいる。参道の両側には、流石に屋台は密集していた。ベビーカステラ、焼き鳥、リンゴ飴、たい焼き等を売っている。

真っ直ぐに進んで、昨年のお礼を言い、今年のお願いをした。

真ん中におみくじを引く所があり、左右に分かれて箱を振って竹ひごのような細い棒を取り出す。その番号のおみくじを貰うのだ。巫女さんが左右に7人ずつ並び、それでも需要は多い。

私のご宣託は、

「山振の 立ちよそひたる 山清水 酌みに行かめど 道の知らなく」(高市皇子 2・158)だった。

第29番 末吉 だ。

「山吹の咲いている川に、清水を汲みに行きたいのですが、道が分かりません」の意です。今は、将来の見通しがたちにくく、迷ったり悩んだりする事が多いのですが、辛抱をしなければなりません。

と書いてあった。この通り信じる訳ではない。いい所は取り込むが、今年はこのようなご宣託である。軽視する積もりもなく、考え考え歩いて行く事にした。余り良いとは言えないけれど、焦らず、慌てずに進むのが今年だと心得る。

串カツ1本が500円。何と高い事か。昔子供だった頃の、1本2円だった田螺の串が懐かしい。

ベビーカステラの屋台は3、4軒あったが、1軒を除いては人が並んでいない。私が買おうとした所には10人位並んでいる。暫く列に入って、買うのを待った。500円のお買い上げ。20個弱あるそうだが、1,000円のを買う気にはならなかった。

高速バスの発車までには20分もあり、まだバスは出発5分前にならないと来ない。鼻も手も耳も冷たい。風もありじっとして居れない。暫くコンビニに入って暖を取った。

また戻ったが、南側のそごうデパートのクリスタルの建物に雲が映っていて、流れていた。

帰りのバスには、5、6人だけが乗った。空は開け、雲量は随分減っていた。これなら1割もないから快晴と言えるだろう。

行きは25分、帰りは20分で着いた。このバスは便利である。帰りは10時20分出発で、10時50分には家に帰っていた。末娘達の家族が来て、雑煮を食べる事になっている。既に来ていた年賀状を見て楽しんでいた。

朝日新聞が届けられていた。分厚い新聞と広告の塊がポリ袋に詰まっていた。羊の模様の入った小さなハンカチと10円の入ったビニール袋。それには電話代と書いてあり、こちらが朝日新聞の販売所に掛けた電話代の積もりだったらしい。

早速年末ジャンボ宝くじの当選番号を見た。今年は多く買っていたので、確率はいいだろう。毎年1枚買うが、今回は3枚買っていた。10枚買うのも1枚買うのも同じで、確率は度外視して、当たる時は当たると言う考えだ。それで、300円が当たった。よく、末尾の8が当たったものだと思った。

娘は11時30分には来れると言っていたが、ちょっと落ち着かなかった。12時30分頃だったからだ、皆が来て急に賑やかになったのは。

この雑煮を食べないと、私(達)の正月は始まらない。出雲の妹が越の寒ブリを仕入れて塩をして、2週間置いておいたものを3等分した一塊を送って来る。10束以上の芹、十六島(ウップルイ)の岩海苔、牛蒡、出汁炒り子、お餅屋さんで搗いて貰ったお餅と一緒に。

これらが醤油ベースの味付けに入れられて、我が家の雑煮となる。皆それぞれ、色々な雑煮があり、それぞれに思いや味があり、それでなければならない拘りもあろうと言うものだ。私とて、物心付いた頃から食べている、母の里岡山流のこの雑煮が、私の雑煮なのである。

鰤が美味い。芹が味が深い。天然の海苔が何とも言えず全体の味を支える。牛蒡の歯応えがまたいい。主役は餅である。最初3個入れたと言った。お代わりをした。また3個の餅。これで、この2、3日で食べられないと思ったら、また食べたくなった。更に2個追加。結局、ダイエットなど何処へやら、8個もお餅を食べてしまった。まだ気持ちは食べたいが、膨満感は半端ではなかった。

膨れたお腹を恨めしく眺めながら、後悔の気持ちは止まなかった。暫く横になってテレビを観た。少し眠ったようだった。もう娘一家はいなかった。旦那の家に行ったらしい。私はこのままでは大変な事になる。すぐに腕立て伏せをし、スクワットをし、かつて流行ったビリーのブートキャンプの基本動作を繰り返し、ジョギングに出掛けた。4時31分だった。

急に激しくはない雪が舞った。その中を走り出した。体が重いのが分かる。これは、3年前にやりだした頃の感覚だった。また辛いダイエットを始めるか、止めるかの判断が要った。おみくじをのご宣託を思い出した。「今は、将来の見通しがたちにくく、迷ったり悩んだりする事が多いのですが、辛抱をしなければなりません」。今年初めてのご宣託の実行である。

走り続ける間、本格的ではない雪は舞い、私の赤いシャツにくっ付いた。途中歩きたい衝動に駆られたが、辛抱した。今までは30分を切っていたが、家に着くと33分かかっていた。自分の状態が如何に哀れなものかが良く分かった。2015年の初日に走って良かったと思った。自重して継続しなければならないと思い知らされた。

雪はその時、ピタッと止んだ。

走る気にならなかったら、雪を見る事はなかっただろう。第29番の末吉も、私に対する警告でありやさしさではないかと思える程であった。雪の中を走れた事、末吉のおみくじには感謝したい。

今年の思いや目標を考えなければならないが、

「基本に戻る」事を芯にして過ごしてみたいと思っている。「初心忘れるべからず」も同じような含みがある。

私が考えた目標は、「緻密な努力を重ねる事によって、温かい命の川が流れる」と言う長ったらしいものだ。そんな1年を生きてみたいと思った。その底に、感謝の心がなければ、全ては水泡に帰すだろうけれど。

そう思っても、何だか将来の見通しが立たないと感じるのは、第29番末吉の所為なのか効力なのか。穏やかな羊の年は、心して歩まなければならない。