額縁の中の3枚目の絵が完成する。7月の27日から31日まで出雲に帰ったが、中3日は休む間もなく行動した。28日、29日、30日と。
中3日間を絵に例えると額縁の概念が掻き消されてしまうけれど、敢えてこじつけるなら28日は日本画で、29日は漫画、30日は油絵であろうか。
それは兎も角として、30日はこうだった。
早く目が覚めていたが、6時15分まで待って携帯の目覚ましの音楽を止めた。
柔らかな軽い掛布団と敷布団をたたみ枕をちょこんと乗せると、私は灯籠と天水のある庭に出た。クロガネモチの木や松の木、白い花の咲く椿の木などがある。周りの家の庭と比べると決して立派なものではないが、この辺は昔から、庭のない家はない程である。流石に築地松はない。
けれどどの木も茂っていて、刈込むには庭師さんを呼ばなければならない。呼べば結構な費用が掛かる。それで暫くこのままである。
その代わり、庭の雑草の蔓延した茂り方は目も当てられない。出雲の妹が、抜いても抜いてもすぐに蔓延ると言っていた。私は、草むしりをする事にした。まだ誰も起きてはいない。妹が起きているかも知れないが、気が付いていない。もうこんなに明るい。外に出たのは分かったとしても、ジョギングに出掛けたと思っているに違いない。
庭の手前は白っぽい砂利が敷いてあり、雑草も疎らだ。しかし、小さいけれど砂地を這う草が点在する。それと1、2センチ位の草も共存する。それらを抜くのには骨は折れない。砂利を撥ね退けて、案外すんなりと抜けた。
砂利を境界とする前横の土に生える雑草は一筋縄では行かない。背丈もまちまちで、50センチにもなろうとする雑草もある。雑草と言うのは可哀想だと唱える人もあるが、そうかと言ってこのままにしておく訳には行かない。名前は植物図鑑に載っているだろうが、引っこ抜かなければならない草叢は、一からげに雑草と呼ぶ事にする。
しゃがんでいるので腰は痛くなる。脚の筋肉が固まって、立ち上がろうとする時の痛さと言ったらない。昔の農家の人やお百姓さんは、こうして腰が曲がって行くのだなと思った。
抜いた草は一所に積み上げ、移動するとまた次の場所に積む。遅々として進まない。草抜きは重労働だ。汗が滲む。首に日差しがきつくなる。最初から頭に被っていたタオルを、首が隠れるようにした。首筋が斑になっても堪らない。
匍匐前進をしゃがんでしているようだ。
蟻の巣穴に根っこが影響していたのだろうか。慌てふためいた蟻たちが右往左往している。卵を咥えて運んでいる蟻もいる。驚かせたけれど、仕方がないか。後で妹が言っていたが、蟻の所為で水道管か何かが詰まった事があると。
蟻に対しても雑草に対しても、人は気分的に見る。優しく見守る時と顔を顰め困る時とがある。憎しみを抱く時さえあるかも知れない。何処からともなく隊列を組んで台所に上がって来た蟻を、優しく見守れるだろうか。
隣りの父親と男の子の会話が一頻り聞こえ、軈て垣根の外を消えて行った。また聞こえて戻って来たが、きっとラジオ体操に行っていたのだろう。微笑ましく感じさせられた。
直に指で抜くものだから、指が黒くなり痛くなった。刈るのではなく、抜かなければならない。前を向くとぞっとする。草また草。まるでジャングルに入り込んだようだ。
膝や脚や腰が痛くて、暫く屈んだまま動けなかった。気が付くと9時を回っていた。勿論誰も気付かない。約3時間、抜きっ放しだった。それでも庭の四分の一位しか抜けなかった。大して忍耐力もないなと思った。
何箇所かに積まれた草は、乾燥して少しずつ姿を変え、縮んで行った。
今日の皆の要望、と言ってもゲストである横浜組の申し出だが、電車に乗る事と海で泳ぐ事だった。
三種の神食? にジャガイモの味噌汁。これに勝る朝食兼昼食はない。美味い! 言葉でお礼を言いたい位だが、そこは兄妹だ。
「美味いわ」
とやっと言えた。
もう、昼から出発する事にも驚かなくなっていた。だが、今度は電車の出発時刻を逃すと泳げなくなる。一畑電鉄に乗っても適当な海水浴場を知らない。それで、JRに乗って小田の海へ行く事になった。4つ先の駅で、20分もあれば着く。ただし1時間に1本あるかないかだから、愈々遅れる訳には行かなかった。
車を駅の駐車場に置いて、出雲の妹は仕事なので、5人で出かけた。一両だけの電車には、ローカル色が滲む。山間を走り、青々と広がる田んぼを視界一杯に取り込んで走って行った。懐かしい光景だった。出雲市駅から西に向かった小田駅に着いた。運転手さんがいちいち切符を受け取っては挨拶していた。
小田の次は田儀。その次は波根で、どちらも海水浴場があるが、結論としては小田の海水浴場で良かったと思う。
男3人は、誰の目にも入らない草叢で水着に着換えた。砂地を裸足で歩いた悠介が、「熱っ、熱っ」と言って、慌てて運動靴だったかビーチサンダルだったかを履いた。
海の向こうはテトラの壁。左右には範囲を示す目印のロープが引かれていた。遠浅だし、これなら安心だ。
気持ち良く泳いでいる3人を見て、もう何十年も遠退いていた記憶が甦って来た。去年までは海水に浸かる事さえ考えなかった。ただ3人が泳ぐのを見ているだけだった。だが、今はTシャツとメンパンでも入って泳ぎたかった。海水パンツでなくても短パンでも持って来ていたら、即座に入っただろう。じりじりと照り付ける灼熱は、そんな思いにさせた。売店に上がって行き、海水パンツが売ってないか探した程だ。
横浜の妹と私は堪りかねて、石段の上の道の駅に入り込んでカキ氷を食べ始めた。それでも汗は引かなかった。頭には灼熱の輪がエンジェルのように乗っかっているようだ。
4時半過ぎの電車には間に合わないと次の行動が取れない。外に出るとまたカキ氷が食べたくなる。さっきはイチゴだったから今度はメロンにした。それを3人の元に運んだ。上がって来た3人は、回して食べた。海水は飲む訳にはいかないから、喉は渇いていただろう。
絵になりそうなライトブルーの水着の女が、ビーチパラソルを立てて、涼しそうに遠くを見つめている。しっかり日陰が出来ている。私は「この歳で海に入れるだろうか」との疑念の中で、灼熱に焦がれている古稀間近の老人の姿を想像していた。
想像しようがすまいが、熱いのには変わりがない。
頃合いを見計らって皆を招集した。4時前だった。上がって来た河童たちは、また草叢まで歩いた。シャワーも見つからなかったので、体中に塩の残る上にTシャツと短パンを着けた。キリギリスの鳴く声がした。
長閑な小田の駅は、プラットフォームにはそよ風が流れた。切符を買おうとしたが、何処にも販売所はなく、ここは無人駅だった。5人は二両編成の先頭の車両に乗った。中学生や高校生を見ると、私もこの地で暮らしたこんな時があったと感慨深いものが去来した。
一先ず家に帰り、妹が勤めている婦人服売り場に行ってみた。仕入れも任されているようで、大阪まで行くらしい。センスのいい女性ものの服が所狭しと並んでいた。ちょっとの積もりが、小一時間いたような気がした。
我々5人は先に帰り、横浜の妹を家に置くと男だけで夢タウンにラーメンを食べに行った。妹は、姉が帰ってから一緒に食べると言っていた。それに、残ったあのカレーを食べるのだと言った。
男は皆、口々にラーメンが食べたいとアピールしたからだった。そこには色んな店があるが、兎に角ラーメンだ。隣りにはすき屋があり、鰻弁当の写真が大写しになっていた。悠介が奢ると言った。
帰りに王将に寄って、餃子を買った。妹もラーメンが食べたいと言っていたから、それの持ち帰りは出来ないので、せめて一緒に餃子を食べようと思った。私の考えは、実は酒のあてにしたかったのだ。
早速焼酎のロックと、5ミリを薄めて氷を入れた焼酎水とで乾杯した。餃子は美味かったが、神戸の王将の方が美味いのは何故だろう。でも、皆は美味いと言った。ええっ、茄子の味噌炒めがあるのか。もう、最高だ。
ジーマを飲んだかどうかは忘れたが、私は焼酎の水割りを何杯か飲んだ事は覚えている。
人の中に人がいると言うのは素敵な事だ。人が人の中にいて、争いがなければどんなに幸せな事だろう。人間の性なのだろうけれど、それを修正する営みこそが人生の一つだろう。所詮この世は修業の場、気付きの場なのだ。利己主義は滅却出来ないにしても、飛行機が旋回するように利他主義に転換する努力はしてみる価値があるのではなかろうか。
また夜更けの遊びが始まった。明日は昼12時にジェット機は離陸する。皆、心掛けて早く寝た。でもそれも、丑三つ時のど真ん中だった。
♪森の木陰でドンジャラホイ
シャンシャン手拍子足拍子
太鼓叩いて笛吹いて
今夜はお祭り夢の国
小人さんが揃って賑やかに
アホーイホーイヨドンジャラホイ
私が幼稚園の時に印象に残って覚えた歌だ。間違っているかも知れないし、文字の使い方もよく分からない。メロディーはとても良く覚えている。こんな感じで、出雲最後の夜は過ぎた。
これで3枚の絵の話は終わったが、額縁にあたる31日の事をちょっとだけ。
私は、6時15分に携帯が鳴るのでそれをポケットに入れて、5時45分頃に庭に出た。まだまだ雑草があちこちに密集している。鎌紛いの道具を使って見たが、少しも上手く行かない。やっぱり自分の指で引き抜いた。上手く抜けるもの、根を残して千切れるもの様々だが、大部分は慎重に根も引き抜いた。
流石に横浜に帰るとあって、皆8時半には起きていたように思う。ゴミ出しを手伝ったり、草の山を袋に詰めたりした。もう私が草抜きをしているのを知っているから、コップに水や麦茶を運んでもくれた。
奥の方はまだ残っているが、庭の草の五分の四は抜いただろう。前進した所から後ろを振り向くと、そこにもう雑草はない。
始めは、抜いてもまだまだ先は遠かった。抜けるだろうかとも思った。しかし、これが目標と言うものだ。今動いて抜いている自分の姿がある。その今が、振り向いた辺りのさっぱりとした充実感を残す。今動いている自分は、振り向いてはいけない。この先には、困難な草叢が広がっている。果てしない荒野のようだ。
だが、それに向かって今を動かなければ、すっきりした過去は生まれない。只管今を動かなければ、大きくて豊かな未来は掴めない。
この草抜きでそう思わせられた。言うのは簡単だ。どこまでやれるかは、これからの自分にかかっている。先ず、諦めない事が大切ではないかと思った。
31日は9時過ぎまで抜き続けた。たった3時間程度で笑わせるなと言われそうだが、実行した結果、私はそう思ったのだ。出雲に来た日から思いついていたら良かった。今はそう思う。
額縁と言ったが、それはもちろん額縁もあるが表装だったりピン留めだったりする。そんな、中3日の行動の絵は、ここで終了だ。
皆元気で、また違った絵が描けたらいい。違って欲しくないものもある。三種の好物と味噌汁と焼酎の日々だ。
中3日間を絵に例えると額縁の概念が掻き消されてしまうけれど、敢えてこじつけるなら28日は日本画で、29日は漫画、30日は油絵であろうか。
それは兎も角として、30日はこうだった。
早く目が覚めていたが、6時15分まで待って携帯の目覚ましの音楽を止めた。
柔らかな軽い掛布団と敷布団をたたみ枕をちょこんと乗せると、私は灯籠と天水のある庭に出た。クロガネモチの木や松の木、白い花の咲く椿の木などがある。周りの家の庭と比べると決して立派なものではないが、この辺は昔から、庭のない家はない程である。流石に築地松はない。
けれどどの木も茂っていて、刈込むには庭師さんを呼ばなければならない。呼べば結構な費用が掛かる。それで暫くこのままである。
その代わり、庭の雑草の蔓延した茂り方は目も当てられない。出雲の妹が、抜いても抜いてもすぐに蔓延ると言っていた。私は、草むしりをする事にした。まだ誰も起きてはいない。妹が起きているかも知れないが、気が付いていない。もうこんなに明るい。外に出たのは分かったとしても、ジョギングに出掛けたと思っているに違いない。
庭の手前は白っぽい砂利が敷いてあり、雑草も疎らだ。しかし、小さいけれど砂地を這う草が点在する。それと1、2センチ位の草も共存する。それらを抜くのには骨は折れない。砂利を撥ね退けて、案外すんなりと抜けた。
砂利を境界とする前横の土に生える雑草は一筋縄では行かない。背丈もまちまちで、50センチにもなろうとする雑草もある。雑草と言うのは可哀想だと唱える人もあるが、そうかと言ってこのままにしておく訳には行かない。名前は植物図鑑に載っているだろうが、引っこ抜かなければならない草叢は、一からげに雑草と呼ぶ事にする。
しゃがんでいるので腰は痛くなる。脚の筋肉が固まって、立ち上がろうとする時の痛さと言ったらない。昔の農家の人やお百姓さんは、こうして腰が曲がって行くのだなと思った。
抜いた草は一所に積み上げ、移動するとまた次の場所に積む。遅々として進まない。草抜きは重労働だ。汗が滲む。首に日差しがきつくなる。最初から頭に被っていたタオルを、首が隠れるようにした。首筋が斑になっても堪らない。
匍匐前進をしゃがんでしているようだ。
蟻の巣穴に根っこが影響していたのだろうか。慌てふためいた蟻たちが右往左往している。卵を咥えて運んでいる蟻もいる。驚かせたけれど、仕方がないか。後で妹が言っていたが、蟻の所為で水道管か何かが詰まった事があると。
蟻に対しても雑草に対しても、人は気分的に見る。優しく見守る時と顔を顰め困る時とがある。憎しみを抱く時さえあるかも知れない。何処からともなく隊列を組んで台所に上がって来た蟻を、優しく見守れるだろうか。
隣りの父親と男の子の会話が一頻り聞こえ、軈て垣根の外を消えて行った。また聞こえて戻って来たが、きっとラジオ体操に行っていたのだろう。微笑ましく感じさせられた。
直に指で抜くものだから、指が黒くなり痛くなった。刈るのではなく、抜かなければならない。前を向くとぞっとする。草また草。まるでジャングルに入り込んだようだ。
膝や脚や腰が痛くて、暫く屈んだまま動けなかった。気が付くと9時を回っていた。勿論誰も気付かない。約3時間、抜きっ放しだった。それでも庭の四分の一位しか抜けなかった。大して忍耐力もないなと思った。
何箇所かに積まれた草は、乾燥して少しずつ姿を変え、縮んで行った。
今日の皆の要望、と言ってもゲストである横浜組の申し出だが、電車に乗る事と海で泳ぐ事だった。
三種の神食? にジャガイモの味噌汁。これに勝る朝食兼昼食はない。美味い! 言葉でお礼を言いたい位だが、そこは兄妹だ。
「美味いわ」
とやっと言えた。
もう、昼から出発する事にも驚かなくなっていた。だが、今度は電車の出発時刻を逃すと泳げなくなる。一畑電鉄に乗っても適当な海水浴場を知らない。それで、JRに乗って小田の海へ行く事になった。4つ先の駅で、20分もあれば着く。ただし1時間に1本あるかないかだから、愈々遅れる訳には行かなかった。
車を駅の駐車場に置いて、出雲の妹は仕事なので、5人で出かけた。一両だけの電車には、ローカル色が滲む。山間を走り、青々と広がる田んぼを視界一杯に取り込んで走って行った。懐かしい光景だった。出雲市駅から西に向かった小田駅に着いた。運転手さんがいちいち切符を受け取っては挨拶していた。
小田の次は田儀。その次は波根で、どちらも海水浴場があるが、結論としては小田の海水浴場で良かったと思う。
男3人は、誰の目にも入らない草叢で水着に着換えた。砂地を裸足で歩いた悠介が、「熱っ、熱っ」と言って、慌てて運動靴だったかビーチサンダルだったかを履いた。
海の向こうはテトラの壁。左右には範囲を示す目印のロープが引かれていた。遠浅だし、これなら安心だ。
気持ち良く泳いでいる3人を見て、もう何十年も遠退いていた記憶が甦って来た。去年までは海水に浸かる事さえ考えなかった。ただ3人が泳ぐのを見ているだけだった。だが、今はTシャツとメンパンでも入って泳ぎたかった。海水パンツでなくても短パンでも持って来ていたら、即座に入っただろう。じりじりと照り付ける灼熱は、そんな思いにさせた。売店に上がって行き、海水パンツが売ってないか探した程だ。
横浜の妹と私は堪りかねて、石段の上の道の駅に入り込んでカキ氷を食べ始めた。それでも汗は引かなかった。頭には灼熱の輪がエンジェルのように乗っかっているようだ。
4時半過ぎの電車には間に合わないと次の行動が取れない。外に出るとまたカキ氷が食べたくなる。さっきはイチゴだったから今度はメロンにした。それを3人の元に運んだ。上がって来た3人は、回して食べた。海水は飲む訳にはいかないから、喉は渇いていただろう。
絵になりそうなライトブルーの水着の女が、ビーチパラソルを立てて、涼しそうに遠くを見つめている。しっかり日陰が出来ている。私は「この歳で海に入れるだろうか」との疑念の中で、灼熱に焦がれている古稀間近の老人の姿を想像していた。
想像しようがすまいが、熱いのには変わりがない。
頃合いを見計らって皆を招集した。4時前だった。上がって来た河童たちは、また草叢まで歩いた。シャワーも見つからなかったので、体中に塩の残る上にTシャツと短パンを着けた。キリギリスの鳴く声がした。
長閑な小田の駅は、プラットフォームにはそよ風が流れた。切符を買おうとしたが、何処にも販売所はなく、ここは無人駅だった。5人は二両編成の先頭の車両に乗った。中学生や高校生を見ると、私もこの地で暮らしたこんな時があったと感慨深いものが去来した。
一先ず家に帰り、妹が勤めている婦人服売り場に行ってみた。仕入れも任されているようで、大阪まで行くらしい。センスのいい女性ものの服が所狭しと並んでいた。ちょっとの積もりが、小一時間いたような気がした。
我々5人は先に帰り、横浜の妹を家に置くと男だけで夢タウンにラーメンを食べに行った。妹は、姉が帰ってから一緒に食べると言っていた。それに、残ったあのカレーを食べるのだと言った。
男は皆、口々にラーメンが食べたいとアピールしたからだった。そこには色んな店があるが、兎に角ラーメンだ。隣りにはすき屋があり、鰻弁当の写真が大写しになっていた。悠介が奢ると言った。
帰りに王将に寄って、餃子を買った。妹もラーメンが食べたいと言っていたから、それの持ち帰りは出来ないので、せめて一緒に餃子を食べようと思った。私の考えは、実は酒のあてにしたかったのだ。
早速焼酎のロックと、5ミリを薄めて氷を入れた焼酎水とで乾杯した。餃子は美味かったが、神戸の王将の方が美味いのは何故だろう。でも、皆は美味いと言った。ええっ、茄子の味噌炒めがあるのか。もう、最高だ。
ジーマを飲んだかどうかは忘れたが、私は焼酎の水割りを何杯か飲んだ事は覚えている。
人の中に人がいると言うのは素敵な事だ。人が人の中にいて、争いがなければどんなに幸せな事だろう。人間の性なのだろうけれど、それを修正する営みこそが人生の一つだろう。所詮この世は修業の場、気付きの場なのだ。利己主義は滅却出来ないにしても、飛行機が旋回するように利他主義に転換する努力はしてみる価値があるのではなかろうか。
また夜更けの遊びが始まった。明日は昼12時にジェット機は離陸する。皆、心掛けて早く寝た。でもそれも、丑三つ時のど真ん中だった。
♪森の木陰でドンジャラホイ
シャンシャン手拍子足拍子
太鼓叩いて笛吹いて
今夜はお祭り夢の国
小人さんが揃って賑やかに
アホーイホーイヨドンジャラホイ
私が幼稚園の時に印象に残って覚えた歌だ。間違っているかも知れないし、文字の使い方もよく分からない。メロディーはとても良く覚えている。こんな感じで、出雲最後の夜は過ぎた。
これで3枚の絵の話は終わったが、額縁にあたる31日の事をちょっとだけ。
私は、6時15分に携帯が鳴るのでそれをポケットに入れて、5時45分頃に庭に出た。まだまだ雑草があちこちに密集している。鎌紛いの道具を使って見たが、少しも上手く行かない。やっぱり自分の指で引き抜いた。上手く抜けるもの、根を残して千切れるもの様々だが、大部分は慎重に根も引き抜いた。
流石に横浜に帰るとあって、皆8時半には起きていたように思う。ゴミ出しを手伝ったり、草の山を袋に詰めたりした。もう私が草抜きをしているのを知っているから、コップに水や麦茶を運んでもくれた。
奥の方はまだ残っているが、庭の草の五分の四は抜いただろう。前進した所から後ろを振り向くと、そこにもう雑草はない。
始めは、抜いてもまだまだ先は遠かった。抜けるだろうかとも思った。しかし、これが目標と言うものだ。今動いて抜いている自分の姿がある。その今が、振り向いた辺りのさっぱりとした充実感を残す。今動いている自分は、振り向いてはいけない。この先には、困難な草叢が広がっている。果てしない荒野のようだ。
だが、それに向かって今を動かなければ、すっきりした過去は生まれない。只管今を動かなければ、大きくて豊かな未来は掴めない。
この草抜きでそう思わせられた。言うのは簡単だ。どこまでやれるかは、これからの自分にかかっている。先ず、諦めない事が大切ではないかと思った。
31日は9時過ぎまで抜き続けた。たった3時間程度で笑わせるなと言われそうだが、実行した結果、私はそう思ったのだ。出雲に来た日から思いついていたら良かった。今はそう思う。
額縁と言ったが、それはもちろん額縁もあるが表装だったりピン留めだったりする。そんな、中3日の行動の絵は、ここで終了だ。
皆元気で、また違った絵が描けたらいい。違って欲しくないものもある。三種の好物と味噌汁と焼酎の日々だ。