知らない所だとは言え一緒に行ってみれば凄く近く、もう忘れようにも忘れられない場所だった。
Sさん宅に着いたのが5時40分。ゆっくりゆっくり坂を上がって、それでもまだ5時30分を過ぎただけ。青信号で渡らず、もう1回青になるのを待った。それでも40分までには5分はある。そこら辺をゆっくり歩き回った。やっと40分までに2分と言う時になって、Sさんの家に足を速めた。
ピンポ~ン。暗い。いない筈はない。やがて明かりが点いて、S.Sさんが出て来た。鍋から何まで大変な荷物だ。Sさんも顔を出した。
こちらに向かう見た事のある体形。容積の話をしている訳ではなく、太い細いの問題ではなく、紛れもなく見慣れたシルエットだった。そらの陽さんがやって来た。
4人で神戸高校同窓会館へ歩み出した。すぐ突き当り。それはそれは綺麗な会館で、ホールも演奏会でもしようものなら100人は入れると言う代物だった。
テーブルがしっかりしていて、ストッパーを踏むと一切動かない。椅子と共に新しかった。
軈てシマさん夫婦が来た。6時から集まる事になっていた。テーブルには、もう置く所がない程に、持ち寄りのものが置かれた。オカリナママさんが事前に届けていた3本のワイン。先ずボジョレーをグラスに注いだ。6人で乾杯。いや、正確に言うと5人で乾杯だ。S.Sさんが乾杯の為のピアノを弾いてくれたからだ。贅沢なパーティーの開幕だった。
S.Sさんがピアノを弾き終えて戻って来ると、また乾杯!
パン。キムパ。ピロシキ。シュトーレン。ラスク。チョコレート。サラダ。鍋に入ったポトフが煮えていた。この会館、飲み食い持ち込みOKなのだった。6時30分にHさんが入って来た。再び乾杯。自分で漬けたと言うオリーブを各自の皿に盛ってくれた。ポテトチップスの上にはチーズをその場で搾り出し、初めての味覚を楽しんだ。
「きっとオカリナママさん、またワインを持って来るよ」
と誰かが言った。それは私だった。話と食が忙しく、音楽所ではなかった。
「実は、音楽よりこれが楽しみで」
とSさんが言った。私も同感だと言った。
軈て、オカリナママさんが入って来た。これで8人。今回のフルメンバーとなる。
「7時30分頃になるので、盛り上がっていて下さい」
とメールを貰っていたママさんが、到着したのは丁度7時だった。この会館は、6時から9時までが夜の部で、5時から借りるとしても、1時からの料金が加わるそうだ。それは流石に勿体ない。
後で話した事だが、「YOSOMI好きなヤツ」を再来年はここにして、宴会も継続してここでやればどうかと言う話になった。来年の話をしても鬼が笑うと言うのに、再来年の話をすれば閻魔さんが笑うかも知れない。私達は、そんなエンタティナーの集団なのだ。きっと、マリーさんやふんずさん、ツッキーさん達が羨ましがっているかも知れない。
ママさんはシャンペンを持って来た。再びの再び乾杯をして、飲んだり食べたり・・。明日は断食しようと決心する位、食べた。飲んだ。ワインのボトル1本位すぐに空く勢いだった。中々音楽にまで辿り着かない。
ナッツの話、宇宙の話、お金の話、幸せの話など繋がりを見付ければ何処までも続く。食べた。飲んだ。喋った。
赤ワインに顔を染められ、もうこのままでいいと思っていた時、S.Sさんが口を開いた。もう時間が・・と心配してくれて、ピアノの前に座った。吃驚だった。後1時間しかなかった。
伴奏の音源CD等は全く要らなかった。願ってもないSさんのピアノの生伴奏があったからである。
「長い事使っていなくて、もう腐っているハンドベルを持って来ているので」
とS.Sさんが笑わせて、ベルを幾つもテーブルに並べた。既に誰が何の音のベルを持つかも事前に考えていたようで、それぞれに言い渡した。1本から3本まで、各自が持った。
「きよしこの夜」の前奏が鳴った。皆、自分の音程のそれぞれの音を曲に合わせて鳴らした。2、3回やると、もう何処に出しても恥ずかしくない「きよしこの夜」に仕上がった。いいじゃないの? ダメよ、ダメダメのレベルではなかった。来年の流行語大賞は、いいじゃないの? いいわ、好き好き、かな。
すぐにママさん、Hさん、そらの陽さん、Sさんが前に出て、誰かが持って来た楽譜のコピーをテーブル一杯に広げ、「サンタが町にやって来た」とか「樅の木」とか「荒野の果てに」とかを2重奏、3重奏で吹いた。聴き惚れていた私も慌てて加わり、一緒に吹いた。シマさんが持って来ていた「涙そうそう」も、三線も入れて演奏した。
私は「ホワイトクリスマス」と「月桃の花」をコピーして来ていて、それもすぐに皆は吹いてしまった。この日の曲のどれかが、鬼が笑う方の年の「YOSOMI好きなヤツ」でも演奏されるだろう。
あれあれ、もうあと15分。9時には完全に明け渡さなければならない。片付けてから、時間が余ったらまた演奏しようと言う事になった。
「後、2分」
これでは演奏所ではない。けれど、ぴったしにこのホールをで出た。すると管理人が階段を上がってくる所だった。
「ありがとうございます」
皆そう言って下に下りて行ったが、管理人は笑顔だった。1分も違わなかったからである。もう1時間は欲しかった。ならば、管理人さんも仲間に入れたら良かったかも知れない。3時間なんて、楽しい宴会では、熱したフライパンに落とした1粒の水滴のようなものなのだった。来たと思ったらもう帰るみたいな。それだけ楽しかったと言う事の証明だ。楽し過ぎたのだった。
シマさん夫婦は、バスで帰ると言った。後の6人は、普通の家のクリスマスの電飾を観に行った。手の込んだ素晴らしいものだった。きっと誰かがブログにアップする事だろう。暫く見惚れて、Sさん夫婦は自宅の方に曲がった。ママさんとHさんは坂を上って行った。私とそらの陽さんは、駅へと下った。
三宮で別れ、私は高速バス。そらの陽さんは、JRに乗った。
行く道、
「マリーサンはすぐに飛んで来るよ」
と私はそらの陽さんに言った。
「『もうこれで、私はお仕舞だから』と言えばね」
と、そんなたわいもない事を話しながら、家に着くと10時30分だった。
これで、素敵なクリスマスの思い出も終わる。
Sさん宅に着いたのが5時40分。ゆっくりゆっくり坂を上がって、それでもまだ5時30分を過ぎただけ。青信号で渡らず、もう1回青になるのを待った。それでも40分までには5分はある。そこら辺をゆっくり歩き回った。やっと40分までに2分と言う時になって、Sさんの家に足を速めた。
ピンポ~ン。暗い。いない筈はない。やがて明かりが点いて、S.Sさんが出て来た。鍋から何まで大変な荷物だ。Sさんも顔を出した。
こちらに向かう見た事のある体形。容積の話をしている訳ではなく、太い細いの問題ではなく、紛れもなく見慣れたシルエットだった。そらの陽さんがやって来た。
4人で神戸高校同窓会館へ歩み出した。すぐ突き当り。それはそれは綺麗な会館で、ホールも演奏会でもしようものなら100人は入れると言う代物だった。
テーブルがしっかりしていて、ストッパーを踏むと一切動かない。椅子と共に新しかった。
軈てシマさん夫婦が来た。6時から集まる事になっていた。テーブルには、もう置く所がない程に、持ち寄りのものが置かれた。オカリナママさんが事前に届けていた3本のワイン。先ずボジョレーをグラスに注いだ。6人で乾杯。いや、正確に言うと5人で乾杯だ。S.Sさんが乾杯の為のピアノを弾いてくれたからだ。贅沢なパーティーの開幕だった。
S.Sさんがピアノを弾き終えて戻って来ると、また乾杯!
パン。キムパ。ピロシキ。シュトーレン。ラスク。チョコレート。サラダ。鍋に入ったポトフが煮えていた。この会館、飲み食い持ち込みOKなのだった。6時30分にHさんが入って来た。再び乾杯。自分で漬けたと言うオリーブを各自の皿に盛ってくれた。ポテトチップスの上にはチーズをその場で搾り出し、初めての味覚を楽しんだ。
「きっとオカリナママさん、またワインを持って来るよ」
と誰かが言った。それは私だった。話と食が忙しく、音楽所ではなかった。
「実は、音楽よりこれが楽しみで」
とSさんが言った。私も同感だと言った。
軈て、オカリナママさんが入って来た。これで8人。今回のフルメンバーとなる。
「7時30分頃になるので、盛り上がっていて下さい」
とメールを貰っていたママさんが、到着したのは丁度7時だった。この会館は、6時から9時までが夜の部で、5時から借りるとしても、1時からの料金が加わるそうだ。それは流石に勿体ない。
後で話した事だが、「YOSOMI好きなヤツ」を再来年はここにして、宴会も継続してここでやればどうかと言う話になった。来年の話をしても鬼が笑うと言うのに、再来年の話をすれば閻魔さんが笑うかも知れない。私達は、そんなエンタティナーの集団なのだ。きっと、マリーさんやふんずさん、ツッキーさん達が羨ましがっているかも知れない。
ママさんはシャンペンを持って来た。再びの再び乾杯をして、飲んだり食べたり・・。明日は断食しようと決心する位、食べた。飲んだ。ワインのボトル1本位すぐに空く勢いだった。中々音楽にまで辿り着かない。
ナッツの話、宇宙の話、お金の話、幸せの話など繋がりを見付ければ何処までも続く。食べた。飲んだ。喋った。
赤ワインに顔を染められ、もうこのままでいいと思っていた時、S.Sさんが口を開いた。もう時間が・・と心配してくれて、ピアノの前に座った。吃驚だった。後1時間しかなかった。
伴奏の音源CD等は全く要らなかった。願ってもないSさんのピアノの生伴奏があったからである。
「長い事使っていなくて、もう腐っているハンドベルを持って来ているので」
とS.Sさんが笑わせて、ベルを幾つもテーブルに並べた。既に誰が何の音のベルを持つかも事前に考えていたようで、それぞれに言い渡した。1本から3本まで、各自が持った。
「きよしこの夜」の前奏が鳴った。皆、自分の音程のそれぞれの音を曲に合わせて鳴らした。2、3回やると、もう何処に出しても恥ずかしくない「きよしこの夜」に仕上がった。いいじゃないの? ダメよ、ダメダメのレベルではなかった。来年の流行語大賞は、いいじゃないの? いいわ、好き好き、かな。
すぐにママさん、Hさん、そらの陽さん、Sさんが前に出て、誰かが持って来た楽譜のコピーをテーブル一杯に広げ、「サンタが町にやって来た」とか「樅の木」とか「荒野の果てに」とかを2重奏、3重奏で吹いた。聴き惚れていた私も慌てて加わり、一緒に吹いた。シマさんが持って来ていた「涙そうそう」も、三線も入れて演奏した。
私は「ホワイトクリスマス」と「月桃の花」をコピーして来ていて、それもすぐに皆は吹いてしまった。この日の曲のどれかが、鬼が笑う方の年の「YOSOMI好きなヤツ」でも演奏されるだろう。
あれあれ、もうあと15分。9時には完全に明け渡さなければならない。片付けてから、時間が余ったらまた演奏しようと言う事になった。
「後、2分」
これでは演奏所ではない。けれど、ぴったしにこのホールをで出た。すると管理人が階段を上がってくる所だった。
「ありがとうございます」
皆そう言って下に下りて行ったが、管理人は笑顔だった。1分も違わなかったからである。もう1時間は欲しかった。ならば、管理人さんも仲間に入れたら良かったかも知れない。3時間なんて、楽しい宴会では、熱したフライパンに落とした1粒の水滴のようなものなのだった。来たと思ったらもう帰るみたいな。それだけ楽しかったと言う事の証明だ。楽し過ぎたのだった。
シマさん夫婦は、バスで帰ると言った。後の6人は、普通の家のクリスマスの電飾を観に行った。手の込んだ素晴らしいものだった。きっと誰かがブログにアップする事だろう。暫く見惚れて、Sさん夫婦は自宅の方に曲がった。ママさんとHさんは坂を上って行った。私とそらの陽さんは、駅へと下った。
三宮で別れ、私は高速バス。そらの陽さんは、JRに乗った。
行く道、
「マリーサンはすぐに飛んで来るよ」
と私はそらの陽さんに言った。
「『もうこれで、私はお仕舞だから』と言えばね」
と、そんなたわいもない事を話しながら、家に着くと10時30分だった。
これで、素敵なクリスマスの思い出も終わる。