もう今年も後4日となった。あっと言う間に過ぎて行った今年だった。馬よ、まっしぐらによく駆け抜けてくれた。

世間の、日本の、世界の騒音や雑音に気を取られながら、それでも流されずに辛うじて堪えて来た今年。他人の目を気にすると、途端に気力や意欲を失う可能性が大きい。だが、自分の目でしっかり周りを見つめながら、また内省して行くと、失意の底に沈む事はない。それこそ、ありのままの自分と歩む事だからである。

もうじき新しい年を迎える。気持ちはその区切りで新たなものに感じられるが、殊更に変わるものでもない。同じように1日1日が過ぎるだけの事だが、それでもお正月を迎えると、その1日は何だか特別の日のように思われるのが素敵だ。

新しい年2015年に変わったら、羊には穏やかに歩いて欲しいと願っている。そして、世間が、日本が、世界が、少しでも穏やかで優しく動いて欲しいと思っている。


皆さんには仲良くして頂いた1年だったが、来年が更に幸せであるように、更に仲良く出来たらいいなと思っている。


今年はこれが最後のブログになるだろう。今日はどう過ごしたかを書いて、締め括りとしたい。

午前中は2人の孫と過ごしたが、急に思い立って高速バスで三宮まで出かけた。

明日は夕方頃に福岡から第一陣が帰って来る。先ずそれで5人増える。今日も過ごした孫の一家も明日は来るだろうから、一挙に11人での夕食となる。私の頭には、また久し振りの3人の孫達に会える楽しみと飲める楽しみがじわ~っと湧いて来る。ビールは明日買に行こう。

今日は三宮から歩いて元町のヤマハに行き、楽譜を物色した。「主よ、人の望みの喜びよ」は、短いものは暗譜で吹いているが、長いバージョンのものを吹いた事がない。この曲はソから始まるものとファから始まるものがある。私は最初に出会った楽譜がファから始まるものだったので、今更ソからのものには用がない。

この曲の楽譜を求めに来た訳ではなかったが、この楽譜集にある「主よ、人の望みの喜びよ」は長いバージョンで、ファから始まっていた。他には「小犬のワルツ」とか「トルコ行進曲」とか、更に物凄い超絶技巧を要する曲も入っている。だから購入する訳ではないのだが、オカリナ版では「小犬のワルツ」はフルート版と比べると、音域の関係でどうしてもぎくしゃくしたものになってしまう。「トルコ行進曲」も私が吹いている音程とは違っている。どちらも私には必要のない楽譜である。

兎に角、「主よ、人の望みの喜びよ」は、長いけれど完全なものかどうかは分からないが、これは吹きたいと思ったのだった。

オカリナはどんな曲でも自分が好きな曲を演奏するのがいいのであって、曲の速い遅いは関係ないと思っている。自分の好みや個性が表れる曲が吹けたら、それが一番いいのだ。

次は急に思い立った兵庫の店に行った。

「サトゥリ(方言)を話すので、皆から『おばあさんみたいだね』って言われます」

と言って笑う。この人は釜山周辺の出身で、釜山弁を話すのである。日本語は達者だけれどね。

「オイソ、ボイソ、サイソ」

と言ったらすぐに分かって、笑ってくれた。「来て、見て、買って」と言う釜山弁で、生野のコリアタウンの門の上に書いてある。

今までより一番ゆっくり見る事が出来た。パックに詰められたトッポッキだとか、チャプチェの春雨だとか、ネンミョンの麺だとかが並べられていた。今日は一杯買う積もりはなかったので必要なものだけを買った。

それは、ケッパリ3パックとキンパ4本だ。明日、飲む時のあてにする積もりである。きっと喜ぶと思う。

海苔は、女主人が韓国で買い付けをして来た一番好きなものだと言う。気になる話だ。試しに3個入り1袋を買った。

また韓国語を復活させたいと思った。この店に来たら、ちょっとでも韓国語を教えて貰おうと思った。

家に帰ると上の孫が、美味しいと言って食べた。一緒に食べたので、1本なくなった。

Sさんが、大安亭市場でケッパリを買うとか言っていたが、私もその大安亭市場をくまなく歩き、韓国の食べ物をいつか物色して見たい気になった。

ああ、今日が終わる。