29日は土用の丑の日だが、人が集中するような日に態々食べなくても、もう一昨日食べているから今日は海鮮丼でも食べる計画をしていた。その為には10時頃に出発しなければその店はきっと込むだろう。

昨日行かなかったのは、その店が定休日だからだ。

昨日に倣って、今日も起き出したのが9時から10時だった。私と出雲の妹は昨日と同じ様な時間に起きている。

弟の方が悠介よりいつも早く起きて来る。彼はPCが好きで、すぐにPCの前に座りヘッドフォンで何やら聴いている。その前にニュースを見る。私は山陰中央新聞で。

昨日の夜ラジオで仕入れたジュースを作って悠介と飲んだが、旦那は殆ど飲まなかった。ちょっとミキサーに具材を入れ過ぎて、ドロドロ以上になったからだろう。その反省を元に、リベンジをした。

サラサラのジュースになった。面倒臭いので、ジュースはこの日限りに。毎日でも飲みたいほど体には良さそうである。何をミキサーにかけるかと言うと、4種類。人参、林檎、生姜、檸檬だ。生姜は多目が良いと言う。檸檬の匂いが主役になっている。皮の粒が舌に残る。

氷もミキサーで砕き、冷えたジュースを飲んだ。ずっとマシになり、成功を勝ち得た。

10時半に出ようと言う話になったが、私は信じなかった。それが11時になり、ここで朝食兼昼食の時間になる。勿論おかずは三種の神食? 味噌汁は大根と油揚げ。余は大満足じゃ、とは言わなかったが、相好を崩していたのは傍目にも分かっただろう。

本来ならば、味噌汁が毎日飲める事が奇跡だし、この三種のおかずも、1品あればいいのである。それが、年に一度の集合の為、出雲の妹は気張ってくれたのだ。口には出さぬが、感謝の気持ちは絶えない。

「12時に出よう」

と横浜の妹が言った。

「境港で海鮮丼を食べようと思っていたのに」

「まあ、昼はなしでいいじゃない」

「ダメよ、ダメダメ」

とは言わなかったが、あんな美味い海鮮は滅多に食べられないのにと思うと、かなり残念だった。帰るまで店の看板が目に付いて仕方がなかった。境港駅の辺りにはそんな店はやけに多いが、目的の店だけ遠い。よく境に行っている人には、その店の名はすぐに分かった事だろう。敢えてクイズにしておきたい。

12時にも出られなかった。そこまで50キロ位だから、そんなに時間はかからない。1時前に出発したと思う。そのギャップと空間がまた楽しい。


「おお、日本海か」

と誰かが言ったが、それは宍道湖に繋がる中海だったのである。琵琶湖は日本一の広さだが、それでも中海は5番目。宍道湖は7番目の大きさだ。順位が若干違っている調査もある。汽水湖なので淡水と海水が入り混じり、独特の魚介類が生息している。もう何十年も前から干拓する事が言い出されていたが、今日中海は水門も取り払われ、事業廃止となっている。

本当に良かったと心から思う。何より宍道湖や中海が死んでしまうのが耐えられない。人類の財産ではないか。

「宍道湖には七珍があるけど、何だか知ってる?」

と男ばかり4人の車の中で尋ねた。後続の車は妹2人が乗っている。

「わからんなあ」

「すもうあしこし(相撲足腰)、と覚えていたら人前でもすらすら言えるよ」

と言って教えたら、すぐに反芻して覚えてくれた。もう言われ出して随分の月日が経つ。

す=すずき

も=もろげえび

う=うなぎ

あ=あまさぎ

し=しじみ

こ=こい

し=しらうお

こんなに沢山の美味しい生き物が湖には棲んでいる。しかもどこの湖でもいるのではない、珍しい湖なのだ。太古を偲べる名所になっているのも、淡水化したり干拓したりしなかったからだ。

宍道湖が綺麗なのは、しじみのお蔭だとも言える。吸水口から藻などを取り入れ、排水口から濾した綺麗な水を吐く。ここのしじみだけで、宍道湖の5倍もの浄水能力があると言う。

さて、中海の大根島を東に行くと橋がある。ダイハツのCMで有名になった江島大橋で、約1,500mある。凄い急な坂になっていて、車が滑り落ちそうになる。でも、軽でも楽々上れると言う宣伝で、べた踏み坂と呼んでいる。

松江市と境港市を結ぶ橋で、島根と鳥取の架け橋とも言えるだろう。以前は江島に行くにも船でしか渡れなかったそうだから、これは重宝されている橋だ。車を降りて、早速デジカメに収めた。そんなに急には思われなかった。CMでは、別の場所から撮っているのだろうか。CGもあるかも知れない。

あのコマーシャルでは、滑り落ちないかと心配した位だ。松江側から渡るこの道の勾配は6.1度と聞いて緊張も解けた。そのCMの橋を渡れただけでも、今日来た値打ちはあるだろう。話のネタになるからだ。

先に言っておくが、帰りの堺港側からの坂は一つも面白くなかった。この世の中には、知る事は無限にある事を知る。

境港は渡ればすぐで、境港駅の傍に駐車した。なんと長閑な事だろう。駐車場には人がいないのだ。

「駐車場ご利用の方は前払いにて封筒に車番等を記入の上料金500円を入れて料金箱に投入してください」と書いてあって、その下に料金箱が下がっている。

内側には料金用封筒の入った蓋の付いた箱がある。用紙もあってプレートナンバーを書くようになっている。1回500円と言う表示も面白いが、要は24時間営業で、日を超えると更に500円を追加するようになっている。

先ず、妖怪の派手に描かれた電車が、堺港駅に止まっていた。最初は置いてあるものとばかり思っていたが、やがて動き出した。この電車が見られたのはラッキーだったのかも知れない。

みなとさかい交流館を覗く事にした。やけに海鮮丼の店が目立つ。

入る傍に水木しげるが絵を描いているのであろう、その像があった。その横に座り、それぞれが写真に納まった。

ここから隠岐の島へ向けての鬼太郎フェリーが出航する。交流館は余り興味がなかった。水木しげるの妖怪にはもともと私は興味がなく、横浜の妹の提案がなかったら、恐らく来る事はなかっただろう。

水木しげるロードは歩かない訳には行かない。全長約800mを歩いた。暑い事は暑い。妖怪の町になっていて、妖怪神社なんてものもある。このロードを過ぎるとおさかなロード(全長1,200m)に水木しげるの生家があるそうだ。それにしても海鮮丼の店が目立つ。お腹は全く減っていないから、太り旅の私は、仮初めにも食べる訳には行かない。

水木しげる記念館は700円もするので、私と旦那は入らない事にした。悠介は興味津々で、出て来てから「もっと見ていたかった」と言った。

入口に猫娘と言うのか、着ぐるみのキャラがいて、並んで写したりしていた。私は一緒には写らなかった。後で聞いたが、その猫娘がここにいるのは珍しいとの事だった。

私はその間、水木ロードを歩いてみた。何と、塀に凭れて鬼太郎がいた。若い女性が群がってキャーキャー叫んでいる。握手をする者もいた。私は、その主人公鬼太郎にも出会ったのだった。

皆で戻る途中、その場所を通ったが、鬼太郎は何処へいったのだろう、既にいなかった。その代わり、人が余り寄り付かない山吹色のねずみ男を見た。何だか後姿が寂しかった。中の人は、きっと鬼太郎か猫娘の着ぐるみを着たかったのだろうと想像した。

この道を戻って境港駅に着くと、また違った色と模様の電車が止まっていた。それも、すぐに動き出したが、2度も見られるなんてこれも珍しい事だ。

水木しげる記念館の外のベンチで、子供の頃からずっと遊んでいた友に電話をした。切っ掛けは、出雲の妹がM君に出会った時に、私に会いたいと言っていたよと言っていたからだった。殆ど会っていなかったから、私も会いたいと思った。

この日午後7時から会う事になった。

家に着くと少しだけの時間を過ごして、妹の車に乗せて貰って出かけた。「武志屋茶寮」と言う、結構素敵なお店だった。私は飲むのかなと思って乗せて貰って来たが、彼はもう飲めなかった。何度手術をしていた事だろう。

歩くのが覚束ないが、リハビリを家でもしている。入院中に、「これは何か」と言いながら果物の絵などを見せられるものだから、

「先生、頭は大丈夫です、と言ったがね」

と言って笑わせた。笑っていいのかいけないのか分からない状況だが、笑ってしまった。

楽しい語らいの時はすぐに過ぎた。彼が奢ってくれたものが何だったかお分かりだろうか。それは鰻丼定食だった。今日は土用の丑の日。彼の考えた持て成しだったに違いない。料亭の鰻を食べた実感があった。お土産は手渡した。

後は同級生の飲み屋で飲んで帰ろうと思ったが、家まで送ると言って聞かなかったので、彼の車に乗った。足はふら付いていたが、オートマだから大丈夫だと言った。

家の近くで降ろして貰い、

「また会いましう」

と、彼。

「こんどまた、連絡します」

と、私。

家まで少し歩いて、家で飲む事にした。私は焼酎を飲むと、後ジーマを貰って飲んだ。旦那と悠介はジーマを半分ずつ飲んで、赤くなっているのだろうが、日に焼けた顔は一気に黒味を増した。

日は代わって、午前零時、30日となった。これからまた皆でゲームだ。いつ、どこで、誰と、誰が、何をしたと言ったもので、何十年やっても飽きない遊びだ。どれかの指定した紙に、その内容を書く。回収したら、誰かが読むのである。とんでもない文になり、その可笑しさに大笑いとなる。寝ればいいものを、よく遊びよく遊んだ。

飲んで食べてすぐに寝る。太り旅は膨張するばかりだ。