それは今の事でございます。
或る所にお爺さんとお婆さんが住んでおります。
お爺さんは新長田の奄美会館に、お婆さんは赤穂に討ち入りに行って参りました。
そうなのです。今日は、暮れも押し詰まった師走の14日でございました。お婆さんの事は分かりません。
11時40分に、新長田駅の改札近辺で待ち合わせをしていた。シマさん、奥さん、伊吹さん、そらの陽さん、Hさん、そして私の6人だ。
会館に午前中の使用予定が入って、始まるのがずれるとの事だった。シマさんは、時間潰しを提案した。先ずシューズプラザに行こうと言うのだ。
靴の店が幾つか入っていて、靴を展示して販売している。外は風がある為に、鼻が痛くなる程の寒さだ。それを凌ぐにも適所である。入口には赤いハイヒールのオブジェが1足置かれている。それが何と4メートルにはなろうと言うものだった。
後から鉄人28号を観に行く事になっているが、18メートルのそれも大きいには大きいが、このハイヒールを履いた女は、靴から単純に計算しても60メートル以上はあると想像出来る。想像しただけで、今まで大きいと思っていた鉄人が、何と小さく思える事か。
怪我の功名ではないが、恰好いいブーツがあって、欲しいなと思った。それが値札を見ると1800円ちょっとと言う驚きの値段だ。他の靴も高価ではなく、しかも軽い。どうして客が少ないのか不思議な位だった。きっともう一度買いに来るだろうと思う。
鉄人の股の下をくぐっていたら、若い女が近付いた。てっきり写真を撮ってくれと言うのだろうと思った。所が、
「写真を撮るので、どいてくれませんか」
と言ったのには、耳を疑った。慌ててそこを少し離れたが、何だか気持ちは複雑だった。言葉も心も乱れている時代とは言え、言い方があるだろう。
「済みません。勝手ですが、今から写真を撮ろうと思っていますので・・」
等の、日本特有の暈しの技があるではないか。カップルが鉄人の股の下で得意気にしているのを見ると、もう何とも思わなくなった。
奄美と関わりのある人達が集まる忘年会に、私達も参加させて貰った。人数を数えなかったので概算だが、3階のその部屋には4~50人が入っていて、ぱんぱんに膨れ上がっていた。おこわの弁当、それに豪華な刺し身と豚肉を煮込んだものもが並んだ。更にでっかい豚足が、どーんと置かれた。
あっ、糖質0の淡麗も。
シマさんの挨拶が終わると、今回担当になっている沖縄の三線の師匠のSさんが、暫く30分程、食べたり飲んだりしてくれと言った。因みに、シマさんは奄美の三線の師匠だ。沖縄と奄美では、三線の弦の太さも撥も島唄の内容や心情も違う。が、沖縄の三線の師匠は、シマさんとは昔からの知り合いで、徳之島出身である。
4時間の間に、三線と唄があったりカラオケで歌ったりした。私達4人はオカリナとリコーダーを聴いて貰った。
4人ではそらの陽さんに言われて「故郷」を吹いたし、伊吹さんは専門であるリコーダーを吹いた。木のリコーダーは優しい音がする。彼は最近「オトタマ」を買ったと言っていたが、そらの陽さんは、それも聴きたいと言った。が、リュックに納まらない程大きいもので、持って来れなかったとの弁。もう一度年内に演奏仕舞いをするので、その時に聴く事になった。それで、「菩提樹」を歌って欲しいと言った。それは、ピアノがないとダメらしかった。これは動作付きの替え歌になるが、ずっこける程面白い。ここでもさぞ受けた事であろうと思うと少し残念な気がする。
そらの陽さんは「津軽平野」を吹いた。やっぱりビブラートは本物だ。そらの陽節が炸裂した。紺色だったかのスカートがドレス風で広がり、服はカラフルで楽しく綺麗だった。私はその色に惹かれたり、オカリナを聴いたりした。
私は演奏の前には焼酎も飲んでいて、鏡を見なくても顔が真っ赤になっているのが分かる。
「飲む前だったら良かったのに」
と言うと、会場が笑った。ナポレオンの帽子のような形の、黒に金の縁取りのあるオカリナで「さとうきび畑」を吹いた。やっぱり皆さんの良く知っている歌なんだと思った。口遊んでくれる人が何人もいた。シマさんは私の事を過大評価した紹介をするものだから、照れてしまう。どんな音になっていたか怪しいものだったのに。
数十分間を置いて、もう1曲吹かせて貰った。こんな時、どんな曲を吹けばいいのだろうといつも考える。「涙そうそう」は「さとうきび畑」を吹いているので止めた。「悲しい酒」は暗くなる。「天城越え」はマリーさんがよく吹いている。そこで、これも何となく暗いけれど、また会いたいと言う意味で、松尾和子の歌う「再会」にした。タイトルはいいが、内容がちと違う。♪会えなくなって初めて知った・・、とはね。でもムード歌謡だから気持ちが入り易い。メロディーは特に気に入っている。
シマさんはワイド節を弾き、普段は相方であるMさんは傍に来て、皆が踊るように促した。
もう4時間はあっとで、シマさんに「六調」の演奏が閉めとして回って来た。今度はMさんが私が立つまで手を引っ張って、踊りの輪の中に入れた。もう恥ずかしいなんかじゃないが、上手く踊りたいなと思いながら2周した。
楽しかった事は想像にお任せしたい。シマさんは、明日で終わるルミナリエに行こうと言ってくれたが、今日は止めて来年考える事にした。行けば綺麗だと思うのだが、もう何度か観ているので。彼は三宮の方から少し観て帰ると言った。
昔むかしある所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました。おばあさんが川で洗濯をしていると、川上の方から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。おばあさんはその桃を取り上げると、家に持ってかえりました。
おじいさんと桃を切ってみると、中から男の子が出てきました。「おお、かわいい子だ。桃から生まれたから、桃太と名づけよう」と言いました。
歴代横綱の出身地はそれぞれだが、私が子供の頃は千代の山、吉葉山、鏡里、栃錦、若乃花、朝潮などがいた。体も際立って大きく、尊敬さえもしていた頃だ。太い眉、濃い胸毛の朝潮は、特に印象深かった。シマさんが幼少の頃を過ごした徳之島の出身で、銅像も立っている。彼から聞いて、余計に忘れられない横綱となった。徳之島と言えばすぐにこの朝潮と結び付く。島の人達は、それを今も尚誇りに思っているだろう。徳之島からはそんな力士がいたのだ。その後横綱は大鵬、柏戸と続く。
この島の出身ではないが、マラソンの偉大な業績を残した高橋尚子の練習の道、尚子ロードがある。彼女はこの徳之島をトレーニングの場に選んだ。さとうきび畑の風景が広がり、南国特有の息吹が漂っているこの地を選んだのだった。
所で、その眉も胸毛も印象も濃い英雄朝潮太郎は、ひょっとして桃太郎の化身ではなかったかと、勝手に想像してみたのである。
或る所にお爺さんとお婆さんが住んでおります。
お爺さんは新長田の奄美会館に、お婆さんは赤穂に討ち入りに行って参りました。
そうなのです。今日は、暮れも押し詰まった師走の14日でございました。お婆さんの事は分かりません。
11時40分に、新長田駅の改札近辺で待ち合わせをしていた。シマさん、奥さん、伊吹さん、そらの陽さん、Hさん、そして私の6人だ。
会館に午前中の使用予定が入って、始まるのがずれるとの事だった。シマさんは、時間潰しを提案した。先ずシューズプラザに行こうと言うのだ。
靴の店が幾つか入っていて、靴を展示して販売している。外は風がある為に、鼻が痛くなる程の寒さだ。それを凌ぐにも適所である。入口には赤いハイヒールのオブジェが1足置かれている。それが何と4メートルにはなろうと言うものだった。
後から鉄人28号を観に行く事になっているが、18メートルのそれも大きいには大きいが、このハイヒールを履いた女は、靴から単純に計算しても60メートル以上はあると想像出来る。想像しただけで、今まで大きいと思っていた鉄人が、何と小さく思える事か。
怪我の功名ではないが、恰好いいブーツがあって、欲しいなと思った。それが値札を見ると1800円ちょっとと言う驚きの値段だ。他の靴も高価ではなく、しかも軽い。どうして客が少ないのか不思議な位だった。きっともう一度買いに来るだろうと思う。
鉄人の股の下をくぐっていたら、若い女が近付いた。てっきり写真を撮ってくれと言うのだろうと思った。所が、
「写真を撮るので、どいてくれませんか」
と言ったのには、耳を疑った。慌ててそこを少し離れたが、何だか気持ちは複雑だった。言葉も心も乱れている時代とは言え、言い方があるだろう。
「済みません。勝手ですが、今から写真を撮ろうと思っていますので・・」
等の、日本特有の暈しの技があるではないか。カップルが鉄人の股の下で得意気にしているのを見ると、もう何とも思わなくなった。
奄美と関わりのある人達が集まる忘年会に、私達も参加させて貰った。人数を数えなかったので概算だが、3階のその部屋には4~50人が入っていて、ぱんぱんに膨れ上がっていた。おこわの弁当、それに豪華な刺し身と豚肉を煮込んだものもが並んだ。更にでっかい豚足が、どーんと置かれた。
あっ、糖質0の淡麗も。
シマさんの挨拶が終わると、今回担当になっている沖縄の三線の師匠のSさんが、暫く30分程、食べたり飲んだりしてくれと言った。因みに、シマさんは奄美の三線の師匠だ。沖縄と奄美では、三線の弦の太さも撥も島唄の内容や心情も違う。が、沖縄の三線の師匠は、シマさんとは昔からの知り合いで、徳之島出身である。
4時間の間に、三線と唄があったりカラオケで歌ったりした。私達4人はオカリナとリコーダーを聴いて貰った。
4人ではそらの陽さんに言われて「故郷」を吹いたし、伊吹さんは専門であるリコーダーを吹いた。木のリコーダーは優しい音がする。彼は最近「オトタマ」を買ったと言っていたが、そらの陽さんは、それも聴きたいと言った。が、リュックに納まらない程大きいもので、持って来れなかったとの弁。もう一度年内に演奏仕舞いをするので、その時に聴く事になった。それで、「菩提樹」を歌って欲しいと言った。それは、ピアノがないとダメらしかった。これは動作付きの替え歌になるが、ずっこける程面白い。ここでもさぞ受けた事であろうと思うと少し残念な気がする。
そらの陽さんは「津軽平野」を吹いた。やっぱりビブラートは本物だ。そらの陽節が炸裂した。紺色だったかのスカートがドレス風で広がり、服はカラフルで楽しく綺麗だった。私はその色に惹かれたり、オカリナを聴いたりした。
私は演奏の前には焼酎も飲んでいて、鏡を見なくても顔が真っ赤になっているのが分かる。
「飲む前だったら良かったのに」
と言うと、会場が笑った。ナポレオンの帽子のような形の、黒に金の縁取りのあるオカリナで「さとうきび畑」を吹いた。やっぱり皆さんの良く知っている歌なんだと思った。口遊んでくれる人が何人もいた。シマさんは私の事を過大評価した紹介をするものだから、照れてしまう。どんな音になっていたか怪しいものだったのに。
数十分間を置いて、もう1曲吹かせて貰った。こんな時、どんな曲を吹けばいいのだろうといつも考える。「涙そうそう」は「さとうきび畑」を吹いているので止めた。「悲しい酒」は暗くなる。「天城越え」はマリーさんがよく吹いている。そこで、これも何となく暗いけれど、また会いたいと言う意味で、松尾和子の歌う「再会」にした。タイトルはいいが、内容がちと違う。♪会えなくなって初めて知った・・、とはね。でもムード歌謡だから気持ちが入り易い。メロディーは特に気に入っている。
シマさんはワイド節を弾き、普段は相方であるMさんは傍に来て、皆が踊るように促した。
もう4時間はあっとで、シマさんに「六調」の演奏が閉めとして回って来た。今度はMさんが私が立つまで手を引っ張って、踊りの輪の中に入れた。もう恥ずかしいなんかじゃないが、上手く踊りたいなと思いながら2周した。
楽しかった事は想像にお任せしたい。シマさんは、明日で終わるルミナリエに行こうと言ってくれたが、今日は止めて来年考える事にした。行けば綺麗だと思うのだが、もう何度か観ているので。彼は三宮の方から少し観て帰ると言った。
昔むかしある所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました。おばあさんが川で洗濯をしていると、川上の方から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。おばあさんはその桃を取り上げると、家に持ってかえりました。
おじいさんと桃を切ってみると、中から男の子が出てきました。「おお、かわいい子だ。桃から生まれたから、桃太と名づけよう」と言いました。
歴代横綱の出身地はそれぞれだが、私が子供の頃は千代の山、吉葉山、鏡里、栃錦、若乃花、朝潮などがいた。体も際立って大きく、尊敬さえもしていた頃だ。太い眉、濃い胸毛の朝潮は、特に印象深かった。シマさんが幼少の頃を過ごした徳之島の出身で、銅像も立っている。彼から聞いて、余計に忘れられない横綱となった。徳之島と言えばすぐにこの朝潮と結び付く。島の人達は、それを今も尚誇りに思っているだろう。徳之島からはそんな力士がいたのだ。その後横綱は大鵬、柏戸と続く。
この島の出身ではないが、マラソンの偉大な業績を残した高橋尚子の練習の道、尚子ロードがある。彼女はこの徳之島をトレーニングの場に選んだ。さとうきび畑の風景が広がり、南国特有の息吹が漂っているこの地を選んだのだった。
所で、その眉も胸毛も印象も濃い英雄朝潮太郎は、ひょっとして桃太郎の化身ではなかったかと、勝手に想像してみたのである。