私はナースならぬヴィーナースに慰められた。今日は、一生忘れられない日になった。
それは、チェロ弾きのヴィーナスだった。
午前中に家を出て、JR海浜公園駅を降りると真っ直ぐ南に下った。あの女将がやっているお寿司を食べてから行きたかったが、昼は会席となっている。
シーパル須磨に着いたのは、12時20分頃だった。会長のOさんが目敏く私を見付け、ロビーに誘ってくれた。久し振りの握手を交わした。コーヒーを頂いたり、ここを統括している I さんを紹介してくれた。これからここを使う訳でもないのに、私に名刺をくれた。阪神かどこかに I 選手がいたが、その息子だった。やっぱり格好いいイケメンである。
Oさんはめまぐるしい立ち居振る舞いをした。私はチェロ奏者を待っていた。1時から総会が始まる。私には関係ないので、そこに座っていた。
実は前の前の会長のHさんは8期16年務めた、この会の創始者でもある。今は三重に住んでいて、今の会長Oさんに私に会いたいと電話があったらしい。そしてオカリナを吹いて貰いたいと。Oさんはその旨伝えて来て、私は伴奏が出来るかと聞いた。私はCD音源で出来るのかを問うた積もりが、彼はチェロを弾くプロを知っていると言う。とうとうその人とセッションする事になったのだ。
私は、「浜辺の歌」と「故郷」の伴奏をして貰えたら嬉しい、と伝えた。勿論ぶっつけ本番である。「浜辺の歌」はレから始まるように、また「故郷」はファから始まるようにとだけ伝えて貰った。
初め私は「天城越え」を情熱的に吹いて、後この2曲を吹く積もりだった。最近メールをやり取りし出した、私が小学校1年から3年まで担任して頂いた恩師の娘さん(私より年配)にその事をメールすると電話が返って来て、
「それだけは止めて」
と哀願された。OB会に来る人達は70代以上が殆どだ。余りにも温度差が激しいと言うものだった。それもそうだと即座に納得し、優しい曲にすると宣言した。
それにしてもチェロのプロは、私の伴奏のセッションだけだろうか。それが気に掛かっていた。1時前にチェロの彼女が現れた。赤いドレスのステージ衣装で。
なななんと・・、美人ではないか。美人だからどうだとかは問題ではないが、私には彼女がヴィーナスに映った。娘が我が家から去って1週間。不安定な心がまだ柔らかに続いていたからだ。
伴奏をしてくれるチェリストがプロだなんて初めての事だった。それを聞いた時から、何か発展があるだろうと思っていたし、出会ったらチャンスを掴んで発展させようと思っていたのだ。美人かどうかなど、その時は知らなかった。
Oさんの計画表を見せて貰って納得が行った。総会が終わったら、1時40分から宴会だが、その前に彼女の演奏が2曲ほどある予定になっていた。
私達2人は、総会の済んだ1階の「赤灯台」と言う部屋に入った。人数は減る一方で、今日の集まりの人数は22人だった。私は懐かしい顔もあり、少ない人数だなど全く感じていなかった。話した事もある市会議員もいた。OBだからだ。役所にいた人もいた。女性も4人ばかりいたと思う。減りこそすれ増える事のない会で、これだけ集まるのはこの会に魅力があるからだと思った。
Oさんは音合わせは海に面した外に出てやったら問題はないと言ったが、チェリストはそれを拒否した。千住真理子さんがヴァイオリンに拘りを持つように、このチェリストも気温や湿度や潮風などの環境を心配していたのだ。私はすぐにその事が察知出来たので、
「合わせなくても構成だけ考えてぶっつけで行きましう」
と言うような事を言った。
「音楽はよく分からないので、演奏の時に助けて下さい」
とも言った。私はチェロの独奏部分も設けて演奏しながら聴きたいと思っていたので、2コーラス目は、どちらの曲もチェロの独奏にして貰った。
前の前の会長の姿がまだない。Oさんは、1曲演奏するようにチェロの彼女を促した。バッハの性格や人物像を話すと、バッハの無伴奏のチェロの曲を弾き出した。私は丁度彼女の目の前で、後ろ向きになっている状態だった。あの生の掠れた音や豊かな響きがすぐ後ろで鳴っている。余りの美しさに、涙が出そうになった。
Hさんはまだ来ない。三重からまだ来ないのだ。私は先ず、もう高齢になっている彼に会わなければならない筈だった。東大出の硬派で、ビールのジョッキを傾けながら、ドイツの歌を歌うのが常だった。向かい合わせに皆並んでいるが、真ん中の席に私とHさんが座るようになっている。右隣が寂しく空いている。
始めの言葉や乾杯が終わった。Oさんは言った。
「ここの支配人に、年寄りは沢山食べられないから、その分いいものを出すように申し付けています」
と。
料理が運ばれて来るに付け、本当にそうだと思った。昔なら、私が1番早く食べ終わっていたものだ。今は一番遅いと言っても過言ではない。本当に、お腹は減っているが入らない。考えたって考えなくたって、私だって立派に老人になっていた。
いつものようにビールを注いで回る者。歓談する者。人がマイクを持って話しているのに聞かないで喋っている者。煩い訳ではないが、世の常だと思った。これだけはいつも変わらない。
終りの方でチェロとオカリナのセッションは組まれている。常任の司会者と言っていいTさんは、卒なく上手く進めて行く。帰る時私は言いに行った程だ。
「何処かに所属しているんですか」
「いや、まったく」
司会を長くやっていると、自然に上手くなるのだろうか。言いに行かずには居れなかった。
司会者は2人にセッションをするよに言った。私は、
「さっきチェロの音を聴いたら、私が演奏する事などどこかに飛んで行きました。チェロを先ず聴かせて下さい」
とお願いした。これで終わると、チェロ奏者として呼ばれているのに、彼女だって心残りになるだろうし、私だって始まる前に「白鳥」を聴かせて欲しいと頼んでいたのだったから。
彼女は、すぐに「白鳥」を弾き始めた。なんといい響きだろう。音量も凄い。掠れも胸に飛び込んで来る。たまに後ろを振り返って、このヴィーナースを見た。心が落ち着いて行くのが分かった。この人となら、いつかコラボでやってみたい。その思いに、疑う余地は全くなかった。
誰かが連絡すると、Hさんは三重の自宅にいた。もう会えるのは今年位だと言っておられたそうだから、何か用事があったか忘れておられたかのどちらかだろう。それにしても、私は会えると信じて疑わなかったのだ。
すぐ「浜辺の歌」が始まると思っていただろう。私は、話もちょっとだけして、宗次郎の「水心」を1人で吹いた。これは正解だった。食事をしているテーブルに楽譜を置いた。そんなに難しい曲ではないが、私の年齢がそうさせた。すぐに彼女は、自分の譜面台を使うように言ってくれた。
やっぱり「天城越え」でなくて良かった。この部屋の作りはとても響くように出来ている。エコーが戻る。次の音が出る。そして、エコー。そうしてこの曲は終わった。拍手が起こった。宗次郎様々の曲なのだ。これは、どこかでも吹く事に決めている。
次に、「浜辺の歌」の短い前奏。2人のコラボ。チェロの独奏。最後の部分のコラボ。終わると大きな拍手が返って来た。最初チェロとオカリナの調が違いやり直したが、今度の「故郷」は最初の音を出してチェロと調整した。これは考えた事だが、1コーラスは2人。2コーラスはチェロだけ。3コーラスは2人のコラボでこの歌の1番を皆に歌って貰う事にした。皆も歌いたいだろうし、私も、最後は全員で作る演奏にしたいと思った。今朝決めた事だけれど、チェロとの話し合いはとてもスムーズに行った。出だしの調は変だったが、それは結果だからすぐに初めからやり直した。
私は極力ビールは抑えてはいたが、オカリナの心地よい力強く返って来る響きに酔った。何よりも、ヴィーナスとの共演である。嬉しくて飛び上がりそうだった。そんな訳ないか。羽がない。余談だが、アルコールがちょっと入っていると、心は動揺しないものだ。
気持ち良く終われて、私は握手を求めた。すると司会者でもあるカメラマンが、もう一度握手をするように言った。
テーブルに戻っても、ちらほらとオカリナの事を聴いて来たり、感想を述べたり、感嘆してくれたりした。主に女性の方々だったが。
「故郷」の最後を、私は駆け上がって最高音のファで引っ張っていた。終わるかどうかの時、Oさんが来て私の肩を叩き、握手を求めて来た。握力が強い。私より、6歳も上だと言うのに。どうせなら、ちゃんと終わってからにしてくれたらと思ったのは、ちょっと吃驚したからだった。叩かれてもちゃんと吹き終わらせたけれど。
頼んでいた芋焼酎の水割りが中々来ない。20分は待っている。何だ何だ、それはボトル毎、隅のテーブルに置かれていた。つまりセルフサービスと言うやつだ。残念だが、とうとう飲まず仕舞いだった。
最後は校歌の伴奏をチェロが弾き、皆はその校歌を歌った。皆の顔が、まるで子供のようだった。
3時30分にはお開きとなった。隅でOさんと彼女は話していた。Oさんが、勤務先の音楽隊でクラリネットを吹いていた事を初めて知った。
私は彼女に出会った時に名刺を渡していた。彼女は、
「今名刺を持っていません」
とその時に言っていた。それでこの帰る時に、
「後から、メールします」
と言ってくれた。学生の時は大学から選ばれて、ドイツに留学しているし、数々の賞(最優秀賞など)も取っている。とても私などコラボさせて貰える筈のないバリバリのチェリストだから、せめてセッションしている夢だけでも見ながら、シーパル須磨を出た。
思ってもない事が起こった8日であった。忘れる事はないと思った。雨が降っている訳でもない。天候的にはなんら印象に残るものがない。小春日和だなあと思って歩いたけれど。
それより、少しでも娘への気持ちが転換出来そうに思えた。前向きに、また元気を取り戻せそうに思った。こんな素敵な人と出会えた事は、私に取ってまたまた不思議な1ページを書き加える事となった。
ヴィーナスと出会ったんだよ。勿論、衣装を身に付けたヴィーナスだったけどね。
それは、チェロ弾きのヴィーナスだった。
午前中に家を出て、JR海浜公園駅を降りると真っ直ぐ南に下った。あの女将がやっているお寿司を食べてから行きたかったが、昼は会席となっている。
シーパル須磨に着いたのは、12時20分頃だった。会長のOさんが目敏く私を見付け、ロビーに誘ってくれた。久し振りの握手を交わした。コーヒーを頂いたり、ここを統括している I さんを紹介してくれた。これからここを使う訳でもないのに、私に名刺をくれた。阪神かどこかに I 選手がいたが、その息子だった。やっぱり格好いいイケメンである。
Oさんはめまぐるしい立ち居振る舞いをした。私はチェロ奏者を待っていた。1時から総会が始まる。私には関係ないので、そこに座っていた。
実は前の前の会長のHさんは8期16年務めた、この会の創始者でもある。今は三重に住んでいて、今の会長Oさんに私に会いたいと電話があったらしい。そしてオカリナを吹いて貰いたいと。Oさんはその旨伝えて来て、私は伴奏が出来るかと聞いた。私はCD音源で出来るのかを問うた積もりが、彼はチェロを弾くプロを知っていると言う。とうとうその人とセッションする事になったのだ。
私は、「浜辺の歌」と「故郷」の伴奏をして貰えたら嬉しい、と伝えた。勿論ぶっつけ本番である。「浜辺の歌」はレから始まるように、また「故郷」はファから始まるようにとだけ伝えて貰った。
初め私は「天城越え」を情熱的に吹いて、後この2曲を吹く積もりだった。最近メールをやり取りし出した、私が小学校1年から3年まで担任して頂いた恩師の娘さん(私より年配)にその事をメールすると電話が返って来て、
「それだけは止めて」
と哀願された。OB会に来る人達は70代以上が殆どだ。余りにも温度差が激しいと言うものだった。それもそうだと即座に納得し、優しい曲にすると宣言した。
それにしてもチェロのプロは、私の伴奏のセッションだけだろうか。それが気に掛かっていた。1時前にチェロの彼女が現れた。赤いドレスのステージ衣装で。
なななんと・・、美人ではないか。美人だからどうだとかは問題ではないが、私には彼女がヴィーナスに映った。娘が我が家から去って1週間。不安定な心がまだ柔らかに続いていたからだ。
伴奏をしてくれるチェリストがプロだなんて初めての事だった。それを聞いた時から、何か発展があるだろうと思っていたし、出会ったらチャンスを掴んで発展させようと思っていたのだ。美人かどうかなど、その時は知らなかった。
Oさんの計画表を見せて貰って納得が行った。総会が終わったら、1時40分から宴会だが、その前に彼女の演奏が2曲ほどある予定になっていた。
私達2人は、総会の済んだ1階の「赤灯台」と言う部屋に入った。人数は減る一方で、今日の集まりの人数は22人だった。私は懐かしい顔もあり、少ない人数だなど全く感じていなかった。話した事もある市会議員もいた。OBだからだ。役所にいた人もいた。女性も4人ばかりいたと思う。減りこそすれ増える事のない会で、これだけ集まるのはこの会に魅力があるからだと思った。
Oさんは音合わせは海に面した外に出てやったら問題はないと言ったが、チェリストはそれを拒否した。千住真理子さんがヴァイオリンに拘りを持つように、このチェリストも気温や湿度や潮風などの環境を心配していたのだ。私はすぐにその事が察知出来たので、
「合わせなくても構成だけ考えてぶっつけで行きましう」
と言うような事を言った。
「音楽はよく分からないので、演奏の時に助けて下さい」
とも言った。私はチェロの独奏部分も設けて演奏しながら聴きたいと思っていたので、2コーラス目は、どちらの曲もチェロの独奏にして貰った。
前の前の会長の姿がまだない。Oさんは、1曲演奏するようにチェロの彼女を促した。バッハの性格や人物像を話すと、バッハの無伴奏のチェロの曲を弾き出した。私は丁度彼女の目の前で、後ろ向きになっている状態だった。あの生の掠れた音や豊かな響きがすぐ後ろで鳴っている。余りの美しさに、涙が出そうになった。
Hさんはまだ来ない。三重からまだ来ないのだ。私は先ず、もう高齢になっている彼に会わなければならない筈だった。東大出の硬派で、ビールのジョッキを傾けながら、ドイツの歌を歌うのが常だった。向かい合わせに皆並んでいるが、真ん中の席に私とHさんが座るようになっている。右隣が寂しく空いている。
始めの言葉や乾杯が終わった。Oさんは言った。
「ここの支配人に、年寄りは沢山食べられないから、その分いいものを出すように申し付けています」
と。
料理が運ばれて来るに付け、本当にそうだと思った。昔なら、私が1番早く食べ終わっていたものだ。今は一番遅いと言っても過言ではない。本当に、お腹は減っているが入らない。考えたって考えなくたって、私だって立派に老人になっていた。
いつものようにビールを注いで回る者。歓談する者。人がマイクを持って話しているのに聞かないで喋っている者。煩い訳ではないが、世の常だと思った。これだけはいつも変わらない。
終りの方でチェロとオカリナのセッションは組まれている。常任の司会者と言っていいTさんは、卒なく上手く進めて行く。帰る時私は言いに行った程だ。
「何処かに所属しているんですか」
「いや、まったく」
司会を長くやっていると、自然に上手くなるのだろうか。言いに行かずには居れなかった。
司会者は2人にセッションをするよに言った。私は、
「さっきチェロの音を聴いたら、私が演奏する事などどこかに飛んで行きました。チェロを先ず聴かせて下さい」
とお願いした。これで終わると、チェロ奏者として呼ばれているのに、彼女だって心残りになるだろうし、私だって始まる前に「白鳥」を聴かせて欲しいと頼んでいたのだったから。
彼女は、すぐに「白鳥」を弾き始めた。なんといい響きだろう。音量も凄い。掠れも胸に飛び込んで来る。たまに後ろを振り返って、このヴィーナースを見た。心が落ち着いて行くのが分かった。この人となら、いつかコラボでやってみたい。その思いに、疑う余地は全くなかった。
誰かが連絡すると、Hさんは三重の自宅にいた。もう会えるのは今年位だと言っておられたそうだから、何か用事があったか忘れておられたかのどちらかだろう。それにしても、私は会えると信じて疑わなかったのだ。
すぐ「浜辺の歌」が始まると思っていただろう。私は、話もちょっとだけして、宗次郎の「水心」を1人で吹いた。これは正解だった。食事をしているテーブルに楽譜を置いた。そんなに難しい曲ではないが、私の年齢がそうさせた。すぐに彼女は、自分の譜面台を使うように言ってくれた。
やっぱり「天城越え」でなくて良かった。この部屋の作りはとても響くように出来ている。エコーが戻る。次の音が出る。そして、エコー。そうしてこの曲は終わった。拍手が起こった。宗次郎様々の曲なのだ。これは、どこかでも吹く事に決めている。
次に、「浜辺の歌」の短い前奏。2人のコラボ。チェロの独奏。最後の部分のコラボ。終わると大きな拍手が返って来た。最初チェロとオカリナの調が違いやり直したが、今度の「故郷」は最初の音を出してチェロと調整した。これは考えた事だが、1コーラスは2人。2コーラスはチェロだけ。3コーラスは2人のコラボでこの歌の1番を皆に歌って貰う事にした。皆も歌いたいだろうし、私も、最後は全員で作る演奏にしたいと思った。今朝決めた事だけれど、チェロとの話し合いはとてもスムーズに行った。出だしの調は変だったが、それは結果だからすぐに初めからやり直した。
私は極力ビールは抑えてはいたが、オカリナの心地よい力強く返って来る響きに酔った。何よりも、ヴィーナスとの共演である。嬉しくて飛び上がりそうだった。そんな訳ないか。羽がない。余談だが、アルコールがちょっと入っていると、心は動揺しないものだ。
気持ち良く終われて、私は握手を求めた。すると司会者でもあるカメラマンが、もう一度握手をするように言った。
テーブルに戻っても、ちらほらとオカリナの事を聴いて来たり、感想を述べたり、感嘆してくれたりした。主に女性の方々だったが。
「故郷」の最後を、私は駆け上がって最高音のファで引っ張っていた。終わるかどうかの時、Oさんが来て私の肩を叩き、握手を求めて来た。握力が強い。私より、6歳も上だと言うのに。どうせなら、ちゃんと終わってからにしてくれたらと思ったのは、ちょっと吃驚したからだった。叩かれてもちゃんと吹き終わらせたけれど。
頼んでいた芋焼酎の水割りが中々来ない。20分は待っている。何だ何だ、それはボトル毎、隅のテーブルに置かれていた。つまりセルフサービスと言うやつだ。残念だが、とうとう飲まず仕舞いだった。
最後は校歌の伴奏をチェロが弾き、皆はその校歌を歌った。皆の顔が、まるで子供のようだった。
3時30分にはお開きとなった。隅でOさんと彼女は話していた。Oさんが、勤務先の音楽隊でクラリネットを吹いていた事を初めて知った。
私は彼女に出会った時に名刺を渡していた。彼女は、
「今名刺を持っていません」
とその時に言っていた。それでこの帰る時に、
「後から、メールします」
と言ってくれた。学生の時は大学から選ばれて、ドイツに留学しているし、数々の賞(最優秀賞など)も取っている。とても私などコラボさせて貰える筈のないバリバリのチェリストだから、せめてセッションしている夢だけでも見ながら、シーパル須磨を出た。
思ってもない事が起こった8日であった。忘れる事はないと思った。雨が降っている訳でもない。天候的にはなんら印象に残るものがない。小春日和だなあと思って歩いたけれど。
それより、少しでも娘への気持ちが転換出来そうに思えた。前向きに、また元気を取り戻せそうに思った。こんな素敵な人と出会えた事は、私に取ってまたまた不思議な1ページを書き加える事となった。
ヴィーナスと出会ったんだよ。勿論、衣装を身に付けたヴィーナスだったけどね。