態々書かなくてもいいブログを書いている。なので、こんなもの読んで貰っても仕様がなく、時間の浪費だと思う。ならば何故書くのか。短いブログになりそうだからである。それが目的だか何だか。
家を出て高速バスに乗ったのが10時過ぎだった。三宮から兵庫に戻り、ワクワクしながら足を速めた。シャッターが開いたこの店はどんな感じなのだろう。思いを馳せた。む? シャッターが閉まっている。昨日のままだ。一瞬、この店成り立っていないのではないかと疑った。
人間の思い込みや思い違いは如何にさもしいものか。情けなくなってしまった。目的を達成出来ずに、しかも行き帰りの交通費は凡そ1,000円だ。どぶに捨ててしまった貴重なお金。おー、厭だ厭だ。
「19日は仕入れのため休みます」と張り紙がしてあり、「12月31日から1月3日まで休業」とも付記してあった。19日は今日なのだ。昨日もその張り紙を見ていたのに、昨日が仕入れで休みなのだと、勝手にインプットしてしまっていたのだ。
もし今日が休みなら、昨日18日は開いていた筈ではないか。それが閉まっていたのだから、今日19日は開いているものだと信じてしまう。信じる迄しなくても、思ってしまったのだ。
何だかんだ言っても昨日の時点で、もう少し早とちりしないで確認していたら済んでいた話である。怒っても仕方がないが、この悔しさを何かにぶつけたい。「何だかんだ言っても」と1行前に書いた。それを韓国語では「モニモニヘド」と言う。私は、「モニモニヘド」と気の済むまで今、何回も繰り返した。
実はこの韓国の店、昨日行った保育所に通っている子供のいる店なのだ。昨日は熱が出て休んでいたけれど、そんな関係があるのだったら、ちょっと覗いてみたいと思ったのだ。こんな想像をしながら・・。
「このカクトゥギキムチとケッパリ下さい」と注文して「私が昨日のサンタなんですよ」と言ってみたかった。
普通のペチュキムチ(白菜キムチ)は何処にでも、コンビニやスーパーには味にさえ拘らなければ売られている。が、カクトゥギキムチは何処でもと言う訳ではない。ケッパリ(エゴマの葉の醤油漬け)となると、専門の店でなければ売られていない。
私はケッパリが食べたくて仕様がなくなった。熱いホクホクの白米にケッパリを1枚乗せて、くるんで頬張るのである。紫蘇にはない味がする。
「とぼとぼと踵を返して歩いた。当て所なく歩いた」と書くと、傷心の思いが付き纏い、悲壮感が漂う。明日からは開いているではないか。店が閉まっていた位で、1,000円損した位で泣くな。男だろ。
と言う事で、三宮では寿司定食が食べたかったがそれは食べず、家であるもので済ませる覚悟を決めていた。その時は交通費の事だけを思っていた。だが、こうして店が開いていないとなると悔しくもなる。そこで、散財。衝動食いと言う奴がまた、頭をもたげたのである。
兵庫駅の真ん前に、ガンコのトンカツ屋がある。今までに2度そこで食べた事があるので、その美味さは私の折り紙付きだ。ロースカツ定食、ヒレカツ定食、どれも美味い。が、1,000円を超えるものを食べるのには、私にもまだ良心がある。それで、カツ重にした。850円。これなら何とか面目も立つ。つまり、四角いカツ丼なのである。しかし、これも美味い。味噌汁も付いている。お茶も親切に笑顔で注ぎ足してくれる。ピクルスも薦めてくれた。会計は、何故か950円だった。
電車に乗ると、垂水駅まで戻った。すぐバスに乗れば家に帰れるが、頭にはまだケッパリ(私は、けつのツッパリと覚えて言えるようになった)の事が消えていなかった。垂水駅前北側の商店街を歩いてみた。魚も安い。野菜も安い。アンコウの切り身が肝付きで600円。おっと、買いそうになった。買っちゃ駄目と、もう一人の私が言う。はい、と素直に答える。
ちらっと先を見ると、コロッケの店がある。これだ、と思った。晩は孫と一緒にこれを食べよう。孫も自分も喜ぶぞ。そう思ったが早いかその店先に立った。注文してから揚げてくれるようだ。そりゃあギュウカツやトンカツも食べたいが、これ以上財布のジッパーを開けたままには出来ない。
70円のコロッケを5枚と量り売りの唐揚げを、何故か6個お願いしてしまった。「5、6個」と曖昧に頼んだので、「5個ですか6個ですか」と聞かれ、咄嗟に「6個」と言ってしまったのだ。何で多い方を言ってしまったか、よく分からない。コロッケが5個なら、唐揚げも5個で良かったのではないかと、帰りのバスの中でも考えていた。
ちょっと小説風に気取って書いている所もあるので、私がしつこく5個や6個の事に拘泥するような性格だと思わないで頂きたい。
さて、コロッケの店のお姉さん(本当はおばさんに近い)に、揚げるまで少し時間がかかると言われた。ケッパリがまだ頭にあった私は、
「韓国の店、この辺にありますか」
と聞くと、
「そこにありますよ」
と指を差した。少し歩くと、一度来て韓国海苔を買った事のある店ではないか。「韓国本場の味」と幟のある、ショーケースが見えるだけの店だった。あった。ケッパリがプラスチックの丸い透明の箱に入っていた。たった一つ。だがそれは500円した。高いとは思うが、ショーケースの横の隙間から中の人を呼んで、
「このケッパリを下さい」
と言った。それで分かるのだから面白い。「エゴマの葉っぱの・・」なんて言わなくても良かった。
「これしかないですか」
と聞くと、
「それしかありません」
と言った。何よりも食べたいのだし今日の目的だったのだから、迷わず買ってしまった。
「何枚位入っているんですか」
「20枚位ですね」
「そうですか」
としか言えない。欲張って5枚ずつ食べても4日以上食べられる。何処から取り寄せているかと聞いたら、大阪だと言った。大阪の何処かと聞くと、茨木だと言った。
路地のような所にも色々なものを売っている。下町の風情があり、またここに来たいと思った。
もう家に帰ってもエゴマでご飯1杯とはしなかった。やがて夕方になる。孫と一緒に食べるコロッケと唐揚げがある。1個ずつ、仲良く食べようと思った。ケッパリは焼酎のあてでもいいではなかろうか。葉っぱと焼酎。想像は楽しく豊かに膨らむ。
やっと座れたバスの中で、揚げたてのコロッケと唐揚げの匂いが周りにも微かに漂った。これ以上、匂いが漂い過ぎないように切に祈りながら、バスは何食わぬ顔をして、まだ早い夕餉になるだろう匂いまで運んで行った。
家を出て高速バスに乗ったのが10時過ぎだった。三宮から兵庫に戻り、ワクワクしながら足を速めた。シャッターが開いたこの店はどんな感じなのだろう。思いを馳せた。む? シャッターが閉まっている。昨日のままだ。一瞬、この店成り立っていないのではないかと疑った。
人間の思い込みや思い違いは如何にさもしいものか。情けなくなってしまった。目的を達成出来ずに、しかも行き帰りの交通費は凡そ1,000円だ。どぶに捨ててしまった貴重なお金。おー、厭だ厭だ。
「19日は仕入れのため休みます」と張り紙がしてあり、「12月31日から1月3日まで休業」とも付記してあった。19日は今日なのだ。昨日もその張り紙を見ていたのに、昨日が仕入れで休みなのだと、勝手にインプットしてしまっていたのだ。
もし今日が休みなら、昨日18日は開いていた筈ではないか。それが閉まっていたのだから、今日19日は開いているものだと信じてしまう。信じる迄しなくても、思ってしまったのだ。
何だかんだ言っても昨日の時点で、もう少し早とちりしないで確認していたら済んでいた話である。怒っても仕方がないが、この悔しさを何かにぶつけたい。「何だかんだ言っても」と1行前に書いた。それを韓国語では「モニモニヘド」と言う。私は、「モニモニヘド」と気の済むまで今、何回も繰り返した。
実はこの韓国の店、昨日行った保育所に通っている子供のいる店なのだ。昨日は熱が出て休んでいたけれど、そんな関係があるのだったら、ちょっと覗いてみたいと思ったのだ。こんな想像をしながら・・。
「このカクトゥギキムチとケッパリ下さい」と注文して「私が昨日のサンタなんですよ」と言ってみたかった。
普通のペチュキムチ(白菜キムチ)は何処にでも、コンビニやスーパーには味にさえ拘らなければ売られている。が、カクトゥギキムチは何処でもと言う訳ではない。ケッパリ(エゴマの葉の醤油漬け)となると、専門の店でなければ売られていない。
私はケッパリが食べたくて仕様がなくなった。熱いホクホクの白米にケッパリを1枚乗せて、くるんで頬張るのである。紫蘇にはない味がする。
「とぼとぼと踵を返して歩いた。当て所なく歩いた」と書くと、傷心の思いが付き纏い、悲壮感が漂う。明日からは開いているではないか。店が閉まっていた位で、1,000円損した位で泣くな。男だろ。
と言う事で、三宮では寿司定食が食べたかったがそれは食べず、家であるもので済ませる覚悟を決めていた。その時は交通費の事だけを思っていた。だが、こうして店が開いていないとなると悔しくもなる。そこで、散財。衝動食いと言う奴がまた、頭をもたげたのである。
兵庫駅の真ん前に、ガンコのトンカツ屋がある。今までに2度そこで食べた事があるので、その美味さは私の折り紙付きだ。ロースカツ定食、ヒレカツ定食、どれも美味い。が、1,000円を超えるものを食べるのには、私にもまだ良心がある。それで、カツ重にした。850円。これなら何とか面目も立つ。つまり、四角いカツ丼なのである。しかし、これも美味い。味噌汁も付いている。お茶も親切に笑顔で注ぎ足してくれる。ピクルスも薦めてくれた。会計は、何故か950円だった。
電車に乗ると、垂水駅まで戻った。すぐバスに乗れば家に帰れるが、頭にはまだケッパリ(私は、けつのツッパリと覚えて言えるようになった)の事が消えていなかった。垂水駅前北側の商店街を歩いてみた。魚も安い。野菜も安い。アンコウの切り身が肝付きで600円。おっと、買いそうになった。買っちゃ駄目と、もう一人の私が言う。はい、と素直に答える。
ちらっと先を見ると、コロッケの店がある。これだ、と思った。晩は孫と一緒にこれを食べよう。孫も自分も喜ぶぞ。そう思ったが早いかその店先に立った。注文してから揚げてくれるようだ。そりゃあギュウカツやトンカツも食べたいが、これ以上財布のジッパーを開けたままには出来ない。
70円のコロッケを5枚と量り売りの唐揚げを、何故か6個お願いしてしまった。「5、6個」と曖昧に頼んだので、「5個ですか6個ですか」と聞かれ、咄嗟に「6個」と言ってしまったのだ。何で多い方を言ってしまったか、よく分からない。コロッケが5個なら、唐揚げも5個で良かったのではないかと、帰りのバスの中でも考えていた。
ちょっと小説風に気取って書いている所もあるので、私がしつこく5個や6個の事に拘泥するような性格だと思わないで頂きたい。
さて、コロッケの店のお姉さん(本当はおばさんに近い)に、揚げるまで少し時間がかかると言われた。ケッパリがまだ頭にあった私は、
「韓国の店、この辺にありますか」
と聞くと、
「そこにありますよ」
と指を差した。少し歩くと、一度来て韓国海苔を買った事のある店ではないか。「韓国本場の味」と幟のある、ショーケースが見えるだけの店だった。あった。ケッパリがプラスチックの丸い透明の箱に入っていた。たった一つ。だがそれは500円した。高いとは思うが、ショーケースの横の隙間から中の人を呼んで、
「このケッパリを下さい」
と言った。それで分かるのだから面白い。「エゴマの葉っぱの・・」なんて言わなくても良かった。
「これしかないですか」
と聞くと、
「それしかありません」
と言った。何よりも食べたいのだし今日の目的だったのだから、迷わず買ってしまった。
「何枚位入っているんですか」
「20枚位ですね」
「そうですか」
としか言えない。欲張って5枚ずつ食べても4日以上食べられる。何処から取り寄せているかと聞いたら、大阪だと言った。大阪の何処かと聞くと、茨木だと言った。
路地のような所にも色々なものを売っている。下町の風情があり、またここに来たいと思った。
もう家に帰ってもエゴマでご飯1杯とはしなかった。やがて夕方になる。孫と一緒に食べるコロッケと唐揚げがある。1個ずつ、仲良く食べようと思った。ケッパリは焼酎のあてでもいいではなかろうか。葉っぱと焼酎。想像は楽しく豊かに膨らむ。
やっと座れたバスの中で、揚げたてのコロッケと唐揚げの匂いが周りにも微かに漂った。これ以上、匂いが漂い過ぎないように切に祈りながら、バスは何食わぬ顔をして、まだ早い夕餉になるだろう匂いまで運んで行った。