レトルトカレー食べて、オカリナ練習して、下に下りたらもう昼近かった。

豆腐一丁に鰹節をまぶして醤油をかけ、それが昼食となった。

テレビを点けて、チャンネルを順番に押して行った。地上Dを一通り見回すと、次はBSを回した。1時ちょっと回っていたから、1時丁度から観る事は出来なかったが、まったく偶然にBSプレミアムで手が止まった。

思っても見なかった映画と出会い、一遍に引き付けられて、最後まで目が離れなくなってしまった。

2010年にロードショーになった映画だ。この「最後の忠臣蔵」が余りにも卓越していた。

大石内蔵助から生きる事を命じられた2人の話と言ってもいいかも知れないが、役者が揃っているのが引き付ける原因にもなっている所だろう。

16年振りに会い、切腹していなかった瀬尾孫左衛門(役所広治)に臆病者と罵り、事情を知られたくない彼は寺坂吉右衛門(佐藤浩一)を本気で切ろうとする。刃は重ねられたが、その場は逃れた。この2人の演技力は半端ではなかった。

孫左衛門は、内蔵助の子可音(桜庭ななみ)を赤ん坊の時から育てる責任を託されていた。16歳になって可音が嫁入りするまでが描かれているが、そこまで彼には筋金入りの武士道が流れていた。可音には孫左衛門に対して恋心は芽生えているが、それを孫左衛門は許さない。そこには、武士道から来る越えられない精神があった。

駕籠に乗って輿入れをする時に、この時を待っていたかのように浅野の家臣たちが何処からともなく現れ、同行したいと申し出る。吉右衛門は孫左衛門の生きて来た意味を知る。吉左衛門こそは、四十六士が切腹してから後の様子を見届けて行くよう託されていた男だった。

祝言の席に、孫左衛門の姿がない。安田成美演じるかつて遊女だったゆうは、16年間孫左衛門が好きだったと言った。自分と一緒になって自由に生きて欲しいと言った。だが、彼は「私は武士だ」との言葉を残し、その場を去る。

隠れ家のような茅葺の家の3畳とも4畳とも見える大石内蔵助の位牌のある部屋で、

「私は役目を果たしました。これから遅くはなりましたが、おそばに参ります」

と言って切腹する。馬を走らせ駆けつけた吉右衛門は腹を切ったばかりの孫左衛門を見て、

「介錯仕る」

と言って刀を抜こうとするが、

「介錯無用」

と言い、自らの首を切り、息絶える。

「あなたこそ、本当の家臣だ」

と言うような事が、口を吐いて出て来ていた。

そこで映画は終わったが、ここまで感動させられた映画は最近はない。思わず込み上げて来るもののある場面がいくつもあった。これは正に芸術で、それは心を浄化させ、昇華させる力を持つのだと思った。

オスカー・ワイルドが、「芸術とは全く無用なものである」と「ドリアングレイの画像」で言っているが、それこそ逆説であると思っている。芸術には、人を高みに押し上げる力がある。

この映画が観られて、本当に良かった。そして、そのチャンネルに導かれる不思議を又しても感じる事となった。

配役がその芸術を高めもし、逆の方向に持っていったりもする。役者の演技力や実力が如何に大切かも良く分かる「最後の忠臣蔵」だった。役所広司と佐藤浩一の演技力は凄い。兎に角凄いと思った。

孫達を保育園から連れ帰り、コロッケと鮭で熱々のご飯を食べた。孫は「ご飯美味しいね」と言ったけれど、それは本当に美味しかった。私はサバ缶を態々開けて、ご飯のお代わりをしてしまった。冷蔵庫の発泡酒をちらっと見たが、何故か飲む気がしなかった。

百均で買っていた風船に水を入れて膨らませ、ゴム輪で縛って、暫くそれで孫達と戯れた。そうそう、今年もサンタクロースをして欲しいと、兵庫の保育所からメールが入っていた。「ワチニンコ」と言うかどうか、今思案中である。