「遠き山に日は落ちて」。「交響曲第九(合唱)」。「ロメオとジュリエット」。「ボレロ」。「みだれ髪」・・と言ったら、何を思うだろう。
これらは、打ち上げ花火のバックミュージックで流された音楽である。今日23日は、秋田の大仙市大曲で全国花火競技大会が行われた。
大曲と言えばピンと来る程に有名で、一度は観に行きたいと思っている。雄物川の河川敷で観られたら最高だろう。だが、もう河川敷で観ようと思えば前もって席を買っておかないと観られない。6人では2万3千円とか。2人なら5千円だか8千円だか。
花火は遠くからでも綺麗だが、近い所から観る方が迫力がある。音が、お腹にドンと響くのが堪らない。
7時からはBSプレミアムでその花火大会がライブで観られる。しかし、同じ時間に関西テレビでは女子ワールドグランプリがライブで放映される。
昨日は中国に3-0で勝って、この日まで無敗。今日はベルギー戦だ。もう観終わっていてベルギーにも3-0で勝ったから、明日ブラジルに勝てば、悲願の金メダルである。この勢いで、勝利をものにして欲しいと思っている。
それで、花火とバレーボールの2つを、チャンネルを行き来して観る事にした。
ベルギーの選手は結構身長が高い。そう思っていたが、日本の選手もそんなに違わないと思った。皆よくここまで技術的に成長したと思う。素晴らしい攻防だった。
花火は綺麗だし、これも随分進化している。けれど同じものもあって、やっぱりバレーボールに釘付けになる。8時45分頃にバレーボールは戦いを終えた。真鍋監督の喜びの声も聞かず、花火も観ず、時間を惜しんでオカリナの練習をした。周りの事もあり9時には終えたいと思っているが、いつも終わりは9時半になる。
終わって2階から降りると、貰い物の長崎カステーラの1切れを口に入れながら、夜になってからの3杯目のコーヒーを飲んだ。テレビを点けると、まだ大曲の番組をやっていた。十数万人が集まると言うが、もう花火は終わり河川敷の人達は帰る為に立ち上がっていた。
ビデオで見せてくれたのが凄かった。「ボレロ」が流れ、その連続仕掛け花火は他のとは全く違っていた。兎に角、これだけでも大曲に行って観てみたいと思える程のものだったのである。それが終わるや番組は終了したが、何だか儲けた気分だった。
外が急に騒がしくなった。カーテンを開けて外を覗いてみると、雨が降っていた。明日は飯盒炊爨だと言うのに、ちょっと待って、プレイバック! まあ、しっかり降って、明日はすっかり晴れてくれればいいと考え直した。だが、暫くすると止んだ。
昔は夏になると斐伊川の花火大会を観に行ったものだ。河原に寝そべって観たり、首が痛くなる程上を向いて観たりしたものだ。同じような花火が毎年進歩もなく打ち上げられたが、それでも満足だった。その時、腹が太鼓になる事を知った。
それは夏の風物の一つだと、私は思っている。人によって違うだろうが、3つ挙げよと言われたら何があるかと考えてみた。自然のものも入れるけれど、私は先ず蝉の声。これがなければ夏が来たようには思えない。それに風鈴の音。それに花火だ。夜の暗幕に広がる花火は、音と共に頭にしまってある。
風鈴と花火は毎年観たり聴いたりするものではなくなってしまったが、蝉だけはまだ健在である。
金魚売やキリギリスの声だとかカキ氷だとか甕の水にに浸かっている西瓜もあるけれど、私の夏の風物詩はその3つだ。
今日は花火の事を書いたから花火に絞りたいが、線香花火が夜空を大きく焦がすのが打ち上げ花火ではないかと思ったりする。線香花火も風情があり、ドラマがある。最後の小さな火の玉になるまでしっかりくっ付いている線香花火に出会った事は余りなく、線香花火職人が、玉になる前に落ちたりするのはしっかり練りつけていないからだと言っていたのが、妙に納得出来る。
話しが逸れる前に今日のブログを閉じたい。今日のメインは、花火とバレーボールなのだから。
明日は高校野球の準決勝戦が行われる。毎日のように観て来たが、明日は飯盒炊爨で観られない。決勝戦は観る積もりだ。
ぱっとここで止めればいいのに、線香花火が玉になったのにまだ落ちない。
花火って、何でここまで心を惹き付けるのか。それは、人間が生きるために獲得したプロメテュースの火から始まる。長い生活の歴史への原点であり憧れなのだ。それが、芸術となって空を明るく染め、一瞬にして元のしじまに戻る。まるで自分が幻の中を彷徨しているような放心状態になる。
火を巡る、憧れと郷愁と非現実の世界に導く、一瞬の芸術に心を開く。だから、求めてまで観に行くのではないか。あの、祭りにも似た世界に浸りたくて。
昔よく観た花火が懐かしい。直径が数十メートルになったとかを除けば殆ど進歩がなかった打ち上げ花火だったとしても、それも昭和を彩る風物として心に焼き付いている。それに、誰も桟敷席などのお金を取ったりしなかった。
これらは、打ち上げ花火のバックミュージックで流された音楽である。今日23日は、秋田の大仙市大曲で全国花火競技大会が行われた。
大曲と言えばピンと来る程に有名で、一度は観に行きたいと思っている。雄物川の河川敷で観られたら最高だろう。だが、もう河川敷で観ようと思えば前もって席を買っておかないと観られない。6人では2万3千円とか。2人なら5千円だか8千円だか。
花火は遠くからでも綺麗だが、近い所から観る方が迫力がある。音が、お腹にドンと響くのが堪らない。
7時からはBSプレミアムでその花火大会がライブで観られる。しかし、同じ時間に関西テレビでは女子ワールドグランプリがライブで放映される。
昨日は中国に3-0で勝って、この日まで無敗。今日はベルギー戦だ。もう観終わっていてベルギーにも3-0で勝ったから、明日ブラジルに勝てば、悲願の金メダルである。この勢いで、勝利をものにして欲しいと思っている。
それで、花火とバレーボールの2つを、チャンネルを行き来して観る事にした。
ベルギーの選手は結構身長が高い。そう思っていたが、日本の選手もそんなに違わないと思った。皆よくここまで技術的に成長したと思う。素晴らしい攻防だった。
花火は綺麗だし、これも随分進化している。けれど同じものもあって、やっぱりバレーボールに釘付けになる。8時45分頃にバレーボールは戦いを終えた。真鍋監督の喜びの声も聞かず、花火も観ず、時間を惜しんでオカリナの練習をした。周りの事もあり9時には終えたいと思っているが、いつも終わりは9時半になる。
終わって2階から降りると、貰い物の長崎カステーラの1切れを口に入れながら、夜になってからの3杯目のコーヒーを飲んだ。テレビを点けると、まだ大曲の番組をやっていた。十数万人が集まると言うが、もう花火は終わり河川敷の人達は帰る為に立ち上がっていた。
ビデオで見せてくれたのが凄かった。「ボレロ」が流れ、その連続仕掛け花火は他のとは全く違っていた。兎に角、これだけでも大曲に行って観てみたいと思える程のものだったのである。それが終わるや番組は終了したが、何だか儲けた気分だった。
外が急に騒がしくなった。カーテンを開けて外を覗いてみると、雨が降っていた。明日は飯盒炊爨だと言うのに、ちょっと待って、プレイバック! まあ、しっかり降って、明日はすっかり晴れてくれればいいと考え直した。だが、暫くすると止んだ。
昔は夏になると斐伊川の花火大会を観に行ったものだ。河原に寝そべって観たり、首が痛くなる程上を向いて観たりしたものだ。同じような花火が毎年進歩もなく打ち上げられたが、それでも満足だった。その時、腹が太鼓になる事を知った。
それは夏の風物の一つだと、私は思っている。人によって違うだろうが、3つ挙げよと言われたら何があるかと考えてみた。自然のものも入れるけれど、私は先ず蝉の声。これがなければ夏が来たようには思えない。それに風鈴の音。それに花火だ。夜の暗幕に広がる花火は、音と共に頭にしまってある。
風鈴と花火は毎年観たり聴いたりするものではなくなってしまったが、蝉だけはまだ健在である。
金魚売やキリギリスの声だとかカキ氷だとか甕の水にに浸かっている西瓜もあるけれど、私の夏の風物詩はその3つだ。
今日は花火の事を書いたから花火に絞りたいが、線香花火が夜空を大きく焦がすのが打ち上げ花火ではないかと思ったりする。線香花火も風情があり、ドラマがある。最後の小さな火の玉になるまでしっかりくっ付いている線香花火に出会った事は余りなく、線香花火職人が、玉になる前に落ちたりするのはしっかり練りつけていないからだと言っていたのが、妙に納得出来る。
話しが逸れる前に今日のブログを閉じたい。今日のメインは、花火とバレーボールなのだから。
明日は高校野球の準決勝戦が行われる。毎日のように観て来たが、明日は飯盒炊爨で観られない。決勝戦は観る積もりだ。
ぱっとここで止めればいいのに、線香花火が玉になったのにまだ落ちない。
花火って、何でここまで心を惹き付けるのか。それは、人間が生きるために獲得したプロメテュースの火から始まる。長い生活の歴史への原点であり憧れなのだ。それが、芸術となって空を明るく染め、一瞬にして元のしじまに戻る。まるで自分が幻の中を彷徨しているような放心状態になる。
火を巡る、憧れと郷愁と非現実の世界に導く、一瞬の芸術に心を開く。だから、求めてまで観に行くのではないか。あの、祭りにも似た世界に浸りたくて。
昔よく観た花火が懐かしい。直径が数十メートルになったとかを除けば殆ど進歩がなかった打ち上げ花火だったとしても、それも昭和を彩る風物として心に焼き付いている。それに、誰も桟敷席などのお金を取ったりしなかった。